メルトダウン。炉心溶解。
世界には重大なニュースがあふれ、あれからも、リビア騒乱やら、ビンラーディン殺害やら、さまざまに報道されるべき出来事があるだろう。
それにしても、だ。
原子力発電所のメルトダウン。最早「察せられていた」とはいえ、このニュースは、巨大な活字の見出しの号外で、ばらまかれる以上の、激烈なニュースだと思う。
しかし、今、各紙のインターネットニュースの冒頭をみるに、切迫感のない、まるで小さな事故を報道するかのような淡々とした印象だ。
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■東電1号機「メルトダウン」認める(産經新聞)
東京電力は12日、福島第1原発1号機で、燃料棒(長さ約4メートル)が冷却水から完全に露出して溶け落ち、圧力容器下部に生じた複数の小さな穴から水とともに格納容器に漏れた可能性があると発表した。東電は、この状態を「メルトダウン(炉心溶融)」と認め、格納容器ごと水を満たして冷やす「冠水(水棺)」作業の見直しに着手した。
■1号機は「メルトダウン」…底部の穴から漏水(読売新聞)
東京電力福島第一原子力発電所1号機で、原子炉内の核燃料の大半が溶融し、高熱で圧力容器底部が損傷した問題で、東電は12日、直径数センチ程度の穴に相当する損傷部から水が漏れていると発表した。溶融した燃料は圧力容器の底部にたまっていると見られ、東電は、この状態が、核燃料の「メルトダウン(炉心溶融)」であることを認めた。
■燃料の大量溶融、東電認める 福島第一1号機(朝日新聞)
東日本大震災で爆発事故を起こした東京電力福島第一原発1号機で、大量の燃料が溶融し、圧力容器の底部にたまる「メルトダウン」が起きていたことを12日、東電が認めた。東電は4月、「燃料の一部損傷」を前提とした事故収束の工程表を発表したが、予想を上回る厳しい燃料の状態がわかり、作業日程への影響は避けられそうにない。
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作業工程の遅れを懸念している場合なのか?
公表すべき、もっと肝心なことがあるのではないか?
東京がパニックになるとか、その他諸々の利権や、なんやかんやを気にして、隠蔽している状況では、ないのではないか?
原子力発電にまったくもって明るくない人間(わたし)が、しかも日本に住んでいない人間が、いたずらに、中途半端な情報でもって、事態を憂うのはよくない。
ましてや、こうしてブログなどに記すのはまずいだろうと、控えてきた。しかし、最早、口を閉ざしていることさえも辛い。日本国籍をもつ一人の日本人として、今日はしかし、書こうと思う。
3月11日からの数日は、ただ大津波や地震の被害の大きさに圧倒され、原発の不安よりもそちらの方に心を奪われていた。
しかしながら、徐々に原発の問題が明るみにでるにつれ、目を背けることができなくなってきた。
何かを見たり読んだりするにつれ、自分が原発の実態について、いかに無知であったかを思い知らされた。
浜岡だけじゃなく、日本中の原発を、「もんじゅ」もなにもかも、最早止めて欲しいと思う。一刻も早く。電気が3割減、4割減になったとしても、日本がなくなるより、ましである。
いや、これは、日本だけの問題ではない。海外にも、軽く影響が及ぶことである。
電力会社の言うことを、今更、どう信じればよいのだろう。信じることなど、不可能だ。
実は2月に、九州電力の広報誌にインド関連の記事執筆を依頼された。中には、インドの電力事情にも触れ、原子力発電への期待が高まっている云々と言うことも書いた。
その広報誌は、4月末に発行されている。今、そこに記事を書いたことすら、わたしは悔やんでいる。原発のことを、この実態を、もしも知っていたならば、書かなかったし、書けなかった。
人を救う放射線があれば、人を殺す放射線がある。
人を殺す目的で作られていないものが、人を傷つける、あるいは殺してしまうとき、それは、どういう定義となるのか?
