一昨日、デリーから戻ってきた。行き帰りは幸運にも霧に見舞われず、飛行機は定刻通りの発着で、デリーの気候も冬ながら太陽が見られ暖かく、これまでになく過ごしやすい12月下旬であった。
4泊5日の滞在中は、連日、家族や親戚と集って「食べて飲む」の繰り返し。家政夫モハン去りしあと、インド家庭料理を毎日食べなくなったので、この冬は格別に、レストラン及び各家庭のインド料理をおいしく味わえた。
それにしても、自分の舌がインドの過激に甘い菓子類をなんの抵抗もなく受け入れてしまうことに驚く。この2年のうちにすでに慣れてはいたけれど、最近は「自ら欲する」のである。危ないのである。
ところでデリーの冬は、野菜がおいしい。冬ならではの、味が締まった野菜で作られる家庭料理はまた、格別であった。毎度おなじみマルハン実家の料理人ケサールのつくる料理のおいしさに、昼夜食べ過ぎてしまう。
ところで上の写真は、カーン・マーケットで撮影したもの。この八百屋はいつもディスプレイが美しい。右側にあるオレンジ色のブドウのような果物は、食用ホオズキを束にしたもの。これが甘酸っぱくておいしいのだ。
さて、デリー滞在の断片を、写真とともに、ざっと記しておこうと思う。
●バンガロール上空。エコノミークラスのときは通路側に座るが、今回はビジネスクラスにアップグレードできたので、窓際に座る。空から街の様子を眺めるのはとても楽しい。地形を地図と重ね合わせながら、知っている場所を目で追いながら。左端に見えているのはバンガロールの新国際空港。3月頃にはオープンするらしいが、どうなることやら。
●24日の朝。朝食をすませて空港に向かい、しかし機内でもついつい朝食を食べて、ランチは抜きでいいよね、と言っていたのに、マルハン実家では、ケサールの作る料理が何品も用意されていた。ついついたらふく食べてしまう。そしてとどめのデザートは、冬のデリーならではの赤いにんじんとミルク、バター、砂糖などで作る「ガジャル・ハルワ」。これがなんとも言えず、おいしいのだ。
●クリスマスイヴの夜は、学者なヴァラダラジャン一家と合流して、インディア・インターナショナル・センターへ。高名な科学者であるところのラグヴァン父がセンターに深く関わっているのだ。いつかも記したが、日本の現天皇陛下が皇太子時代、ここの礎石に名を記している。ラグヴァン父はサイエンスを通して天皇とも交流があった。センターでオリッサ地方のダンスを見た後、ダイニングで夕食。しかしながら、このセンターの、なんといおうか「質素」なたたずまい。いかにも学者の方々御用達のムードで、1960年代がそのまま残されている感じである。が、料理は結構おいしく、しかしわたしはランチを食べ過ぎて、ブッフェのサラダを軽く食べるのみ。
●かつてバンガロールに住んでいて、今はデリー在住のK子さん。日本へ帰国しているに違いないと思い込んでいて、連絡をしていなかったのだが、でも念のためとバンガロールの空港から電話をしたら、帰国は26日だと言う。ハズバンドは出張中でひとりだとのこと。彼女は我が家の家族とも面識があるので、急遽25日のランチにお招きした。アルヴィンドがバンガロールからわざわざ持参したサンタクロースの帽子を被っての記念撮影。
●あやし気な日本人形のごとき我。この着物、ラグヴァンのスタンフォード時代の友人(日本人女性)が、くれたらしい。すでに20年以上前のものだが、状態がよいのに驚く。というか、なんで着物? ラグヴァン、学生時代はハロウィーンのときなど、かなり張り切って仮装をしていたようだから、これも変装衣装として贈ってくれたのだろうけれど、それにしても、なぜこんな重量感のある着物なのか。まるで結婚式の衣装のようである。「ミホ、あげるから、着れば?」と言われるが、いったいどんな場所に着ていくというのだ。ハローウィンしかないではないか。ちなみに帯はない。どうしろというのだ。
●今日のランチもケサール作。野菜ばかりのヴェジタリアンながら、味わいにめりはりがあって退屈しない味。「ケサールが僕の子供時代にいてくれたら、僕はもっと野菜をたくさん食べて、今より背が高くなっていたかもしれない。残念だ」と、謎のコメントを口にするアルヴィンド。今は野菜をよく食べるようになったが、子供のころは嫌いだったらしい。
