2日間に亘って行われたゴアでの結婚式。すべてのファンクションを終えて今、我々夫婦、2泊延長で休暇中だ。義理の両親も招き、ビーチリゾートにておまけヴァカンスを楽しんでいるところである。
まだ寒いヒマラヤ界隈の北インド。そして太陽の日差し降りそそぐ南西インドの海辺の街、ゴア。この二つの地で繰り広げられた結婚式を巡る旅は、稀有な経験となった。
この結婚式を通して、家族や親類と再会した。新しい人々と出会った。旧交を温め、親交を深めた。
絆。宗教。伝統。慣習。守られるべきこと。貫かれるべきもの。自分たちの出自。アイデンティティ。心の寄る辺……。
10日余りの間に経験したあれこれを通して、思うところは数多あり、それについてはまた、旅を終えて一段落して、綴ってみたいと思う。
さて、ゴアでの結婚式ファンクションについてを、とりあえずは2回に分けて、記しておきたい。
※この結婚式の一部始終を、ブログや新聞などの記事にすることについては、あらかじめ新郎新婦の了解を得ているので、念のため。
■結婚式ゲストご一行様、ゴア空港で再会!
デラドゥーンからバンガロールに戻り、ドタバタと雑事を片付けてのち3日後、ゴアに向けて出発。バンガロールからは1時間ほどのフライトだ。
飛行機を降りるなり、湿気を帯びた暑い空気に包まれる。摂氏31度。今が最も過ごしやすい時期のようだが、すでにかなり暑い。
デラドゥーンが寒すぎず、ゴアが暑すぎない、双方の土地の快適な時節が選ばれての結婚式であったのだと、改めて思う。
ゴア空港は「懐かしい感じ」が漂う古い建物で、雑然としている。デリーから、義理の両親やその他のゲスト数組も同じタイミングで到着。
デラドゥーンで2泊3日を過ごした他のゲストたちとも、すでに顔なじみで、親しげに挨拶を交わす。空港界隈の喧噪、埃っぽさに辟易しながらもタクシーを待ち、リゾートへと向かう。
今回、最初の2泊は、新郎クリント側の家族が手配してくれているホテルに泊まり、その後2泊は自分たちの休暇向けに別のホテルを予約している。
どちらもアグアダ・ビーチと呼ばれるところにあり、徒歩で行ける距離に位置している。ホテルの詳細はまた別に記すとして、南国ゴアらしい風景のなか、40分ほどのドライヴだ。
ゴアへ来るのはこれで2度目。初めてのゴアは7年前だったか。インドに移住する前に訪れた。やはり同じ場所にある、TAJグループのフォート・アグアダ・ビーチに滞在したのだった。
つつがなく、ホテルに到着。コテージというよりは、大きめの1軒家。それらがいくつも並んでいる。各家を家族ごとにシェアして滞在する。
左上の写真が、わたしたちの滞在した家だ。内装や設備などは至って「普通」だが、眺めもよく気分がいい。
連日の睡眠不足(基本、8時間が理想。寝過ぎ?)につき、若干疲労感が漂う我だが、ウェルカムドリンクで生き返る。
宿はキッチンも備えられた「滞在型」。長期休暇で訪れるには好適のリゾートであろう。今回の我々には必要のない設備ではあった。
ちなみにバナナ、黒ずんでいるように見えるだろうが、これが「普通のバナナ」である。
防腐剤が使われていないのであろうインドのバナナ。
あっという間に熟れて、油断するとすぐに黒ずむ。そのかわり、非常に美味である。
ゴアの名産であるカシューナッツも入っている。ゴアのカシューナッツは美味かつ廉価なのだ。
さて、こちらは結婚式グッズ。本日のファンクションは「カジュアルに」が強調されている。男性はこのオリジナルTシャツにルンギ(腰巻き)を、女性は赤いバッグを持参くださいとのこと。
虫除けや日焼け止めのクリームなども添えられている。それからここ2日間のプログラムも。
東インド式結婚式。クリント一家の属するEAST INDIANのカソリックのコミュニティの誕生は、ポルトガル人がムンバイに上陸したころ、つまり400年以上前に遡るという。