わたしは、原子力発電が、ここまでも恐ろしい力を持っているものだということを、知らなかった。制御不能に陥れば、日本どころか、世界中が、汚染されてしまうほどの威力を持つものだということを。
知れば知るほど、クリーンでもなんでもない、この事態に陥る以前から、汚れたエネルギー源だったことがわかる。
たとえば、原発が、周辺の海の温度をあんなにも上げていたことを、知らなかった。原発界隈の海に、そもそもはいなかった大型魚やサメまでもが、うようよと泳いでいることを、知らなかった。
クリーンどころか、どう考えたって、地球を温めてるじゃないか。
核廃棄物(使用済み核燃料)の処理が、途方に暮れるほど、恐ろしく時間がかかり、しかも自然に悪影響を及ぼすものとは、知らなかった。
知れば知るほど、なんというおぞましいものを、人類は生み出し、利用しているのだろうということを、思い知らされた。
ネットで入手できる原発反対の、あらゆる声。わたしはその一部しか、見ていない。その一部の人たちの、たとえば話が大げさだったとしても。
話を半分に聞いたとしても。いや、それを1割だけ、真実だとしても。1割程度ですら、それは恐ろしい警鐘である。
人間は、人類は、そもそも「動物である」という原始の部分に立ち返って、考えるなどナンセンスだと思われるだろうが、その動物的な嗅覚を、研ぎすますときが、来ているのではないか?
原子力発電は、たかだか50年の歴史しかない。50年以上前は、それらがなくても、人類は平気で生きていたのだ。だから、なくなったからといって、なにが困ろう?
いや、無茶苦茶なことを書いているということはわかっている。
進化。進歩。文明。機械化……。
先進国の人々が、「なかった昔に帰れない」と思う気持ちはわかる。
が、帰れない、などと言っている場合ではなく、今、帰らねば、もう、よほど恐ろしいことが起こる可能性があるのだということを、多くの人が認識するべきだと思う。
わたし自身もそうだが、大きな変化を受け止める、いや、変化を起こす、覚悟が必要だと思う。
自分が存命中のことだけを、考えるのならば話は別だ。しかし自分たちの子孫、未来の地球を思うのならば、絶対に、変化が必要だ。
以下、ウィキペディアの情報を一部引用し、加工修正したものだ。これがどこまで正確かわからぬが、原子力発電の大まかな歴史は、つかめるはずだ。
●1895年(わずか116年前)
ドイツの物理学者、ヴィルヘルム・レントゲンがX線を発見。フランスの物理学者アンリ・ベクレルも、ウランが発する同様のビームを発見。これらは「放射線」と名づけられた。3年後、ピエール・キュリーとマリー・キュリーの夫妻がラジウムを発見し、ここから放射線の研究が始まった。
●1938年
ドイツ物理学者、オットー・ハーンが核分裂を発見。オーストリアの物理学者、リーゼ・マイトナー(女性)によって原子核分裂と証明された。
▪1945年
米国のマンハッタン計画により、核分裂反応を利用した最初の原子爆弾が製造される。広島にウラン型、長崎にプルトニウム型原子爆弾が投下される。広島では約50万人、長崎では約7万人が死亡。核兵器の威力をはかる、壮絶な実験だった。このとき得られたデータは、現在でも使用されている。第2次大戦以降、世界の大国による核兵器開発が行われる。
●1951年
米国のEBR-Iで世界初の原子力発電に成功した。
●1954年
ソ連において最初の商用の原子力発電が開始された。
●1966年(わずか45年前)
東海発電所において日本で最初の原子力発電が開始された。原子力は未来のエネルギーとして期待され、歓迎された。
●1979年
米国のスリーマイル島原子力発電所で運転員の誤操作により炉心溶融事故が起こった。放射性物質の放出は防げたものの、周辺住民10万人が避難した。この事故以降、原子力に対する批判的な機運が高まった。
●1986年
旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所で実験中に爆発事故が起こり、放射性物質が環境中に放出され47人が急性の放射線障害で死亡した。2006年のIAEAの報告では、晩発の放射線障害を含む死者の推計数は約9000人とされており、原子力発電所の事故としては史上最悪の事態となった。
●1999年
茨城県のJCOにおいて正規の作業手順を無視したことにより臨界事故が起こり、大量の放射線を浴びた作業員2名が、急性の放射線障害で死亡した。戦後日本で初めての原子力による死亡事故である。1999年の時点で、世界の発電所で425基の原子炉が稼動し、年間で35,943万kW年の電力が発電された。
●2003年
2003年時点で、日本の発電所では52基の原子炉が稼動し、年間で3,357万kW年の電力が発電された。原子爆弾の実戦での使用実績は2発であるが、核実験の回数は全世界で2000回を超えている。2003年の世界の原子爆弾保有数は約3万発である。
●2011年
福島県の東京電力福島第一原子力発電所で、3月11日の東北地方太平洋沖地震に伴い発生した大津波により設備等に甚大な被害が生じ、原子炉の冷却機能を喪失。1号機から3号機で燃料棒が露出する空焚き状態になり、炉心溶融が発生さらに、原子炉建屋内に充満した水素により1号機と3号機の原子炉建屋が水素爆発を起こし、使用済み核燃料プールの冷却が停止した4号機でも同様の原因で水素爆発が発生したほか、2号機の格納容器の一部でも爆発が発生。この結果、広範囲に高濃度の放射性物質が拡散する事態となり、4月12日、経済産業省原子力安全・保安院は、同事故が国際原子力事象評価尺度におけるレベル7(深刻な事故)に該当すると発表した。このレベルは、チェルノブイリ原子力発電所事故と同じである。
この簡単な歴史を見て、どう思われるだろう。なかった昔に戻るのは、不可能だと思われるだろうか?
