気がつけば9月5日。週明け早々、なんやかんやで慌ただしく、週末の「姫気分」がすっかり忘却の彼方となりつつある。
あの素敵な体験は、記録に残さずにはいられないものなので、急ぎまとめておこうと思う。
先週の金曜から日曜にかけての週末、ハイデラバードに昨年オープンした宮殿ホテル、「タージ・ファラクヌマ・パレス TAJ FALAKNUMA PALACE」に滞在した。
まさに、「姫気分満喫」の2泊3日であった。
一般庶民に、ここまでプリンス&プリンセスな気分を楽しませてくれる場所が、ほかにあるだろうか。
いやない。
と、自分に問いかけずにはいられないほど、実に優雅な時間を過ごせたのだった。
ニューヨーク本社、ムンバイ、バンガロール支社の面々が、年に数回、インド国内に結集し、ビジネスミーティングと親睦を兼ねた会を設けているのだ。
日本でいうところの「慰安旅行」のようなものであろう。
彼からホテルの詳細を聞き、「行きたい! わたしも行きたい!!」
と切望していたところ、夫の計らいで、我が誕生日の週末を宮殿ホテルで過ごすことになった次第。
ハイデラバードは、バンガロールと同じ南インド、デカン高原にある都市。バンガロールよりも北部だが標高が低いため、かなり暑い。
気温が上がる4月以降、ホテルはオフシーズンに入っているのだが、幸いモンスーンのあと。気候も比較的穏やかで、過ごしやすい滞在だった。
タージ・グループは、インド国内のいくつかの宮殿を、マハラジャ一族との共同事業により大々的な改装を行い、ホテルとして生まれ変わらせている。
このホテルもまた、10年もの歳月をかけてリノヴェーションされたもので、2010年11月にオープンした。
ハイデラバードのバックグラウンドを語らずして、このホテルについても語れぬのだが、書き始めると尽きない。
今日のところは写真を中心に、最小限の情報だけを記しておこうと思う。
なお、今回はホテルにチェックインしたあと、一歩も外へ出ることなく過ごした。ハイデラバードの街については、過去2007年に訪問した際の記録があるので、それをご覧いただければと思う。
写真に添えて、情報もかなり載せている。
●ハイデラバードで小さな旅 (←Click!)
ハイデラバードのあるアンドラ・プラデーシュ州はムスリム(イスラム教徒)が多い土地としても知られている。
この地は、1724年から、インドの独立直後の1948年まで、「ニザーム王国」あるいは「ニザーム藩王国」と呼ばれる、インド亜大陸最大の藩王国だった。
他の藩王が「マハラジャ」と呼ばれるのに対し、この地の藩王は「ニザーム」と呼ばれていた。
英国統治時代には、政治的に英国の影響を強く受けていたとのことである。歴代ニザームの中には、世界で一番の富を誇っていた人もあったとのことで、その豊かさが偲ばれる。
この宮殿が完成したのは、1893年。当時、ハイデラバードには35もの宮殿があり、この宮殿はその一つに過ぎなかったようだ。
しかし、ハイデラバードの町並みを一望する小高い丘の上の立地という点においても、中心的な存在であったに違いない。
なお、この宮殿は、建設時のニザームの星座に因んで、サソリの形をしているという。この正面が頭部。客室が胴体で、尾の先端部分がダイニングエリアとなる。
さて、ハイデラバードが富裕であった理由の一つは、ダイヤモンドにある。
インドは、18〜19世紀に南アフリカやブラジルでダイヤモンドの鉱脈が発見されるまで、唯一のダイヤモンド産出国だったらしい。
中でもハイデラバードの、とくにゴルコンダは優良なダイヤモンド鉱山だったとのことで、エリザベス2世の王冠に輝く巨大なダイヤモンドも、かつてこの地で採掘されたものらしい。
現在は、ダイヤモンドは産出されていないようだが、真珠の集積地として世界的に有名。世界各地で穫れる真珠がここに集められ、加工されている。
上の写真は、かつてワシントンD.C.のスミソニアン博物館群の国立自然史博物館にて、撮影したもの。
ホープ・ダイヤモンドだ。
これを手にした人は不幸に見舞われるという、呪いの伝説をも持つ世界最大のダイヤモンドである。このダイヤモンドが発掘されたのも、ここ、アンドラ・プラデーシュ州だと言われている。
詳しくは下記を参照されたい。
●ホープ・ダイヤモンド (←Click!)
