たとえ、2年、3年と住み慣れたころでさえ、New Yorkという文字を、見慣れ、書き慣れていたときでさえ、たとえば、封筒の左上に、Fromに続いて、自らの名前と住所を、New York, NY. 10023と、書ききった瞬間の、突然胸を過る、一抹の感傷。
New York, NY
わたしは、ニューヨークに住んでいる。ここに、自分の家がある。住所がある。
ワシントンDCやカリフォルニアに住んでいるときには感じ得なかった。それはニューヨークにだけ、あった。
インドに暮らしている今も時折、そんな瞬間がある。スーパーマーケットのキャッシャーの傍らにある、領収証の住所欄に記された、INDIAの文字。
INDIA
毎日のように、見慣れているはずの文字が、時折、なにか特別な意味を秘めているが如くに、鋭く胸を射る。
INDIA
わたしは、インドに住んでいる。ここに、自分の家がある。住所がある。
これはまた、ニューヨークとは異種のときめきで、胸を射られる、というよりは、むしろ掴まれるような粗野な感じで。
目まぐるしい推移の中で、巻き込まれる自由。傍観する自由。
ともあれしっかり大地を踏みしめ、揺らがぬように屹立せよと、いい聞かせながら。