海外の原子力発電事情については、この際、事情がわからないので言及しない。が、少なくとも、日本は、全面的に、原子力発電をやめてしまうべきだと、強く思う。
今すぐにそんなことは、無理だとわかっている。それでも、徐々に、なくして行くべきだと思う。
地震や津波の可能性がある日本。唯一の被爆国である日本。確かに日本には資源がない。だからって、このような恐ろしいものを、抱え込む理由にはまったくならない。
2011年3月11日を境に、事態は、一変したのだ。
あの日を境に、「安全神話」は確実に、崩れ落ちたではないか。にもかかわらず、いったい何を根拠に、他の約50の原発が安全だと言えるのだ?
たかだか数百年前にしか遡っていないデータをもとにした天災の想定など、なんの頼りになるのだろう。この地球の歴史を考えれば、あまりにも短い。
この地球には、恐竜だって住んでいたのだ。氷河期やらなんやらがあって、今の状態の地球になって、人類が誕生した。
そのような時代の流れを思えば、ここ数百年のことなど、一瞬である。
自分が生きている、100年に満たないスパンで物事を考えるから、遥か遠い過去も、遥か彼方の未来も、想像できない。だから、目先の利権や利益に囚われた愚かな人々があふれ、その恐ろしさを知らずに、手を染めて行く。
原子力発電の問題だけではない。今回、もっと恐ろしいと思ったのは、六ヶ所村の問題だ。青森県にある六ヶ所再処理工場。この実態を知って、本当に、もう、泣きたくなった。
■六ヶ所再処理工場 (←Click!)
あれこれと調べるほどに、芋づる式に、驚愕すべき事実が明るみに出る。
ここ数カ月の間に見聞きした情報の中で、印象に残っているものをここにご紹介する。それぞれの人たちの意見をどこまで信じるべきか、わたしにはわからない。
わからないが、耳を傾ける価値はあると思う。それらがあまりに悲観的だとしても。あまりに楽観的だとしても。
■アイリーン美緒子スミス氏(環境ジャーナリスト/グリーン・アクション代表)による「六ヶ所再処理」に関する説明。彼女は水俣病を撮り続けた写真家、故ウィリアム・ユージン・スミスの妻。以下の映像は2008年にアプロードされたもの。
■鎌仲ひとみ監督のドキュメンタリー映画『六ヶ所村ラプソディー』
■原子力発電を追い続けているノンフィクション作家、広瀬隆氏のインタヴュー。彼のコメントには賛否両論、大きく分かれているようだ。どの程度を受け入れるかはさておき、聞く価値はあると思う。
■同じく広瀬氏の動画。これは2010年に行われた「放射能のゴミを考える」という講演の様子がアップロードされている。3/11以前の彼の穏やかな表情と語り口を見るに、その後、起こってしまったことに対する彼の強い憤り、懸念が察せられる。01から10までの長いもので、わたしはまだ、全てを見ているわけではない。が、一部を見ただけでも、非常に参考になった。
●放射能のゴミを考える02
●放射能のゴミを考える03
●放射能のゴミを考える04
●放射能のゴミを考える05
●放射能のゴミを考える06
●放射能のゴミを考える07
●放射能のゴミを考える08
●放射能のゴミを考える09
●放射能のゴミを考える10
■吉村昭著『三陸海岸大津波』(文春文庫) (←Click!)