この宮殿は、6代目ニザーム、ミール・マフブーブ・アリ・カーンの邸宅として建てられた。
8代目ニザームであるムカラム・ジャー(1967年死去)の妻、プリンセス・エスラは存命で、この宮殿ホテルの10年に亘るリノヴェーションに大きく貢献したとのこと。
ホテルのブティックで購入したこの本の冒頭にも、彼女からの言葉が寄せられている。
バックグラウンドを調べているときりがないので、このへんにしておく。さて、以降は、2泊3日の様子を写真を中心に紹介したい。
なお、今回は、ゆっくりとホテルに滞在する心づもりで、写真も最低限の撮影にとどめようと思っていた。従っては、バッテリーチャージャーも持参していなかった。
ところがもう。
初日から、阿呆のように写真を撮りまくってしまい、バッテリーが尽きてしまう次第。数多くの写真から、一部を選んだつもりだが、それでも膨大な量となってしまった。
ちなみに、館内の撮影は、宿泊客のみに許されており、レストランの利用者や観光客は外観しか撮影させてもらえない。
なお、今後、このファラクヌマ・パレスへ訪れる予定のある方は、この記録を見すぎないことをお勧めする。
予備知識はあったほうがいいと思うが、しかし、先入観やあらかじめのイメージが強すぎるのは、旅の鮮度を落とすとも思われるので……。
さて、8月31日金曜日。我が誕生日の朝。バンガロールからハイデラバードまで約45分の空の旅を経て、空港に到着した。バンガロール空港と時を同じくして、数年前に改築されたこの空港。
バンガロール空港よりも広く、設備が整っているとの噂通り、快適な空港だ。空港からの街へ至る道も美しく整備されており、「ここ、シンガポール?」と錯覚するような麗しさ。
しかし、一旦街へ入れば、ここはインド。なじみの喧噪をくぐりぬけた先に、やがて小高い丘が見える場所へ至る。
ホテルの敷地内に入った途端、あたりの風景は一変し、静寂に包まれる。
車窓から、緑豊かな庭園を眺めていると、クジャクが羽根を広げている!!
間近で羽根を広げるクジャクを見るのは初めてのことだったので、とてもうれしい。
ところで夫はといえば、実は2日前から、ハイデラバード入りしていた。偶然、出張が入っていたのだ。
夫も午前中のミーティングを終えた後、昼ごろにはホテルにチェックインするとのことだったので、ランチを共にしようと予定をたてていた。
ホテルの間近のゲートでタクシーを降りる。そこで「馬車」に乗り換えるのだ。
贅沢にも一人で馬車に乗り込む。石畳にカツカツと響く蹄の音も心地よく、否応なく気分が盛り上がるというものだ。
ホテルの入り口では、マネージャーを筆頭に数名のスタッフが屹立して出迎えてくれる。みな口々に、
「ハッピー・バースデー! ようこそいらっしゃいました!」
と歓迎してくれて、もうたまらん。
2種類のウェルカムドリンク、いずれもハーブやスパイスが用いられた爽やかなヘルシー飲料を勧められる。迷っていると、「両方どうぞ」といわれたので、どちらも味見をさせていただく。
曇天ではあるものの、気温が上がりすぎないので、むしろ助かる。もちろんバンガロールよりも蒸し暑いが、しかし、さほどではない。
グラスを片手に、ハイデラバードの町並みを見下ろしながら、マネージャーに話を聞く。
このホテルは規模が大きいという印象を持っていたのだが、実際には客室数はわずか60室だという。
それを聞いた時点で、よりいっそう、気分が盛り上がる。ゲストが多いよりも少ない方が、ずっとくつろげるからだ。
しかも現在はオフシーズンで、稼働率は20〜30%程度だとのこと。
10年もかけてのリノヴェーションを経てのホテル化と聞けば、その大いなる投資もたやすく想像できる。それに比して、この客室数と稼働率ではまったく採算は合わないだろう、とも思う。
タージという大きな母体があってこその、このホテルの誕生であったのだな、ということが、察せられる。
