2月25日金曜日。遂には、わたしたちにとっての、結婚式イヴェント最終日を迎えた。
彼らの最後の祝宴は日曜日。二人が暮らす南ムンバイにて、友人や仕事の関係者などを700人以上も招き、盛大に行われるようだ。
今までのファンクションは家族や親戚、親しい友人らを招いての、「コンパクトかつ濃厚な企画」であった。日曜日こそが、日本の結婚式にも似た「ビジネスや社交」を重視した披露宴となるようだ。
鳥たちのけたたましい鳴き声と、カーテンの隙間から鋭く差し込む朝日で目が覚めた。
連夜、踊りまくっている上に、夜遅い食事その他で、胃腸とお肌の調子が今ひとつ。それに加え、サンダルで踊りまくるから、足が痛い。サリーの下に、いっそ運動靴でも履きたいくらいだ。
踊っても疲れないおしゃれなサンダルが開発されればいいのにと思う。インド市場向けに。
それにつけても、なんにつけても、インド生活は体力勝負であると実感する。
本日は午後3時半より教会での挙式、そして午後6時より披露宴の開催となっている。従っては午前中は、近所を散策するなど、ゆっくりと過ごす。
散歩しながら、フォートの見渡せる海辺へ。海風が、本当に心地いい。高原都市のバンガロールもいいけれど、海はやっぱりいいものだ。
福岡、下関、東京、ニューヨーク、ワシントンD.C.、カリフォルニア……。ずっと海から近い場所に暮らしてきた。ムンバイもまた。
なのに、内陸なバンガロールに居を構えることになったご縁とは、なんだろう。きっと旅を続けよ、ということなのだろう。そこを拠点に。
翌日より泊まることになっているホテルへ足を運ぶ。ここのダイニングが貸し切られていて、出席者一同がブランチを楽しめるよう、とりはからわれていたのだ。
ダイニングルームでは、親戚や、顔なじみとなった人たちと挨拶を交わす。義理の両親、そしてゴアへは、デリーから一人で来ているランジート叔父と、テーブルを囲む。
日本企業との取引も多いことから、日本を訪れたことが何度もあるランジート叔父。
「僕は正直なところ、日本料理は苦手なんだ。
みそ汁。あれはどうしても好きになれない。
でも、日本で食べるフレンチやイタリアンはすばらしい。
プレゼンテーションは繊細だし、ヴォリュームもちょうどいい。
上品な味付けで、むしろ本場よりも口に合ったよ」
日本では、きっと名店ばかりに案内してもらったのに違いないが、確かに叔父のいうことはわかる。
醤油風味が勝る日本料理よりもむしろ、日本の欧州料理の方が、口に合うということ。
食のあれこれについて、熱く語り合っているうちにも午後2時。そろそろホテルへ戻って、教会挙式に参列するために着替えねばならない。
さて、本日は挙式もその後のパーティも「フォーマル」である。サリーとドレス(ワンピース)、念のため両方を持参している。
悩んだ末に、ゴアの青空のように青いサリーを選ぶ。着用頻度がかなり高い、鶴の舞うお気に入りのサリーだ。
MAE DE DEUS CHURCH。聖母マリア教会。ゴアにある無数の教会の中でも、最も古い教会の一つだという。
教会は至るところ、麗しい花々で彩られ、なんとも美しい。中に入れば、ゴアの職人の手による黄金色の祭壇がまばゆく、ブルーとのコントラストが鮮やかだ。
教会では、祭壇に向かって右側が新郎側の、左側が新婦側の席となっている。わたしたちは、左側に席を取る。
12ページに亘るそれには、式の流れと讃美歌などが丁寧に記されている。
やがてバンドが入り、演奏に伴って、新郎新婦とその家族の入場である。
まずは新郎とその母ウェンディの入場だ。
夕べのゴア風サリー姿とは打って変わり、エレガントなウェンディ。ドレスの後ろ姿、裾のドレープがすてきだ。
次いで、アースタとアローク叔父の登場。アースタ。ウェディングドレスもまた、本当によく似合っている。きれい!
