いよいよシンガポール最終日である。チェックアウトは午後5時。今日はプールで泳ぎ、ランチを終え、チェックアウトまでの数時間を、荷造りなどしつつ部屋で過ごしているところだ。
わたしは午後8時過ぎの便で、母は深夜1時の便で、各々の家がある場所へと赴く。
今回の旅行にあたっては、実は予定が一転二転していたのだった。そもそも、アルヴィンドの香港出張と時を同じくしていたので、わたしもシンガポールから香港へ赴き合流する予定だった。ところが、出発1週間前から、夫の予定が変更につぐ変更を繰り返した。
一時は夫がシンガポールに1泊立ち寄るという状況になっていたのだが、結局のところ、すべての合流計画は取りやめた。最終的に、夫は1週間を通して香港に滞在することとなり、わたしは母と二人でシンガポールで過ごし、おとなしくバンガロールへ帰ることとなった。
最初から、別行動にしておけばよかったのでは? と思われそうだが、なにしろスウィートなマイハニー。「ミホも来ればいいのに!」と、3泊を超える長めの出張には、毎度誘ってくれるのである。勝手にしてろよ、という声が聞こえてきそうである。
尤も、「夫の出張に同行」は欧米ではめずらしくないので、念のため。米国時代も、インドに来てからも、だからしばしば、あちこちへついていったものだ。もちろん、航空券その他は私費である。
話が横道にそれたが、結論から言えば、合流せずによかった。母と夫を同時にアテンドするのは、わたしとしてもくたびれる。
さて、昨日はホテルのシャトルバスを利用して、オーチャードロードまで出た。
かれこれ18年前、ガイドブックの取材で訪れたシンガポール。取材時、わたしは主にオーチャードロード北部の店やレストランを巡った。カメラマンと二人で、重い荷物を携えて、一軒一軒を巡り、取材をさせてもらい、英語はほとんどできなかったくせに、通訳もなく、暑くて、へとへとで、疲労困憊で、ただ無我夢中の23歳時。
あのとき初めて知った旅人の木、TRAVELER'S PALMを目にして、昔日の自らが蘇る。月給手取り11万円。残業手当なき、残業無限地獄の極貧時代を思い出し、一瞬、胸が迫る。
さて、前回、前々回に引き続き、今回もまた、高島屋周辺のモールを散策する。そしてやっぱり、毎度おなじみ紀伊國屋に立寄り、母もわたしも、しばらく立ち読み(座り読み)をし、荷物にならぬ程度の書籍を購入する。
朝食ブッフェをたっぷりと楽しんで、さほど空腹ではなかったのだが、ランチタイムの到来だ。
かれこれ19年前。取材で訪れた台湾は台北。鼎泰豐本店の小汚い店内で食べた、小龍包のうまさ加減は、歳月を経た今でも忘れ得ぬ。そんなわけで、今回もまた前回に引き続き、PARAGONのフードコートにあるところの鼎泰豐へ行こうと思ったのだが、しかし、違う店の違う料理も試したい。
ホテルのコンシエージュに確認したところ、CRYSTAL JUDEを勧められた。この店、シンガポールだけでも何十軒かあり、それぞれに出している料理が異なる。広東料理、上海料理、潮州料理という具合に。
ちなみに我々は、高島屋の4階にある、点心を出す店舗へ赴くことにした。
点心。美味であった。タロイモのフライやら、大根餅やら。フカヒレ入り餃子入りのスープやら。エビの湯葉巻きフライやら。これらに、メニューにはなかったが、ブロッコリーのシンプルな炒めものなども添えてもらう。メニューになくても、ありがちな素材の料理であれば、作ってくれと頼むと、作ってもらえるものなのだ。
こういう技、中国料理店に限らず、意外とどんな国でも対応してもらえる。日本ではやったことがないが。
点心はいずれも、とても美味。すべて3つずつ出て来たので、3人で出かけるといい感じだと思われた。この瞬間、アルヴィンドに参席してもらいたかった。そしたらもう何品か注文できたのに。
小龍包に関しては、鼎泰豐の方がおいしいと感じた。なんというか、あちらの方が味に活気がある。やはり専門店だけある。が、点心の多彩さに関しては、こちらの方がいい。
そんなわけで、母は相変わらず、呆れるほどの旺盛な食欲であった。朝食を食べ過ぎて、あまりお腹が空いていなかった人とは思えない食べっぷりである。
ところで夕べ、そして今朝、シンガポールが微妙に揺れた。インドネシア沖の地震の影響だろう。シンガポールには地震がないという噂だったが、ちゃんと揺れていた。
それから安倍さんの辞任のニュースもインターネットで知った。この間インドを訪れた前後から、胃腸を悪くしていたとのこと。インドでは会食時に具合が悪くなり、中座していたらしい。インドがとどめをさしたんじゃないかと思う。
インド。だめな人には、徹底的に、だめな国。
村山富市元首相を思い出した。質素倹約を絵に描いたような人物で、さっぱりとした日本食しか食べ慣れてなかった彼。確かイタリアでのサミットで出された食事を胃が受け付けず、体調を崩したとの話を聞いたことがあった。
首相たるもの、体力審査も必要なんじゃなかろうか。
人間、いろいろあるが、まずは健康第一である。
と、この3カ月の母を見ていても、その思いを新たにする。この3カ月間、一度たりともお腹を壊したり、体調を崩したりすることなく、元気で過ごせただけでも、幸せなことだ。
2000年に父が癌を発病して以来、生活習慣や、健康や、生き方についてを考えさせられる機会が多かった。母もまた、父を支え、父を失い、その喪失感にさいなまれ、暗澹たる思いで過ごした日々も短くはなかっただろう。
とはいえ、そこそこに健康で、そうして振り返ってみれば、実にしばしば、我が家へ足を運んでいるのである。まず、ニューヨーク時代に一度、母と妹、そして妹の夫が遊びに来た。妹は、その後もまた、一人でニューヨークに来た。
父が癌を煩っていた2002年4月、母は妹と二人でワシントンDCへ来た。かなり遊んだ。
父が他界した年の2004年11月も、やはり妹と二人でワシントンDCに来た。そうとうに遊んだ。
その翌年2005年8月、我々がわずか半年しか住まなかったカリフォルニアにも来た。そしてあちこちへドライヴなどにも出かけた。
そのまた翌年2006年2月。まだインド移住後日の浅い、我々のもとへ、1カ月も滞在した。妹も来た。
そして、その翌年であるところの今年も、来た。
……。
なんだか、「傷心」と言いながらも、ものすごく遊んでいるような気がするのは、気のせいか。
さて、そろそろチェックアウトの準備をしなければ。
つつがなく過ぎた日々に感謝しつつ。
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ところでここ数年のシンガポール旅はこちら。
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