本日、JAPAN HABBAと呼ばれるイヴェントが開催された。年に一度、バンガロールで行われている日印交流の「お祭り」で、今年は3回目だとのこと。基本的にはバンガロール大学の日本語学科関係の人たちが中心になって企画しているようだ。
今年は日印交流年であり、従来より派手に行うということで、会場はカルナタカ州知事官邸であるところのRAJ BHAVAN、インド国営放送(DD)がイヴェントの模様を生中継するとのこと。
日印双方の踊りや歌などの出し物の一環として、「花笠音頭」を踊るという企画があり、我が母もご友人に誘われ、何度か練習に出かけていたようだった。
我が家でも数週間前、数名のマダムが集まって練習をしていた。遥か米国に思いを馳せつつ国立公園の原稿を書きながら、一方で「は〜やっしょ〜まかしょ〜!」と、エコーのきいた花笠音頭を聞きながら、そしてここはインド。
あまりのインタナショナルな環境にくらくらと軽いめまいを覚えつつも、楽しげに踊る母を見守る娘であった。
その後、他の方々のお宅でも練習を重ね、昨日はRAJ BHAVANでリハーサルも行われていた。かなり本気の花笠音頭である。踊りだけでなく、イヴェント開始に先駆けて行われる「お茶会」の、母は裏方のお手伝いとしても参加することになっており、かなり社交的である。
そして本日。
わたしは仕事を早めに切り上げ、5時すぎに夫のオフィスへと車を走らせる。僕は忙しいし、行きたくないよという彼を、
「お母さんが踊るんだから、見に行かなきゃだめでしょ」
と、説得して、無理矢理に誘ったのだった。
なにしろ州知事官邸、国営放送、と聞いただけで不満が次々に出て来る男である。行きたがらない気持ちはわからないでもないが、ここはインド人らしく、家族の行事を大切にしてほしいものである。
さて、茶会に間に合うよう早めに到着したのだが、広大なステージ会場の方へ赴けば、そこは「満席状態」で座る場所がない。インドにも関わらず、時間よりも早く人々が到着しているとは、驚きの集客率だ。感動的である。
と、感動している場合ではない。席に座れなければ、我々、外で立ち見となる。しかも小雨が降っている。それはそうと、茶会はどうなっているのだ?
30分ほど会場をうろうろとして、追加の席は出せないのかと警備の人たちとも交渉をしたのだが、無理な様子。
時間に遅れたわけでもないのに席がないとは残念だが、仕方がない。
何時間も中途半端な場所で立ち見をするのは辛いから帰ろうと外へ出たところ、知り合いの人がお茶会の場所を教えてくれた。
が、会場についたときには、ちょうどお茶会が終わったばかりというタイミングの悪さ。
みなさんが着物姿でお片づけをしているところで、しかしお茶を一服させていただく。
さて、改めてステージのある会場に戻る。せっかく母の踊りを見に来たのだから、やはりここで帰ってはなるまいとしばらくは立ち見をする。そのうち、プラスチックの椅子の余りが出て、ようやく座ることができた。
詳細は不明だが、インドの伝統舞踊や音楽、また伝統舞踊に現代のダンスを融合させた踊りなど、興味深いパフォーマンスが展開されている。
アルヴィンドもそれなりに楽しんでいるようす。
日本人グループによるコーラスや日本舞踊なども披露され、さて、いよいよ母が登場する花笠音頭の番である。
カメラをぐぐぐっとズームインして、準備を整える。
が、ステージに上がっている人々の中に、母をはじめ、なじみのマダムたちの姿が見えない。途中から登場するのかしら、と訝しく思っているうちにも、音楽は終わってしまい、退場してしまった。
なになになに? どうしたの?
母の携帯に電話をして落ち合ったところ、なんでも会場が満杯につき、母たちが当初踊る予定だった「花道部分」が観客に占拠されていたため、踊れなくなりましたといわれたとのこと。
なんということ!
「花道部分」に座っている観客に、ちょっとずれてくださいと頼めばすむことなのに。後方には、ずれるだけのスペースが、十分にあったのに。会場後方の空きスペースででも、踊れたのに。なんならわたしが会場整備したのに。いやいや本気で。
学芸会に出る娘を見守る心境で訪れた我々夫婦、どうにも腑に落ちない。
遠く過去を遡れば、大学祭実行委員長をやったり、社会人になってからもヴォランティアで音楽イヴェントや祭りに参画するなど、イヴェント経験が少なくないわたしとしては、その運営がどれほど大変かを身を以て理解できる。加えてここはインド。大変にまして、大変であろう。
更には自分が何ら関与していないのだから、不満は言うべきではないと心得ているのだが、しかし「超個人的な立場」から言えば、たかが「花笠音頭」とはいえ、されど何度も練習をして準備をしていただけに、土壇場で出演不可は、かなり残念であった。
なお会場は写真のとおり、満席の大盛況。催し物への反応もよかったようで、イヴェントとしてはとてもうまくいっているように見受けられた。実に喜ばしく、すばらしいことだ。
日印友好が目的のイヴェントという観点から見れば、母が花笠音頭を踊れなかった、インドメディアにデビューできなかった、なんてことは大した問題ではない。
が、なんとなく冴えない感じの、今宵坂田マルハン家周辺。
アルヴィンドは踊れなかった母を気遣う優しい娘婿と化している。イヴェントが終わる前に、我々は一足先に退散し、THE TAJ WEST ENDのヴェトナム料理店BLUE GINGERに立寄り、気分を変えておいしい夕餉のひとときを過ごす。
結果はともあれ、母はこの練習を通しても、いろいろなお友達と出会い、バンガロールでの日々がより楽しいものとなっている。この件に関しては、「プロセス重視」ということで、いい経験だったと思っていただきたいものだ。
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●日本における母関係者の方々へ:「母日記」はわたしの「仕事優先」な都合により休止しておりますが、母は元気です。3カ月オープンの航空券を買ってはいるものの、実際には1、2カ月で帰るような予定だったような気がしないでもありませんが、どうやらぎりぎりまで滞在する見込みです。
バンガロールでも、「暴走気味」の母です。
アルヴィンドと言葉が通じなかったのは、むしろ「幸い」かもしれません。
「おいしい」
「ありがとう」
「お元気?」
「おなかすいた?」
などと、二人、限りなく原始的な会話で、さしさわりないコミュニケーションを図っております。
なお、母は渡印当初、正しい日本語を話していませんでした。年配者にありがちな、主語をとばして、「あれがどれでそれがこうで」みたいな、何言ってるのかまったくわからん自己中心的な会話です。わたしには、それが耐えられません。従っては、老化防止も兼ねて、「日本語矯正」を実施中です。
更には、前後の説明なしで、相手が理解しているかどうかの確認もないままに、自由気ままに会話が四方八方へ飛んでいくという悪癖もありましたので、逐一内容を指摘し、間違いを正す「やや嫌な娘」と化しています。が、これも老化防止対策です。
最近では、かなりつじつまの合う話し方をしてくれるようになりました。
日本へ帰っても、ぐうたらな話し方をせず、きちんと筋道立てて話す努力を続けてもらえたらと思います。