日がな一日、どこへも行かず、喧噪の世界から隔離されたようなこの場所で、風を受けながら、青空を仰ぎながら、雲の流れを眺めながら、過ごした。
今日は庭のあちこちで、カエルの赤ちゃん、いや、カエルの幼児が飛び回っていた。あまりの小ささ、あまりのかわいらしさに、ちょっとつかまえてみる。
3匹ほどつかまえて、書斎で仕事をしている夫に見せに行ったら、
「そんなことしたら、カエルが弱るでしょ! それに毒があるかもしれないし!」
と、案の定な返事。
100年前の、50年前の、いや、10年前でもいい、この街が、今のように雑多に近代化を目指す前の、この街を見てみたかったと、今日もまた思う。
このあたりは、本当に、家が少なかった。うちの裏のプロパティもそうだ。緑が生い茂る広大な広大な庭の中央に、ぽつんと古い邸宅が建っている。
今、そこには主がおらず、不在を預かる貧しい使用人一家が、裏手の使用人部屋に暮している。が、日中は、その広大な庭を我がものとばかり、一家は穏やかに、暮している様子である。
この街の古い家がなくなってしまうまえに、足で歩いて、写真に収めておきたいものだ。
従来、バンガロールの家屋は非常に広かった。古くに建てられたアパートメントもまた、広いものが多かった。ところが多分2000年あたりを境に、新しいアパートメントはどんどん狭くなっており、無論日本のそれよりは遥かに広いにせよ、以前のようなゆとりある空間がなくなっている。
たとえばわたしが以前住んでいたアパートメントEMBASSY WOODは、3ベッドルームで3000スクエアフィート以上あった。わたしたちが今住んでいるここは、4ベッドルームにもかかわらず2800スクエアフィート。天井が高いので、若干広く感じるが、実際は以前の方が広いのだ。
庭は2600スクエアフィート。今のところ、十分な広さだと思ってはいるが、やはり従来からのバンガロールの邸宅に比べると、決して広いとはいえない。なにしろ集合住宅であるから、庭があるだけでもいいというものだ。
2000年以前に建てられた高級アパートメントの場合、あるいは郊外の高級アパートメントの場合、3ベッドルームで居住面積が5000スクエアフィート前後というのさえ珍しくなかったようだ。
今、次々に建造されているモダンなアパートメントは3ベッドルームの場合でも2000スクエアフィート前後が一般的。半分以下のサイズである。ジョイントファミリー(複数世帯の同居)の減少、核家族の増加もまた、背景にある。そして少しでも利益を多く上げたいデヴェロッパーの思惑、不動産に投資する側の要求などが絡み合って、住宅事情はますます変わりゆくのだろう。
なにしろ恐ろしいのは突貫工事。見るからにまずそうな工事現場が街のいたるところで散見される。
今日は、先だって購入していたバドミントンのネットを張っての、真剣バドミンドンである。もう、週末恒例の行事である。テニスラケットも購入しているので、テニスをせねばならない日も近いだろう。
空は高く青く、悠々と、鳶が天空を旋回する様の優美。
バドミントンを終え、シャワーを浴び、夕餉の支度をすませ、心地の良い風が吹く庭先でビールをのみ、いただきものの「柿の種」をつまみつつ、書物を広げ、至福のひととき。
空が高い。
やがて、スパへ行っていた母が帰宅し、みな一様に心地よい、日曜の夜が更けてゆく。雲間から溢れるはまばゆい月の光。
夕食後、夫とわたしは、ノートを広げてブレーンストーミング。二人のこれからの、あらゆる方向性を相談するために。