着物とサリーの比較展示会 開催の背景
◉「着物」よりも「サリー」に親しんできた過去20年
わたしが初めてサリーを着たのは、2001年、デリーで結婚式を挙げた時だ。以来、インドのテキスタイル世界に魅了され、これまで無数の布に触れ合ってきた。各地の伝統的な職人技を反映するサリーは、インドの深い歴史、広い国土、そして多様性を象徴するかのようだ。
1500年以上前にインドで誕生した絞りや絣、また日本で「インド更紗」と呼ばれる染めの技術は、大陸や海を経由して、極東の島国日本へもたらされた。日本特有の風土や気質によって育まれ、究極の芸術品として昇華したものも少なくない。
わたしは、ほとんど「着物」を着たことがない。しかし先月、一時帰国の直前に「浴衣」を着る機会があった。その日、友人から浴衣を褒められ、うれしくなった。浴衣を1枚しか持っていなかったので、日本で買おうと計画した。しかし季節は秋。浴衣を売っている店が見つからなかった。
そんなある日、故郷の福岡にある中古着物の販売店に入った。きれいに並べられた着物や帯、そして帯締め、帯揚げなど……。目に飛び込んでくるすべてに、目を奪われた。
実はわたしは、2022年度、京友禅サリーのプロモーターを務めたことから、京友禅の背景を調べた。日本の着物事情についても、少なからず知ってはいたが、多くの着物や帯を一度に眺めるのは初めてのことだった。
このとき、わたしは、インドでサリーを選ぶときに培った「審美眼」が、着物を見る目をも養っていたことに気がついたのだった。
◉二束三文で売られるか、廃棄される、高級着物や帯……
日本における着物文化の最盛期は、高度経済成長期の1975年ごろとされている。当時の着物市場は2兆円に達していたが、以降、衰退の一途をたどり、現在は9分の1ほどに縮小しているとのこと。
日本の風土を反映した天然の素材を用い、熟練の職人が一つ一つ丁寧に作り上げてきた着物や帯。歳月を重ねて色褪せない、芸術作品のようなそれらが、オークションサイトやリサイクル店で、信じがたい廉価で売られている。いや、売られるのであれば、まだましだ。行き場をなくした大量の着物や帯は、日々「廃棄処分」されているという。
◉母のクローゼットで半世紀、眠り続けていた着物や帯を発掘!!
中古ながらも新品同様の着物や帯を廉価で購入したわたしは、重い紙袋を両手に携えて帰宅し、母に見せた。すると母曰く、
「そういえば、あのクローゼットのスーツケースに、昔の着物と帯が入ってるよ」
母の着物姿は、わたしが子どものころに何回か見たきり。引っ越しのときに処分したのだろうと思っていた。しかし、その古いスーツケースを開き、たとう紙(呉服を包む専用の紙)を開いたところ……。
「オーマイガー!!」
スーツケースはまさに、宝箱だった。
絞りや絣、京友禅の着物や羽織、西陣織や博多織の帯……。半世紀も眠ったままだったそれらの大半が、袖を通されていなかったこともあり、染み一つない。仕付け糸がついたままの着物などは、つい最近、買ったばかりだと言われても違和感がない。
わたしは夢中で、次々にたとう紙を開き、感嘆の声を上げ続けた。
実家の着物をインドへ発送する手続きをすませ、わたしは日本の旅を続けた。名古屋では絞り染めの故郷である有松を訪れた。また東京では銀座の呉服店や草履店、着物展示会へも足を運んだ。呉服に関わる人々と言葉を交わし、短期間ながらも多くを学んだ。
◉たとえわずかでも、着物を救え! インドで着物を紹介したい
インドもまた、欧米のファッションの流行により、サリーを着用する人が減少してきた。しかし一方で、伝統的な手工芸を尊び、次世代へ継承しようという動きもある。わたしの親しいインドの友人たちのなかには、積極的な活動を続ける人も少なくない。
また、日本のライフスタイルや伝統文化に対しても、強い関心を示すインドの友人はとても多い。そんな人たちに、この着物を見て欲しいと強く思ったことから、この展示会を企画した。
日本から持ち帰った着物や羽織、帯などと共に、同じ技法で創られたサリーを並べて展示する。日本とインド、両国の「縁」を視覚的に捉えてもらうために。今回は、自宅での小規模な催しだが、将来、積極的に続ける予定だ。
熟練の技術を持つ職人たちの芸術的な作品が打ち捨てられている現実を知った以上、看過するのは難しい。少しずつでも買い集め、他のテキスタイルアイテムにアップサイクルする方法を模索するなど、着物や帯を蘇らせる一助になりたいと考えているところだ。
2023年11月22日
坂田マルハン美穂