夕べ、ムンバイから戻って来た。今朝は、家の雑事に追われていたが、ランチを終える頃には落ち着いて、さて、仕事をはじめようと思うのだが、なにかしら集中できない。
熱い紅茶と、そしてビスケットを携えて、ダイニングルームへ。書棚の一隅、日本人の知り合いから貰っていた雑誌の山。そろそろ処分しようと思っていた中から一冊を引き抜く。
日経ビジネスのASSOCIEという雑誌。2005年の6月号とある。古い上に、以前、目を通した雑誌だが、なんとなく気になってぱらりと開いたそこに、「ミキイズム」というコラムがあった。
タイトルに「ボランティア精神を持とう!」とある。
読み進めていくうちに、あいたたた、と思う。
シンクロニシティ(共時性)、と呼ぶほどのことではないかもしれないが、しかし、そう思わずにはいられない。
実は今日、仕事が手に付かなかったのは、先だってのルーベン牧師が運営しているチルドレンセンターへ行くべきかどうか、逡巡していたからだ。
目下のプロジェクトが一段落してからにしようか。いや、仕事が一段落するのを待っていたら、いつまでたっても先延ばしだ。などと、柄にもなくだらだら考えていた。
即行動に至らなかったことに関しては、それなりの理由があったのだが、「ともかくは、つべこべ言わずに行ってみよう」と思わせてくれる、それは明快な文章であった。
子供たちは5時ごろ学校から戻るので、そのころにいらっしゃい、といわれる。
ご自身は別のセンターへ出かけるが、息子がいるから息子と話をしてほしいとのこと。
雨がそぼ降る中、車はがたがたと状況の悪い道路を走り抜けて、行く。
煩雑に込み入った、住宅街の一角、我が家からはしかし車で10分ほどもかからない至近距離に、そのセンターはあった。
背後から、ルーベン牧師の奥さんフローラが出て来た。そうして息子のジム、小さな女の子を抱きかかえた娘のサビーナも出迎えてくれた。
アガペが行っているミッションについては、以前、このブログでも触れた通りである。ここは、女の子ばかりを集めたチルドレンセンターで、男の子ばかりのセンターは、また別の場所にあるとのこと。
ここでは5歳から15歳までの女の子が19人、そしてサビーナが抱いている1歳半の女の子が1人の合計20人が、ルーベン牧師一家と家族同様に暮らしている。
わたしは今日、ここに来て、子供たちがどういう風に暮らしているのか、ということを、まずは知りたいと思っていた。その上で、わたし(たち)に、何か支援できること、手伝えることがあれば、そのアイデアを仰ぐ。
望まれていないところに、お門違いの善意を押し付けるのはいやなので、自分の目で、何が望まれているのかを確かめたい。
こぢんまりとしたオフィスのような所に通され、しばらくジムから話を聞いた。フローラはあまり英語ができないようなので、ジムが父親がわりに説明してくれるのだ。
彼は現在、カレッジに通う20歳。ビジネスを学んでいるが、将来は父の仕事を受け継ぐのだという。一方17歳のサビーナは、ストリートチルドレンの心理をより理解するため、心理学(サイコロジー)や社会学(ソシオロジー)の勉強をはじめたばかりだという。
抱えている1歳半の女の子は、生後5日目、市場に捨てられていたのを、教会の関係者が連れて来たのだという。他の子供たちは、教会を通して預けに来られた子供もいれば、ルーベン牧師はじめスタッフが、ストリートから「拾って来た」子どももいる。
「ここの子供たちは、僕や妹が育てられたのとまったく同じように、育てられています」
特にサビーナにとって、女の子たちは自分の姉妹同然のようである。
「孤児院の子供たちと、ストリートチルドレンは、明らかに違います。ストリートチルドレンへのしつけは、想像を絶するほど難しいのです」