宗教、生活習慣、食生活、言語(ポルトガル語)……。当時から引き継がれたさまざまが、これからもまた引き継がれていく。
■本気でカジュアルな海の家にて。東インド式の儀礼など。
さて、初日の夜のファンクションだが、「ビーチ・カジュアル」といわれても、どこまでカジュアルにすりゃいいのか、もはや見当がつかない。
デラドゥーンの2日目は、カジュアルといいながらも、みんなおしゃれだったし……。
しかし男性がTシャツにルンギなのに、女性だけがギラギラするのもなんだろう。
悩んだ末、米国で購入した普段着感覚のワンピース着用。
いただいたカゴバッグがよくお似合い。
本当に、こんな格好でいいんだろうか。会場は、本当にカジュアルな場所なんだろうか。
少々の懸念を抱きつつ、家族揃って会場となるビーチへ。
そこは、間違いなく、カジュアルすぎるほどにカジュアルな場所であった。いわば「海の家」である。この気楽さ。むしろ好感が持てるというものだ。
入り口の露店で帽子を買いたいという夫。なぜ? という疑問はさておき、欲しいらしい。が、その前に、はだけたルンギが気になる。
念のため短パンを履いているが、基本、ルンギの下は裸である。ルンギを、店の人に巻き直してもらう夫。
ここでいったい、どんな「東インド式結婚の儀礼」が開催されるのであろう。
結局は楽団が繰り出して、踊って練り歩いてなんだかんだ、なのであろうか。
ともあれ、いつものように、バーカウンターでドリンクを受け取り、スナックをつまみつつ、カクテルタイムだ。
下の写真は、ゴア風のサリーを着ているガールズ。着やすいよう、ひだなどがあらかじめ縫い付けられているようだ。パンツルックのような独特のシェイプである。
ランジャン叔父と夫。ルンギの柄はそれぞれに異なる。巻き慣れていないせいか、どうも似合わない二人。
右上の野菜。「東インド的盛り合わせ?」と聞いたら、単なるデコレーションだとのこと。
アラビア海に沈む夕日を眺めながら、グラスを片手に人々と語り合う。スコットランドから来た人がいれば、オランダから来た人がいる。ポルトガルから来た人もある。
その国オリジンの人もいれば、NRI(印橋)の人もいる。デラドゥーンのときも思ったが、これは結婚式という名をかりた、小さな国際交流の場のようでもある。
さらには、今まで遠かった親戚たちが、とても身近に感じられる。
これまで無縁だった新郎の家族たちもまた、すでに「遠い親戚」となったわけで、これはまた、奇妙ながらも楽しい感じである。
「海の家」も夜になりライトアップされることには「いい感じ」のムードだ。さて、すっかり日が暮れてようやく、楽団到着。またしてもリズミカルな音楽が打ち鳴らされて、みな、海の家の入り口へ。
新郎クリントの母、元ミス・インディアは、本日、ゴア式サリーを着用だ。
さて、まずは新郎家族が、新婦家族のいるところ(海の家の中)へと向かい、新郎の父が新婦の父に「お嬢さんをください」と乞う。許可を得た後、「井戸の水」を汲みに行く。
井戸の水は、独身の若い女性が、マンゴーの葉を入れたポットの中に汲み入れる。新婚の二人は翌朝、その水で沐浴する……。
というのが、東インド式の伝統的な「結婚の儀式」の一つであるようだ。教会での挙式は明日、正式に行われることになっており、これはなんとなく「土着的な儀式」である。
楽団の演奏のもと、傘を捧げられた新郎が、まずは新婦のもとへと向かう。
花の上に座らせれている新婦アースタ。その傍らで新郎の父が新婦の父アロークに、「お嬢さんを我が家にください」と乞うている図。
新郎家族の願いがめでたく受け入れられてのち、双方の家族でプレゼント交換。果物や穀物など富と繁栄を象徴するものが用いられる。米国のサンクスギヴィングデーを思い出させる。
その後、花嫁は義理の母に初めて「お母さん」と呼ぶ。新郎新婦は相合い傘に入り、みなに率いられて「井戸水」を汲みにゆく。
