2日間に亘る京友禅サリー展示会。つつがなく、楽しく、無事に終えることができて本当によかった。報告書をまとめたり、今後の展開を考えたりと、諸々課題はあるけれど、とりあえずはひと段落だ。
京友禅サリーの販売価格など、具体的なことは、展示会を終えてから公開するつもりでいた。言うまでもなく、京友禅は芸術的で美術性の高い商品。熟練の技を持つ職人が、時間をかけて丁寧に創り上げる作品ゆえ、その価格もまた、極めて高価だ。
わたしが「京友禅サリーのプロモーター」の任をお受けしてから、まだ2カ月足らず。わたし自身、2枚のサンプルをお預かりしていた以外、他のサリーを目にしていなかった。
完成したサリーを実際に見て触れた上で、わたし自身も方針を考える必要があった。サリーの意匠に関してはもちろんこと、サリー以外の商品展開についても、制作側への提案事項は数多ある。販売のターゲットとなる富裕層のライフスタイルや消費傾向、ファッショントレンドの変遷など、多様性の国、インドにつき、枚挙に暇がない。
展示会に招いた友人知人からの忌憚のないコメントは、京友禅サリーに限らず、日本の伝統工芸品や食料品、嗜好品などをインド市場に展開するうえで、極めて有効な情報源となるだろう。
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さて、昨日は、今回の展示会のために京都からバンガロールにいらした竹鼻ご夫妻にとってバンガロール滞在の最終日だった。2日間の展示会では、ずっと立ちっぱなし。お疲れだろうとは思ったけれど、お二人は食欲も旺盛。とてもお元気だったので、視察にご案内することにした。
店舗などを巡るのもいいが、富裕層のライフスタイルを直接、見てもらうのが一番だ。時間があれば、数軒のお宅を視察させていただきたいところだが、今回はあくまでも、展示会がメインだったことから、特に予定を入れていなかった。
しかし、せっかくの機会なので、盟友Dekyiに連絡したところ、快く歓迎してくれた。午前中、バンガロールの中心部、UBシティに隣接するキングフィッシャー・タワーへ。
インドは今、結婚&ホリデーシーズン。海外に暮らすインド人(NRI/ Non Resident Indian)も帰省して、家族親戚友人たちが飛び交う時期でもある。昨日も、Dekyiのご両親や、スイス在住のファミリーフレンドが来訪されていて、ランチ・パーティを開かれるとのことだった。
そんな中、少し時間をいただいて訪問したのだった。
チベット系インド人のDekyiのことは、これまでも幾度となく記した。チベットに生まれ、中国によるチベット弾圧の歴史と深く関わるDekyiのご家族やファミリーフレンド。簡単に記すには憚られるほど、大いなる歴史の生き証人でいらっしゃる。わたしたちが、2019年にダラムサラにて、ダライ・ラマ14世にお目にかかれたのは、このご家族のおかげである。
関心のある方はぜひ、下記のブログに目を通してほしい。
Dekyiのお父様は、インドに亡命したチベット人たちの暮らしを築き上げるのに、尽力されてきた。カルナータカ州のバイラクッペをチベット人の居住区に整えるに際しても、多大な貢献をされた。
また、Dekyiが子供のころ。お父様は中国の手に渡ったチベットを訪れたところ、3年間も拘留されたという。ご家族の、そのときの苦悩を思うと言葉がない。
スイスからお越しの、彼らのファミリーフレンドは、ドクターであり、篤志家でもある。複数のチベット自治区に病院や、孤児院 (orphanages)を設立。毎年数カ月は自ら赴き、病院で、無償の診断をしていらしたという。
年長の方々から、いろいろなお話を聞きたいと切に思う。しかし、Dekyiのお父様がモンゴルに関心をお持ちということで、なぜかわたしが、1992年のモンゴル一人旅のことをお話しすることに。写真は、わたしが北京からウランバートルまで、無謀な鉄道旅をしたときのエピソードを熱く語っているところ。
次回は、ぜひ、彼女のご両親のお話を伺いたい。
Dekyiには、高級ホテルを超える設備とサーヴィスを整えたキングフィッシャー・タワーを案内してもらう。日本ではなかなか報道されないインドの一面に、竹鼻夫妻も感嘆されていた。
ここ数年で、びっくりするほど大人っぽくなったDekyiの息子が着ていたTシャツに目が釘付け。日本料理が大好きな彼だが、日本語は読めない。にも関わらず、アンディ・ウォーホル・キョウト。なんてステキな偶然だこと。
我々夫婦も、ニューヨークに行くたびに、五番街のユニクロで購入していたTシャツ。ああ、ニューヨークにも行きたい……!