遥か紀元前2000年を遡る古(いにしえ)より、受け継がれて来た刺繍。インドでは、地方や民族、コミュニティによって、それぞれに、独自の刺繍文化が栄えて来た。
その一端を知るべく、刺繍の研究家によるレクチャーを受ける。インドの刺繍糸は、従来から野菜など天然の染料で染められており、素朴ながらも力強く鮮やかな色彩だ。
ミラーワークが印象的な遊牧民を起源とするラバリの刺繍、動物たちをモチーフにしたシンプルなアヒ刺繍。貝やタッセルを使ったジプシーを起源とするバンジャーラの刺繍。
そして、ここでも幾度か紹介してきたチカン刺繍、カンタ刺繍。その他、ダンワリ、カッチ、バンニ、フルカリー……。
ミラーワークは、子どもを「悪魔の目」から守るために施されたのだといった話や、ダウリ(持参金)のかわりに、刺繍製品をたっぷりと作り、嫁入り道具にする民族があるのだという話などを聞きつつ、刺繍を通して垣間みるインドの多様性。
本日、目にした刺繍製品の一例を、取り敢えず掲載しておこうと思う。
●テロのその後。ついにはSEA LOUNGEも再開
2004年4月。初めてムンバイを訪れ、初めてTHE TAJ MAHAL PALACEに泊まって以来、このホテルのことをとても気に入っていて、中でもオールドウィングにあるSEA LOUNGEは、館内で最も好きな場所だった。
窓辺の席に座り、インド門やアラビア海を眺め、周辺を行き交う人々を眺め、一方で、優雅なひとときを過ごすラウンジの人々を眺め、清濁、貧富、入り乱れるムンバイを眺め、あれこれと思い巡らせながら。
昨年の11月26日のテロにより、多くの命が奪われ、甚大な被害を被ったこのホテルは、しかし徐々に再建へ向けての作業が進められ、5月にはこのSEA LOUNGEも再開していた。
なかなか足を運ぶ機会がなかったのだが、今日、ようやく訪れ、一人でゆっくりと、午後のひとときを過ごしたのだった。まるで何事もなかったかのように、あのテロが、まるで夢の中の出来事のように。
以下は、昨年のテロの直後にTHE TAJ MAHAL PALACEの写真や映像を組み合わせて作ったもの。改めてここに貼りつけておく。ちなみにWASABIはまだ、営業を再開していない。(←と思っていたのだが、最上階のランデブーにて、すでに営業していました!)
●出会ってから13年記念日と、算数&数学の問題。
妻「おめでとう!」
夫「え? 何が?」
毎年、朝目覚めたら、一応、おめでとう言ってみる。すると、なにがめでたいのか覚えていない夫が動揺する。
「あ、そうそう、今日はインドで結婚式をやった日だね! おめでとう!」
違うっちゅ〜に。
その頭脳の出来具合と学歴を鑑みるに、どう考えても数字に強いはずの夫である。
にも関わらず、なぜ小学5年の算数の、「速度」や「割合」で小さな挫折を見たのをきっかけに、その後、「方程式」「関数」「因数分解」で、中ぐらいの挫折を見、中学、高校とで数学全般ぼろぼろとなり、だましだまし生きて来たわたしよりも、その簡単な数字の並びとその意味を覚えられないのだろう。
覚えたくないんだろう。
覚えたくないにしてもだ。
そこまで忘れることもないだろう。
ちなみに彼は、自宅の電話番号や郵便番号などもなかなか覚えず、いつもわたしに聞く。わたしはいざというときのために、大切な電話番号などは記憶しておく習慣があるのだが、彼は携帯電話のメモリー機能に頼りっぱなしなのである。
……と、折しも、夫が今、神妙な顔つきで、ドキュメントを見ている。そこには無数の数字が並んでいる。
「ねえ、アルヴィンド。その数字、何?」
「明日の打ち合わせに備えて、データを覚えてるんだよ」
「すぐに覚えられるの?」
「いや、覚えられない。だから何度も見直すんだ。僕は、数字を覚えるのは嫌いなんだよ」
「え〜そうなの? でも学生時代は、数学が得意だったんでしょ? 今だって数字を扱う仕事じゃない?」
「僕が専門にやってきたのは、ロジック(理論)や分析。そっちは得意でも、覚えるのはまた別問題。覚える仕事は、会計とかそっちの方だよ」
「仕事でも、数字を覚えればいいってもんじゃないんだよ。ちょっと邪魔しないで」
……! そうなんですか??!!