●食後はK子さんも一緒に、今年デリーにオープンしたばかりのショッピングモール、CITY WALKへ。お買い物が大好きな義継母ウマがしきりに勧めていたので、リサーチもかねて出かけることにしたのだった。K子さんも実は初めて訪れるのだという。そのスケールの大きさに、二人して感嘆する。まるで米国のショッピングモールのようである。欧米ブランドのファッションブティックやコスメティクスのショップなどがあちこちに見られ、インドにいるとは思えない様子。それにしてもクリスマスとあってたいそうな込みよう。コーヒーを買うにも長蛇の列で、人ごみが嫌いなアルヴィンドはご機嫌斜めであった。
●アルヴィンドのスーツを仕立てるためにテイラーへ立ち寄ったり、やはりアルヴィンドのインド服を購入するためにコンノートプレイスへ赴いたあと、ラグヴァンの実家、ヴァラダラジャン家へ。ラグヴァンの両親は、お酒やおつまみを出し、かいがいしくもてなしてくれる。夕食は北インド出身の料理人が用意してくれた北インド&南インドの料理。彼の料理がまたおいしくて、感動する。料理人の彼、昼間はコンピュータと英語の学校へ通っているのだという。それにしても、やはり我が親戚界隈は、「一般的なインド家庭」からはかけ離れていると実感。嫁であるはずのスジャータは、義母のロティカを手伝うでもなく、どっしりとソファーに腰掛けている。なにかちょっと手伝わなくていいのかと、わたしの方が少々気を揉むくらいである。一方ラグヴァン両親もまた、彼女に何かを強いるようなタイプではなく、みんな仲が良い。みながそれぞれに独立心があり、互いを尊重して干渉しすぎず、ほどよい距離感だ。ひいてはわたし自身も、マルハン家で一切気を遣わずにすんでいるわけで、インドだけでなく世界的にみても、この家族親戚の有様は珍しいケースだと思われる。本当に恵まれていると思う。
●ここでもまた、アルヴィンドが持参したサンタクロースの帽子で記念撮影。アルヴィンド、この帽子がよほど気に入っているらしい。それにしても、スジャータの「寒がり」ぶりは筋金入り。サリーの上にカーディガンを着て、さらにはストールでぐるぐる巻き。わたしとしては、少しも寒くはないのだけれど。
●26日はロメイシュとウマの結婚記念日だった。テーブルにはロメイシュからウマへのプレゼント、バラの花束が準備されていた。クリスマス前後のせいなのか、デリーの花屋のバラは、やたらとラメが散りばめられていて、妙にきらめいている。本当は、朝からマーケットへショッピングへ出かけたかったのだが、アルヴィンドとロメイシュがクリケットの試合に夢中で1時すぎまで出られず。早くから身支度を整えて準備をしていたウマ、「いつもこうなんだから!」と、結婚記念日なのにご機嫌斜め。
●家族揃ってスンダナガール・マーケットへ。いつものSWEETS CORNERでチャートを食べるのを楽しみにしていたのだが、驚くほどに味が落ちていた。家族一同がっかり。デリーへ来ると必ず立ち寄っていたのだが、この次は、かつて一度訪れたことのある、サウスエクステンションのスナック屋へ行くことにしよう。あの店のチャートはかなりおいしかったのだ。さて、気を取り直していつものお茶屋へ。MITTALとREGALIAという2軒が並んでいる。どちらもで味見をしたが、まずいチャートのあとで、お茶の味がどうにもピンと来ない。結局はいつものREGALIAでいつものダージリン、オーガニックのマスカテル(マカイバリ)を買う。しかし、去年より味がよくない気がする。その他、マサラチャイ用のスパイスティーや朝のためのハーブティーなども購入した。MITTALでは、お茶用の砂時計(3分、4分、5分用の3本が1つになっている)を購入。前々から欲しかったので、うれしい。
●やはり毎度おなじみの、ディリ・ハートへ。インド各地の工芸品が一堂に会する青空市場、のような場所である。バンガロールのアートスクールでもときどき工芸品展が開かれるが、これはその常設・拡大版のような場所。バンガロールで以前購入したサンダルウッド(白檀)のネックレスやペンダントを売る店も、ここに出ていた。