さて、神父たちが登壇し、いよいよ挙式が始まる。神聖なる式の最中には、写真撮影を控え、式に集中である。立ったり座ったり、話を聞いたり歌ったり、を何度も繰り返す。
まずは新婦の両親が、家を模したものを両手に捧げて祭壇へ向かう。次に新郎の両親が聖書を、そして新婦の叔父夫婦(ニラの兄とノルウェー人の妻)が、マンゴーの葉、ココナツの実、トウモロコシの入ったかごを祭壇へ。
その後、夫婦が誓いの言葉を唱える。
富めるときも貧しきときも、病めるときも健やかなるときも、死がふたりを分かつまで……。
の言葉を、新郎新婦がそれぞれに、唱える。
そして、神父の言葉。
Will you accept children lovingly from Goa and bring them up according to the law of Christ and His Church?
この問いに、アースタが Yes, I will.と答えた瞬間、胸が詰まった。
古来から結婚とは、こうして女性が男性側に嫁ぎ、男性側の宗教や慣習を引き継ぎながら、延々と人間の歴史を刻んできたのであろうことが、痛切なほどに感じられたのだ。
あれだけ派手に、ヒンドゥー教の儀式をやったとしても、しかしアースタは、キリスト教に沿って、これから夫婦で暮らし、子供を育んでいくのだろう。
多分。
わたしは結婚しているけれど、果たして本当に、きちんと結婚しているのだろうか?
そんな気持ちにさせられたのだった。
神父を前に、神聖な儀式を交わしている二人を眺め、しみじみしている瞬間、外で激しい爆竹の音が鳴り始めた!
「誤爆」のようである。
本来は、式を終えて二人が外に出たときに鳴らされるべきであったのだろう爆竹百連発だか二百連発が、誰にも止められない勢いで鳴り続けている。
いったい誰が火をつけた?
ざわめく教会内。眉間に皺を寄せる神父。
インドだもの。
教会の前には、花々で彩られたクラシックカーが。何から何まで、すてきな感じである。あ〜わたしも、こういうの、やってみたかったな〜と、うらやましがる結婚10年目。
左下写真のおばさまは、洋服のときもサリーのときも、独特のファッションがとてもすてきだった。黄色一色のサリーはかなり珍しい。それがまた、よくお似合いなのだ。
わたしのサリー姿など、やっぱりどうでもいい気がするが、ランジート叔父との一枚が、非常に写りがよくて気に入った。これくらいの身長差があると、並んで写ってもバランスがいいものである。
新郎新婦を見送って、さて、我々も披露宴の場所へ移動すべく、駐車場へ……。と、駐車場の一画の、アイスクリーム屋台の前に群がる人々。
スーツ姿の男性たちも、ドレス姿の女性たちも、老若男女問わず、そろいもそろってペロペロペロペロと、アイスクリームをなめておる。
あんたらは、子供かい!
と突っ込まずにはいられない。が、
「ミホ〜! ミホもひと口食べる〜?」
と、すかさず1本をゲットした夫のアイスを奪う我。
うまい!
ひと口どころか、きっちり半分いただく。
結婚式の後のアイスクリームは格別だ。
郷に入れば郷に従うのである。
そんな次第で、アイスクリーム屋、本日の仕入れ、完売。短時間、ピンポイントで効率よく、賢い商売人である。
■そして最後の祝宴。フォーマルでも、やっぱり踊る。ひたすら踊る。
そして、最後のファンクション。TAJ VIVANTAの海を望む丘の上のガーデンで、パーティである。
フォーマルなパーティ、とは名ばかりで、ただ、場所の雰囲気と人々の服装が変わっただけの、結局は、飲んで踊って食べるが基本の宴ではあるのだ。
左の女性は新婦アースタ側の親戚。つまり我々の、遠縁でもある。デリー在住の彼女はウェディングプランナーでもあり、デラドゥーンでのイヴェントを取り仕切っていた。
ところで彼女が着ているサリーが見事! 写真ではよく見えないが、わたしが好きな非常にクオリティの高いチカンカリ刺繍が全体に施されている。
先日、ムンバイのホテル、TAJ MAHAL PALACEで見つけた「史上最高に精緻」なものと酷似している。やっぱり欲しくなった!