と、ジムは続ける。孤児院の子供たちは、幼少のころから管理された場所で育っているケースが多いが、ストリートチルドレンは、「道」が住処で、自由だ。
拘束されることを嫌い、子ども同士で徒党を組む。当初、教会でストリートチルドレンの面倒を見始めたばかりの頃は、トラブルの連続だったという。
なにしろいうことを聞かない子供たちに、まず教師役のスタッフたちが参ってしまう。堪忍袋の緒が切れたスタッフが体罰を与えたところ、子どもたちは徒党を組んで脱走したこともあった。
彼らが「一筋縄ではいかない」ということは、彼らの様子を少々見ていれば察しがつく。自由に街を生きている子供たちが、規則正しく管理されて、たとえ衣食住が与えられたとしても、たちまち従順になれるとは思えない。
紆余曲折を経て、結果的に、こうして限られた人数の子供たちと「家族同様に暮らす」ことになったのだという。
「男の子よりも、女の子の方が、難しいです。女の子をしつける方が2倍たいへんだといってもいいくらいです。女の子同士でいじめ合ったり、中傷し合ったり、いろいろと厄介なんですよ」
つまりは、ここにいる女の子たち20人にも、かなり手を焼いて来ているようだ。それでも彼らの一日は規則正しく、今は問題なくセンターが運営されているとのこと。
<午前>
6:00 起床 礼拝
6:30 身支度を整える
7:00 勉強
8:00 朝食
8:30 登校
<午後>
4:30 帰宅 テレビを見たり、スナックを食べたり、自由時間
6:00 勉強
7:00 礼拝
7:30 夕食
8:00 テレビなど
9:00 就寝
わたしが訪れた時間は、ちょうど帰宅したばかりの「自由時間」である。
みなが集まるリヴィングルームのような場所へ案内してもらった。女の子たちはあっという間に集まって、床に腰掛ける。みなきらきらと輝く大きな瞳で、わたしを見つめている。わたしは自己紹介をし、それから彼女たちにも自己紹介をしてもらう。
みなはきはきと、自分の名前と年齢を教えてくれる。中には立ち上がって演説をするように話す子もいる。それにしても、利発そうな彼女たちの表情。
「わたしは英語の勉強が好きです」
「わたしは、カナラ語(地元言語)の勉強が好き」
個人差があるものの、みな、英語は少し、わかるようだ。
わたしは、自分が来た国や、夫がインド人であることなどを話す。
「わたしは歌が好きです」
という女の子がいたので、それでは何かを歌って、と頼んだら、皆が一斉にヒンディーによる賛美歌を歌ってくれた。今度はわたしに日本の歌を歌えという。
「朧月夜」を歌った。
「歌って」と頼む割に、半分ほどの女の子は、視線があちこちにさまよっていて、上の空。ちゃんと聞きなさいよ。と思うが、実際、つまらないのか。
今度はインドの国歌を歌ってくれるという。国歌は立ち上がって、歌う。聞く方も、立ち上がる。歌い終わったら今度は、「日本の国歌を歌ってくれ」という。
「君が代」を歌う。やっぱり、半分ほどの女の子は、聞いちゃいない。こらこら、ちゃんと聞かんですか。
そんなこんなで30分ほど過ごしたか。最後はみんなで記念撮影。皆と握手をして、別れた。この写真は、プリントして、近々届けようと思う。
わたしに何ができるか、ということばかりを考えていたが、またここに遊びに来たい、いう気持ちにもさせられた。普段子どものいない暮らしをしているわたしにとって、この元気に満ちた少女たちのようすは、新鮮でもあり。
ともあれ、「何ができるか」については、改めてルーベン牧師と相談することになりそうだ。尤も、彼女たちはすでに、「恵まれていない子供たち」ではない。ルーベン牧師一家の愛に育まれている。
この界隈には、まださまざまな慈善団体がある。折にふれ、足を運び、自分の目で、さまざまを確かめてみたいと、改めて思った。