●わたしはサルワールカミーズ用のマテリアル(布セット)を2セット購入。それからアイボリーのシルク地に金糸で水玉模様が施された布を求めた。テイラーで好みのデザインの衣服を作ってもらおうと思う。
●左上は「象のフン」を素材にした紙製品の店。なかなかに洒落たデザインのノートや紙袋などが並んでいたが、しかしいくらきれいに加工されているからとはいえ、敢えて「象のフン」は、ねえ。いくらエコロジカルとはいえ。なんとなく、触るのも、躊躇われたりして。……と、前方に気になる店を発見。なんだか感じのいい紙製品が飾られている。
●このおじさん、ヴィジャイ・クマールさん自らが制作した「切り絵」である。目の前でデモンストレーションをしてくれたのだが、その見事さに目を見張る。少々高価ではあったが、相変わらずアーティストに値切るのは本意ではないので、言い値で右上のロータスの切り絵を購入。なにしろ「アルヴィンド」とは、サンスクリット語で「ロータス」の意味である。我が家に似つかわしい花なのである。自分で大きな色紙を購入し後ろに敷いて、額にいれようと思う。シンプルながらも味わいのあるアートになりそうだ。
●北インドの人々は、南インドの人々と、顔立ちも出で立ちも異なる。街で働く労働者の様子もまた。ところでインドの人々はなぜか「頭寒足熱の逆」でいく人が多い。デストロイヤーみたいなマスク(古い?)を被っていたり、正ちゃん帽のような毛糸の帽子(古い??)を被っていたり、即席シク教徒の如くマフラーをターバン風に巻いたりしている。そのくせ、裸足でサンダル履きだったりするからミステリアス。
●夫のスーツを仮縫いの段階で試着するべく、再びカーンマーケットへ。夜はアルヴィンド母方の親戚であるプリ家へ招かれている。花を買い求めに花屋へ入る。デリーの方が、バンガロールよりもはるかに花屋の数が多く、花の種類が多いのがうらやましい。ちなみにバラはバンガロールから来ているらしい。バンガロールにはバラ農家を起業した人がいて、去年だったか、オランダの花会社との合弁会社となって、事業拡大したとの話を新聞で読んだ。その起業家がバラ農家をはじめたきっかけは、「バレンタインデーに妻へ贈る花を探しに街に出たが、バラを見つけることができなかったから」だった。なんてスウィートなハズバンドであろうか。さて、わたしたちはバンガロールから届いたであろう黄色いバラの花束を、買い求めた。
●大輪の天竺牡丹(ダリア)の美しいこと。バンガロールのたとえば植物園などには咲いているのだが、花屋では見当たらない。我が家の庭の花々を、もっと充実させたいと思う。ダリアも植えてみようかと思う。
●カーンマーケットのカフェレストランで休憩。入った途端、ニューヨークにあるカフェレストランの匂いがして驚いた。ローズマリーのような香りと、コーヒー豆の香りとが入り交じっていて。外はまるきりインドなのに、店の中は国籍不明で。こういうちぐはぐな感じがまた、楽しくもあり。それにしても、右上のポスター、気に入った。コピーを読んで、二人して、笑う。
●プリ家の夕食。マルハン家にヴァラダラジャン家、それにアルヴィンドの従兄弟の妻、タヌーの一家が勢揃い。この日の夕食もまた、すばらしくおいしい。盛りつけられている銀食器もまた美しい。ニナ伯母によれば、彼女の祖母が英国で購入したもので、1900年代前半のものらしい。世代を超えて受け継がれて行くものに投資するこの国の伝統について、今回は、思うところ多く。たとえばスジャータの身につけているダイヤやルビーのイアリング、金糸の織り込まれた美しいサリー。それらはやはり、祖母から受け継いだものだったりもして。
それにしても、我がインド家族親戚の、自慢話としか聞こえないだろうが、アカデミックに優秀な人々ばかりが見事に揃っていることといったら。世界に名だたる英米の最高学府を経て、たとえば、最高裁の裁判官。高名な弁護士や学者。大学の教授。優秀なビジネスマン。優秀な実業家。あるいは社会事業での重責者。
そんな彼らを素直に尊敬できるのは、皆が揃って謙虚であり、やさしげであり、たいしたバックグラウンドのない異邦人のわたしに対しても、常に敬意を払ってくれることにもあるだろう。わたしの家族のこと、仕事のことを、興味深く聞いてくれる人々。アドヴァイスをくれる人々。
