本日も午前中は、夫、打ち合わせに出かける。今回の旅は、あくまでも私的休暇だが、現在過去の仕事関係者や友人、知人らと、あらかじめアポイントメントを入れて来ていた次第。
わたしとしても、旅のあいだの四六時中、夫と行動を共にするのは辛い。たまには別行動してもらった方が精神衛生上、好ましい。
ホテル界隈のセントラルパークサウスもマラソンのルート。ゴールに近いエリアとあって、沿道で応援する人々の様子もまた賑やかだ。
軽いランチをすませたのち、夫と合流するべくホテルへ戻り、テレビをつけたら、ちょうどインドラ・ヌーイがインタヴューを受けているところだった。
米国のメディアは今、1年後の大統領選に向けて、両候補の動きを頻繁に追っている。インドラは、ヒラリー・クリントンとも面識があるらしく、彼女のことについても言及している。彼女の長女はまた、クリントン氏の選挙活動を手伝うらしい。
移民の女性ながら、この国で「成功」をおさめていることに関しての質問が次々と。娘たちとのエピソードなども織り交ぜつつ、「女性」を意識した興味深い話が続く。
それにしてもインドラ。50歳を過ぎているというのに、十年前と少しも変わらない若々しさ。
インド人女性はたいてい、年齢よりも大人っぽく、もしくは老けて見える場合が多いのに、彼女はお肌もつやつやとしていて、実に健康的だ。
と、見入っていたところに、インタヴュアーが彼女に質問。
「普段、ペプシコの商品を口にしていますか?」
すると淀みなく、彼女は答えるのだった。
「もちろん。一日にアクアフィナ(ボトル水)を4本近く飲んでいます。それからクエーカーオーツ(オートミール)を朝食に。午後にはフリトレーのスナックを1袋。トロピカーナのオレンジジュースや、ダイエットペプシ、ペプシコーラなどのソフトドリンクも、毎日飲んでますよ。私たち家族の食生活は、ペプシコの商品で満たされているんです」
思わず、アルヴィンドと顔を見合わせる。ボトル水とオートミールはともかく、毎日スナックやソフトドリンクを摂取しているとは、これいかに。
しかし彼女は、営業の意味で誇張を語っているのではない。彼女の愛社精神は、そして自社の商品を本気で摂取していることは、わずか二度しか会ったことがないわたしでも察せられる。
なんというか、たいへんなものであるな、と、また別の意味で感心するのである。
日清食品の創業者で元社長の安藤氏(96歳で死去)も、毎日チキンラーメンだかカップヌードルだかを食べていて、それが健康と長寿の秘訣だと語っていたのを、以前何かの記事で読んだことを思い出した。
スナックやらペプシやらを毎日摂取していて、あの若々しさ。安藤氏同様、仕事への熱意を含め、それが彼女のパワーの源なのだろうか。
さて、夫と再び、セントラルパーク付近からアッパーウエストサイドへ向けて歩く。
一般の人々も大勢が参加できるニューヨークシティマラソン。夕刻となってなお、ゴールを目指して走り続けている人がいる。伴走者と共に走る車いすのランナーもいる。
実はニューヨーク時代、わたしも一度は参加してみたいと、セントラルパークを走り込んでいた時期があった。夕暮れの公園を走る時、とても心地がよかった。
しかしながら、中学・高校時代にバスケットボールで痛めた腰痛が著しく再発し、ドクターからジョギングはだめだ、ウォーキング、もしくはウォーク&ランをせよと命じられ、諦めたのだった。
毎度のことながら、以前暮らしていたアパートメントビルディングに立ち寄る。
写真中央の高層アパートメントがそれだ。
そもそもは、わたしと出会う前から、アルヴィンドがここに住んでいた。
わたしは、彼と出会って、ここで一緒に暮らし始めた。
しかし二人でここに暮らしたのは、1年余り。
アルヴィンドはMBAに進むため、フィラデルフィアへと移った。わたしがちょうど、Muse Publishsing, Inc.を立ち上げたばかりのころ。
彼がフィラデルフィアに移って後は、ステュディオ(1ルーム)に移り、しかし毎月2000ドルの家賃に加え、会社を興し、自分の会社から自分に就労ヴィザを支給した故、最低限の給料を、自分に支払わねばならない。
「日本に、帰りたくない」
「ニューヨークで、暮らしたい」
その思いだけで、なんという無茶をやってきたことだろう。たった自分一人を支えるだけのための、ささやかな、しかし意義のある、無茶であった。
それでも1年後、2年後と、仕事の成果は現れ、会社の売り上げはそれなりに伸び、フリーペーパーのmuse new yorkを発行したりもできるようになった。濃い、日々だった。
ビルを見上げると思い出す。よりによって自分の斜め上のアパートメント(マコーレ・カルキンの家族)が火元となり、火事になった、あの寒い1998年12月23日の朝を。
実はあの日、ニューヨーク・タイムズ紙にインタヴューされ、そのときの記事が未だネット上に残っているのだ。ということを、実は今、自分で検索してみて気がついた。
そう。あの日、アルヴィンドと一緒に日本へ旅行するため、わたしはフィラデルィアで落ち合うべく荷造りをしていたのだった。
あの朝、わたしのアパートメントのちょうど斜め上。真っ黒い煙をもうもうと吹き出しながら、オレンジ色の炎が舐めるようにめらめらと、自分の部屋に向かってくるのを寒風吹きすさぶ場所から、ただ呆然と見上げた。
アパートメントが煙に包まれ、火災保険になど入ってもおらず、わたしのアパートメントは水浸しだ、買ったばかりのコンピュータやオフィス機器も台無しだ。ああもう、なにもかもがおしまいだと、絶望的な心持ちで、氷点下の空の下で。
新聞の記事にもあるとおり、着の身着のまま逃げ出したスゥエットパンツとスゥエットシャツを姿で、震えつつも寒さも感じず。
あの日、煙にまかれて、4人の住人が亡くなった。
わたしの部屋は無事だった。怒濤のような経緯を経て、しかし日本へも帰国できた。
本当に、いろんなことが、あった。
いろいろな懐古を脳裏に巡らせながら、リンカーン・センターへ。
アルヴィンドと暮らし始める前、ここでよく待ち合わせをしたものだ。
ニューヨークの冬はオペラやバレエのシーズン。
なにかオペラをやっていて、当日券があれば見ようと、メトロポリタンオペラへ赴く。
シーズンはまだ始まったばかり。
あいにく日曜の今日は、なにもなく。
一度は見てみたいと思っていたオペラ。
マリア・カラスはもういないけれど、彼女の歌声の、"Casta diva" を、わたしは本当に好きなのだ。
NORMAもまた、来週からの上演。
主役のソプラノ歌手にとって難易度の高いオペラのため、そう頻繁に上演されることはないと聞いているだけに、残念ではある。
仕方なく、映画を見ることにし、チケットを買い、上映時間まではお気に入りのメキシカン、ROSA MEXICANOで夕食。
毎度おいしいワカモレに、爽やかなマルガリータ。
映画館への道。
吹きすさぶ風が冷たくて、肩をすくめて歩く道。
こうして、そうして、ニューヨークの旅も終わり。
クリスマスの気配を感じさせるこれからは、より一段と寒くなるけれど、ホリーデーシーズンへ向けて、街が彩りを増す時節。一年のうちでマンハッタンが最も美しい季節がやってくる。
わたしたちは、明日深夜の便で、再び自分たちの家があるインドへと戻る。
わたしたちの庭は、どうしているだろう。
潤っているだろうか。
雨が降ってくれているといいのだけれど。