が、こうして遠目に見ると、よくわからんのよね。単に白っぽいサリーって感じで。ううむ。悩ましいところだ。
さて、新郎新婦が入場しての、ケーキカットである。が、「ピサの斜塔」と化したケーキが、今にも崩れ落ちそうで、気が気ではなかったわたし。早いところ、カットしてくれ。
の瞬間に、赤い紙吹雪が舞い上がって、きれいね〜!
吹雪すぎだってば!
前が見えんってば!
その後、新郎クリントの親友からのスピーチが披露される。これまた、インドの結婚式にはあまり見られぬ(はず)のカジュアルな、ユーモアの入り交じったものであった。
子供の頃からの25年来の友人が、8人も参加しているという。伝統的な結婚式を執り行いながらも、「新しい空気」があることを感じる。
さて、その後はまたしても、ダンスだ。最初は新郎新婦が踊り、その後、みながステージへ。これまでは客観的に「人々は踊る」といった書き方をしてきたが、わたしと夫もかなり「踊っている部類」である。
夫は足に豆ができているし、わたしも連日のダンスで、足が痛いのだ。
そうまでして踊る? と言われるかもしれんが、これが踊ってしまうから、恐ろしいものである。
バンドの演奏とヴォーカルの歌がまた非常によくて、踊り心に火を注いだ。
彼らの演奏を聴いているだけでもかなり楽しめた。インド人の大好きな、ABBAのメドレーが流れたかと思えば、やはりインド人の好きなYMCAが流れる。
西城秀樹を懐かしみつつ、サリーのパルーを振り回しながら、Y! M! C! A! と踊る我。ああ、気分がいい!!
もちろんボリウッドあれば、洋楽あり。もうなんでもこい! である。
特に流行った歌、Sheila Ki Jawaniが流れると、力一杯な盛り上がりだ。
さて、バンドが休憩の間、またしても! ファイヤ〜!! な出し物だ。やったら鍛えられた男子3人が床運動的アトラクションを見せた後、火の大道芸を披露。
あたりにオイル臭が立ちこめるほどに、燃え盛る火。
自分たちでやるだけならまだしも、観客にもやらせるところがすごい。これが日本なら「消防法」だのなんだので規制され、絶対にあり得ない芸である。
10時近くになって、ディナーの準備が整いましたとのアナウンス。直行するのはわたしほか、数名である。
料理は毎日、美味ではあるのだが、もうこうなると、料理の味を堪能できる状況でもない。まだ食べ終わらぬうちから、自分の好きな音楽が流れると、「ミホ、踊りに行こう!」と手を引く夫。
だから、消化不良を起こすってば!
もはや、サリーの裾は埃だらけ状態。さらには、裾に施されたビーズを、かかとで何度もバリバリと踏みつぶしてしまい、ぼろぼろである。
みんなほんと、タフ。ほんとうに、タフ。翌々日にも、まだ一大披露宴が残っているというのに、家族たちもみんな、タフ。
わたしたちは12時ごろ、親戚や顔見知りとなった人々と挨拶を交わし、会場をあとにしたのだった。
ちなみに人々は、まだまだ踊り続けていた。
ところでこのバンド。
とても演奏がよかったので、休憩中にその旨を彼らに伝えに行った。
聞けば、「A-26」という、ゴアのローカルバンドだという。
インド人の好きな「盛り上げる音楽」の数々を網羅していた。
かくなる次第で、デラドゥーンに始まった親戚の結婚式を巡る旅。ようやく、終わった。
出来事をざっと書き流すだけでも、たいへんな量になってしまった。
「ざっと」ではない、さまざまな出来事が、出来事の背後に無数に横たわり、まだ消化できていない。
客観的に見て、この結婚式の在り方。
善し悪しを含め、結婚式を巡り、心を過った数々の思いについてはまた、改めて記せればと思う。
結婚って……。