思い返せば、アルヴィンドに出会い、インドの家族と出会うまでの人生、わたしは真に尊敬できる人物と、出会い、接し合う機会がほとんどなかった。が、インドを通して、インド家族を通して、自分の世界が広がる出会いが続いている。
普段はヒンディー語で話す人たちも、わたしがいる場所では必ず英語で話してくれる。うっかりヒンディー語が出ると、「ミホがわからないから英語で」と訂正してくれる人。話を英訳してくれる人……。
そんな彼ら各々に、半生をインタヴューさせてもらいたいと思うことしきりだ。周囲に触発され、わたしも何か、自負できる何かを、もっと極めなければと思うのだ。
[E:bear]
かような次第で、実に楽しい、デリー滞在であった。年に一度、こうして家族や親戚と顔を合わせることの大切さを身にしみて感じた。
そうそう、現在米国のオースティン在住で、夫のMBA時代の友人夫妻(インド人)が、現在インドに帰省中でデリーの実家に遊びに来たのだった。
彼らもまた、インドへの凱旋を考えているらしく、しかし妻の躊躇が大きいようで、多分わたしの意見も聞きたかったのであろう、わたしたちはあまり時間に余裕がなかったのだが、「30分だけでも」という感じで、マルハン実家へやってきた。
わたしが彼らと顔を合わせたのは7年ぶり。二人ともあまり変わりなく、しかし二人の息子が生まれていて、家族は4人に増えていた。夫のビジネスに加え、子供らの将来を考えて、インドと米国、どちらに住むべきか、を検討しているようだ。
わたしはインド生活の善し悪しについて率直な意見を述べた。しかしながら、インド生活を楽しんでいる様子は総合的に身体全体から発散されているようで、妻の方は「どうしてそんなに、インド生活が楽しめるの?」と不思議そうである。しかも、「ミホの英語、すっかりインドのアクセントになっていて、かわいい」とさえ、言われてしまった。
自分でも、薄々気づいていた。この2年間で、すっかりインド的な英語が身に付いてしまったことに。米国のアクセントには染まらなかったのに、なぜインドのアクセントにはこんなにもたやすく染まるのか。謎である。
ところで、今回の旅を通して思ったのは、家族というものの存在。わたしたちは、あいにく子供に恵まれなかったが、そのことを改めて、残念に思えた。
わたしたちは子供がなくとも、十分に有り難い暮らしを実現できているが、そしていないからこそ謳歌できる生き方を選んでいるが、自分たちが築き上げている目に見えぬ精神的な世界観や溢れる愛情、そして目に見える財産を、将来受け渡す誰もないことが、惜しいと感じたのだ。
ずいぶんと先の話になるが、我々なきあとの財産は、慈善団体への寄付だろうか。などと今のうちから取り越し苦労を考えたりもする。
街にはあんなにも、貧しい子らがあふれかえっているというのに。うちに生まれてくれば、結構しあわせな人生が送れたに違いないのに。世の中とは皮肉なものである。
さて、バンガロールに戻りし翌日の昨日は、バンガロール郊外のアンサナ・スパへ。やっぱりこのスパは最高だ。アルヴィンドもわたしも、フェイシャル&マッサージのセットで極楽気分。行き帰りの渋滞が玉に瑕だが、それにしても行く価値はあると思う。
帰宅後の夕食は、しかし食材がない。
クリスマスパーティーの残りのおにぎりを冷凍していたのを解凍し、こうや豆腐を作り、インスタントみそ汁を作るという、いい加減な夕食。なにしろマッサージのあとである。込み入った料理はしたくないのである。
しかしながら、アルヴィンドは、
「ワオ! へアリー・トウフ(毛深い豆腐)、オイシソウ!」
と喜んで食べてくれる。我が家では、アルヴィンドの命名により、こうや豆腐は毛深い豆腐なのである。気持ち悪いのである。しかし喜んで食べてくれるのでよしとしているのである。
「インド料理ばっかりだったから、久しぶりに日本料理がおいしいね」
と、そんないい加減な夕食を喜んで食べてくれる夫。こんなユニークな人に巡り会えた運命に感謝しつつ。
2007年の幕が静かに下りようとしている。