未婚(処女)の若い女性、マンゴーの葉、素焼きのポット、井戸水、傘などが、この儀式の象徴的なキーワードのようだ。
井戸水を汲み終えて、二人して「海の家」のステージに戻り行く様子。ヒンドゥー式を含めれば、これですでに3度目の儀式である。明日の教会を含めて4回。見ている方も「なにがなんだか」という価値観の混在だ。
なぜか男友達による、水やらソープやらによる攻撃を受ける。
これが伝統的な儀式とは思えぬが、一同は盛り上がるのだった。
こうして一連の儀式を終えた後、音楽は続けられ、またしても、飲んで踊りまくるのだ。
しかし、ここでまた「インドの結婚式らしからぬ」出し物が登場。
本日は女性大道芸人による火のパフォーマンス。
延々と続く火の踊りを、じっくり見る人あれば、好き勝手に飲んでいる人もいる。
いつものように、給仕がスナックをサーヴしてまわっているが、珍しいのはカラフルなパプリ(揚げ菓子)。巨大なそれがこの地の特徴らしい。
スナックよりも、早く夕飯を食べたいと思うが、インドの宴の食事とは、どんなに早くても10時を過ぎる。遅く食べる習慣というよりは、単に準備がとろいだけなんじゃないかと思う今日このごろ。
見ていると、本当に、段取りが悪い。仕切りたくなる。あらゆる場面で仕切りたくなること山のごとしである。
しかしながらここは、段取り悪くて上等。なインドである。突っ込みたいことごまんとあるが、我慢すべし。
それにしても、この新郎新婦とその家族のタフさといったらない。儀式の一部かなんかしらんが、自分たちがまずは率先して踊る。しかも、派手に踊る。元ミス・インディアはお尻をふりふり、その夫はお腹をペロンと出したりして、もはや宴会芸。その後みなもステージに上がり、踊る。
もう、踊るしかない。踊るしかないのだ!
ゴア式サリーを着て、踊りまくるアースタとその母ニラ。ニラもいい加減、お疲れに違いないが、踊り続けている。「がんばれ!」と、折り返し地点を通過したマラソンランナーに声をかけるがごとく、の思いだ。
そしてようやく、ディナーの準備が整い始めた。「始めた」というのは完了していないからだ。が、もういい。悪酔いする前に、揚げ物で胸焼けする前に、なんかさっぱりしたものを食べたい。が、そんなものはない。
この地独特の鴨や豚の料理など、やたら油脂がこってりな料理がメインだ。口当たりがいいところが危険。
海辺の地ゆえ、エビのグリルなども用意されているが、しかしなぜだか肉の方が多い。
新郎クリントの母により用意されたというゴア独特のお菓子の数々。ホットケーキミックスで作った揚げドーナツのようなものや、朝鮮飴(熊本銘菓)のようなものなど。
こってり食事を終えて後も、甘いお菓子を食べる「別腹健在」なインドの人々。老若男女問わず、食べる。よく食べる。「辛党」「甘党」の別などないのだ。
ちなみに右上の菓子、Bebincaが最もおいしかった。これもゴアならではのスウィーツ。ミル・クレープのような食感だが、ギー(精製バター)とココナツミルクが用いられている。
ポルトガルのゴア料理レストランでも出されるスウィーツらしい。家でも作れそうだ。
ポルトガルといえば、素朴スウィーツの王国だ。かつて夫とリスボンを訪れたとき、カステラの起源である「パオン・デ・ロー」を探したものだ。
なにしろカステラは夫の好物。そのオリジンとあっては、探さずにはいられなかったのだ。懐かしい思い出だ。
デザートを食べて後も、みなは飲んで踊って、しかしバンドの音楽も11時を過ぎた頃には、少しヴォリュームが落とされた。きっと規制があるのだろう。さもなくば、世間も迷惑だろう。
わたしたちは11時半に退散。しかし最後の人々は1時ごろまで踊り続けていたようである。
今日も今日とて、お疲れさま!
さて、教会での結婚式とフォーマルなパーティについては、明日、更新したい。