🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)
この日、アルヴィンドとわたしたち日本勢はインドの工芸品店の一大コンプレックスへ行き、日本へのお土産などを下調べする。パシュミナのショールや絹製品、銀の食器など美しい品々をあれこれと見る。
さて、ニューデリーは、首都とはいうものの、近代的な建物がほとんどない。インド最大の都市、ボンベイ(ムンバイ)に行けば、高層ビルなどが立ち並んでいるらしいが、この街を見る限り、「混沌」という言葉以外、的確に言い表す形容が見つからない。
妹夫婦は工芸品のコンプレックスを離れ、界隈を散策し、マクドナルドに行った。ジャガイモそのものがおいしいせいか、フライドポテトがとてもおいしかったという。後日わたしも行ってみたが、マクドナルドに一般庶民の姿はなく、海外からの旅行者や、富裕層が出入りする「気取った場所」だった。
さて、遅めの昼食を取ろうと、英国統治下時代に立てられたインペリアル・ホテルのレストランへ。白亜の建物は、イギリスとインドの建築文化が融合して成った独特のコロニアル建築。優雅な空間に、わが母はご満悦。ゆったりとランチを楽しんだ。
さて、この日のメインイベントは、アルヴィンドの叔父ランジートが主催するカクテルパーティーだ。「両家の顔合わせお」を兼ねて、近い親戚ばかり100名近くを招いた欧米スタイルのパーティーということで、わたしは黒いイブニングドレス、アルヴィンドはスーツ姿で参加する。
親戚の大半は、海外に留学経験を持つ人ばかりで、学者や政府の高官などが多い。日本を訪れたことのある人も少なくなく、日本に対する理解を持つ人たちが多かった。義兄ラグヴァンの父は、ラグヴァンと同様に科学者で、日本にも何度か訪れたことがあり、天皇陛下(平成天皇)や森(元)総理とも何度か会談したことがあるという。
※注/ラグヴァンの父はまた、インド国際センター(IIC)の理事を務めていた。この礎石は1960年、新婚旅行で来印されていた明仁天皇によって築かれたこともあり、日本とも縁が深い。そんな経緯もあり、最初の1泊は、日本家族が滞在したのだった。しかし建築物が古く、冷房が不完全だったこともあり、翌日から別のホテルに移動した。(20年後のコメント)
🇮🇳India International Centre
https://iicdelhi.in/
外交官だという遠縁の女性は、日本へ出張した際、外務省に、京都、大阪などに連れていってもらったという。おいしい日本料理もたくさん食べたと言っていた。
妹は日本の着物を着て参加していたのだが、予想していたほど珍しがられなかったのも、本場日本で着物姿の女性たちを見たことがある人たちが多かったからかもしれない。
欧米では、立食のカクテルパーティーは一般的だが、このような場が初めての両親や妹夫婦は、その新鮮な環境を大いに楽しんでいる様子。父はもっぱら通訳を介して話しているが、母は英語を話せないにも関わらず、強引に日本語と和製英語を駆使して、誰彼となく楽しげに話をしている。
そんな母の姿を見た、タイのバンコックから祝いに駆けつけてくれた初老の学者がわたしに向かって言う。
「あなたのお母さんはとてもエレガントですね。それに、普通、日本の女性は、夫の後ろにくっついて、ほとんど何も話さないのに、あなたのお母さんは、お父さんの前を歩いている。すばらしい」
と、しきりに褒めてくれる。
パーティーの中盤になると、ホールの一画でインド料理のブッフェが用意され、参加者は一同、どやどやと食べ物の周囲に集まる。欧米のパーティーの場合、比較的控えめにに料理に向かうのが常だが、インドの場合、食べ物に向かって一直線、という感じ。食に対して、一切の気取りがない。
山盛りに料理を載せた皿を持ち、ばくばく食べながら、おしゃべりに興ずる。
パーティーを終え、日本の家族をホテルに送ったあと、わたしとアルヴィンドは家に戻って服を着替え、空港へ向かった。アルヴィンドの大学時代の親友、マックスが、深夜到着の便でやって来るのだ。
彼はイタリア出身の好青年。マサチューセッツ工科大学の大学院まで進んだ後、ボストンで友人たちとIT関連の会社を興している。深夜のデリー国際空港は、到着便が重なっているようで、昼間とはうってかわって、たいへんな喧噪である。でも、マックスを見つけるのは簡単だった。
なにしろ身長が2メートル7センチもあるからだ。
蒸し暑くてごちゃごちゃ汚いニューデリーの街。高級ホテルこそが、まさにオアシス! 外の喧騒がまるで幻のように、ホテル内には涼しげな静寂が漂っていた。
ホテルロビーの一画。ショップやレストランも優雅。しばらくここでくつろぎたいと思うが、そうも言っていられず、ランチだけ食べる。ここでも父はカレーにナン。「ナンがおいしい! 小麦が違うんやね!」
アルヴィンドの伯父、ランジート主催の本日のメインイベント、カクテルパーティー。社交クラブの一室で行われた。主に近い親戚を招いての顔会わせ的なイベント。昼間とはうってかわって、気取る一家。
こちらがランジート。亡母アンジナのお兄さんだ。彼らは二人だけの兄妹だったため、数少ない「近い親戚」だ。ちなみにロメイシュは一人っ子なので、近い親戚は非常に少ない。アルヴィンドは遠い親戚をまとめて「いとこ」と呼ぶ。大ざっぱである。※注/インドでは近い世代の血縁をまとめて「いとこ」と呼ぶ傾向あり(20年後のコメント)
義父ロメイシュとその隣はアルヴィンドの従兄弟アディティヤ。このパーティーを主催してくれたランジートの一人息子で、アルヴィンドにとっては「唯一の」従兄弟でもある。すなわち、兄弟のようにして育った。K夫は、会う人会う人から「いい体格をしている」「なにかスポーツをしているのか?」「かっこいい」とうらやましがられていた。しかも主に男性から。インド人男性が好むタイプなのか??
アディティヤの妻、タヌー。彼女の着ているサリー、アクセサリーは本当に上品ですてきだ。
義姉スジャータ。その隣はスジャータの夫、ラグヴァン。高名な生物学者である。彼の姿を見るや、あゆみ妹がわたしに耳打ち。「ねえ、ラグヴァンの髪型、あれでいいの?」。飾り気のないお方なのだ。※注/SARS、インフルエンザ、HIVのワクチン研究に貢献してきたIIS(インド理科大学院)教授のラグヴァンは、COVID-19のワクチン研究においても、尽力している。(20年後のコメント)
義継母ウマも、とてもお洒落。落ち着いた色合いのサリーがお似合いだ。妹は着物で出席。
※注/ダディマ(祖母)は2007年、ロメイシュ・パパは2020年に他界した。(20年後のコメント)
※注/自分で言うが、初々しさのない貫禄ある新婦である。(20年後のコメント)
※注/どうみても、初めてのインドで、しかも自分の結婚式を挙げる女子には見えないな。35歳の我、肝が座っていることよ。(20年後のコメント)
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