誕生日や記念日や電話番号を覚えるのが苦手なばかりか、他の数字の記憶も苦手だったとは!!
今更ながら、わたしは何だか、勘違いをしていたようである。というよりは、無知だったようである。頭脳明晰な人とは、記憶力の善し悪しが大きく影響していて、ことに理数系においては、などと思い込んでいたが……。
学問的優秀は、機械的な記憶力の問題ではなく……、勉強とは、もっと方法論を突き詰めて、行うべきことだったのかもしれない。
そんなことは、実は漠然とだが、わかっていた気がする。わかっていたが、実践にはなんら、移せなかった学生時代だった。
たとえ時間がかかっても、「質問」→「答え」に急ぐのではなく「質問」→「プロセス(課程)」→「答え」といった具合に、プロセスを経て、そのプロセスを理解した上で答えに至るべきだったのだろう。
その理由付け、分析力が備わっているからこそ、数字を「丸覚え」するのではなく、導きだすことができたのだろう。
わたしはあまりにも、当たり前のことを書いているだろうか。
ともあれ、漠然とだが、わたしは夫に対して勘違いをしていたということに、改めて気がついた。バックグラウンドも、業種も、なにもかも違うわたしたちだが、実は似ているのかもしれない。
「インド式算数」が、一時日本でも流行っていたようだが、流行の方向性が、大きく間違わないことを祈るばかりだ。
さらに言えば、「インド人は二桁のかけ算を暗記している」などとまことしやかに言われているが、そんなことはない。そんな人もいるかもしれんが、夫が覚えているのは12×12くらいまでである。
ちなみに、超優秀なサイエンティストである義兄ラグヴァン博士でさえも、「14×14程度までは暗記しているけど」とし、「そんなにたくさん暗記する意味、ないし」と言っていた。
暗記ではなく、ロジック(理論)によって、頭の中で計算し、答えを導きだすことはできるという。
わたしが「算数が苦手」だと感じるようになったのは、小学校5年の、ある算数の授業での、担任の先生の、今考えたら本当に、あり得ないほど忌々しい「宣言」が理由だった。
あの日から、わたしの中で「算数は、苦手な科目」として刷り込まれてしまった。いいわけのようだが、子どもにとって、先生のネガティヴな言葉は、その人の将来を大きく左右する威力がある。
あのとき、27歳の男性教師は、なにを根拠にあんなことを言って、子供たちを恐怖に陥れ、算数嫌いの子供たちを作ってしまったのだろう。話が長くなるので、具体的な先生のコメントを記すのは控えておくが。
算数だけではない。あらゆる面で、わたしは彼から冷酷な仕打ちを受けた。そのときは、自分が欠陥のある人間だとしか思えなかった。人に対して思いやりのない、協調性のない、自己中心的な悪い人間だと。そして実際、そうだったのだろう。
「生徒の力を伸ばす」のではなく、「可能性を根こそぎ叩きつぶす」ような人だった。いかん。30年以上も前の話が、鮮明に蘇りすぎた。
話が大いにそれたが、出会い記念日である。今夜は夫の好物であるところのチキンカツをたっぷりと揚げ、「出会い記念日」を祝したのだった。食後は、マンゴー(チョーサー種)をデザートに。
ちなみに我々の出会いのいきさつに関しては、3年前の記録に残している。
あの3年前から、もう3年もたってしまったのか。
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。(by 松尾芭蕉)