この本を読んだわけではないが、書評やカスタマーレヴューを読んで、印象に残った。今回の震災は決して「未曾有」の事態ではなく、過去、類似の災害が起こっていたとのことだ。こんな事実がありながら、その地に原発を作ってしまっている現実が、どうにも、耐え難い。
■孫正義氏。彼が「個人的に」発足した「自然エネルギー財団」。彼の活動に対しても、当然賛否両論がある。しかし、彼のように「力のある事業家」が、こうして前向きな活動を積極的に行っていることに、わたしは心から敬服する。
■ソフトバンク 孫正義氏「自然エネルギー財団」設立 (←Click!)
このサイトには、彼のインタビューのほか、会見の動画やプレゼンテーションで用いられた資料(PDF)が添付されている。
■小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ (←Click!)
わたしは、インドでの日々を、生きている。ここには、ここの日常があり、片付けるべき問題が山とあり、楽しむべきことがらも、山とある。
伝えたいこと、伝えるべきこともまたたくさんで、自分がなにをなすべきか、模索しながらのライフである。
3/11以降、自分が日本に対して、何を思い、何を書くべきか、よくわからないまま2カ月以上が過ぎた。思うところを、分かち合う相手は、身近にはいない。
夫に話しても、「ミホが日本の原発を心配してどうするの?」で終わってしまう。
当然のことだ。
日本の原発のメルトダウンよりも、週末に見に行くクリケットの試合で、雨が降らないで欲しいということが、今の彼にとっては「気がかりなこと」である。
わたしとて、同じことだ。
上階の工事現場から降って来たコンクリート片に激怒し、ご近所さんに怒鳴り込みに行ったり、2年ぶりにカラオケで熱唱したり(日本料理店『播磨』にカラオケルームがあるのだ)、来週月曜日締め切りの原稿を書き上げたり、やるべきこと、やりたいことは、目の前にたくさんある。
それでも、今日、こうして原発のことを、中途半端な知識のまま、書いたのには理由がある。
昨日、東京に暮らす友人から、メールが届いたのがきっかけだ。
彼女、Kさんとは、ワシントンD.C.在住時に出会った。わたしがジョージタウン大学の英語集中コースに通っていたときのクラスメイトとして。
彼女とは、ここしばらくすっかりご無沙汰していたのだが、今年に入って久しぶりにメールのやりとりをした。
その後、震災のあとに、メールを一度送ったきりだった。そのKさんが、日本の原発の問題に対する懸念のメールを、昨日に送ってくれたのだった。
彼女もまた、わたしと共通した認識を持っていたことがわかった。わたしの返信に対して彼女がメールをくれたのだが、その返信をするかわりに、彼女もまた読んでいるこのブログに、わたしの思うところを書くことにした。
そう思った矢先の、東電が「メルトダウン」を認めるニュース。もう、書かずには、いられなくなった。
Kさん。勝手ながら、メールの一部を引用させてもらうね。
「小さな危機においてはみんなで行動した方が安全だが、大きな危機においては他の人に先んじて行動しないと破滅に終わる」とわかっているのですが。美穂だったらどうする? これからどうなるか、注視しながら生きていくことになりそうです。
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Kさん。わたしが、もし日本に今いたらどうするか……。正直なところ、想像がつきません。
ただ、そもそもが「みなと共に行動をする」という性質ではないので、自分なりの考えで、何らかの行動を起こしているとは思います……。
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ただ、なにはさておいても、自分が思うところは、伝え続けて行こうと思う。「記録」そして「記憶」を大切にしようと思う。
「記憶」という人間のもつすばらしい能力の大切さをかみしめながら。
3/11以降、まだまだ書きたい、ディープなテーマがいくつもある。それらもまた、しっかりと向き合いながら、徐々に記して行きたいと思う。
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Kさんが教えてくれたサイトも、ここに載せておく。非常にわかりやすく、原発の問題点を理解することができる。上記の動画や資料を見る時間のない方は、下記だけでも読むことをお勧めする。
■浪速のマダムが教えてくれる原子力 (←Click!)
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