最早、文化事業のような印象さえ受ける。
ホテルの歴史や建築についての話を聞いているうちにも、いいタイミングでアルヴィンド、到着。
彼としては、わたしと一緒に馬車で参上したかったようだが、彼の到着を待っていたのでは、クジャクは見られなかった。
マネージャーに、クジャクの写真を見せたところ、大いに驚かれた。
「僕はここで3年間働いていますが、クジャクが羽根を広げているところは、一度も見たことがないんですよ! あなたは幸運ですね〜!」
と、周囲に立っているスタッフたちも、わたしのカメラを覗き込み、一様に感嘆している。
夫を含め、そこにいる誰もが、羽根を広げているところは見たことがないとのこと。クジャクからさえも、ワンダフルなお誕生日プレゼントをもらった気分だ。
馬車とホテルを背景に、記念撮影。ここでは、ホテルのスタッフも我々を撮影してくれ、チェックアウトの際、写真をフレームに入れて、プレゼントしてくれたのだった。
ウダイプールのレイクパレスでもそうだったが、タージのパレス系ラグジュリアスなホテルでは、このようなサーヴィスが行き届いていて、ささやかながらも確実な喜びを与えてくれる。
ニザームはじめ、貴賓たちを歓迎するときと同様の様式で、我々ゲストをホテルへ誘ってくれる。階段を上がったところで、空からバラの花びらが降って来るではないか!
こういうところでは、大人らしくエレガントに振る舞うべし。
と、わかってはいるのだが、これが喜びの声を上げずにいられようか。
いや、いられまい。
エントランスホールは、イタリアン・ネオクラシックの建築。……と、このホテルの内装についてを、丁寧に語るのは無謀なので、詳細は避ける。
避けるが、大雑把に書き留めておくならば、まず、建築家は英国人。
宮殿内は「欧州の建築様式にイスラムの意匠を加味したもの」で、インド的な建築様式は取り入れられていない、とのことである。
ルネサンス様式、バロック調、アールデコ、アールヌーヴォー……といったさまざまな欧州の建築様式が取り入れられているとのこと。
改築の際には、できる限りオリジナルの内装、家具調度品を生かしながら、細心の配慮のもと、当時の雰囲気を再現しているという。
エントランスホールのすぐ右側は、ニザームの書斎だった場所。この奥にレセプションがあるが、ゲストはここでチェックインの手続きをする必要はない。
チェックアウトの際に利用するだけである。
チェックインは、部屋で身分証明書などをスタッフに渡し、ペーパーに記入する。マネージャー曰く、
「ホテルのゲストとして事務的にお迎えするのではなく、宮殿のゲストとして、家庭的にお迎えしたいからだ」
とのことである。
書斎の脇には、当時、ニザームが使用していた電話番号のリストが置かれている。首相をはじめとする要人への直通電話番号が記されているのが興味深い。
調度品の細部を見れば。その豪奢さが見て取れて、きりがない。今、こうして写真を整理して改めて見るに、もっと時間をかけて、ひとつひとつをしっかりと眺めておきたかったとさえ、思える。
このマーブルの階段が伸びるホールがまた、すてき。支柱の上に並ぶ彫像は、紛れもなくミューズ!
ニューヨーク在住時に起業した「Muse Publishing, Inc.」。
そのミューズである。ミューズとは、ギリシャ神話に登場する、芸術を司る9人の女神の総称だ。
詳しくは、下記をご覧いただきたい。
階段にはしかし、8体のミューズしかいない。聞けば、1体は、壊れてしまったとのこと。あいたたた。
部屋では、またしてもスタッフ数名が待機。花束とバースデーケーキを準備してくれていた。
みなで声を揃えて Happy Birthday♪を歌い、誕生日を祝福してくれる。またしても、かたじけない。
小ぶりながらもみっしりと重量感のあるチョコレートケーキ。練り込まれたナッツも香ばしく、実に美味だ。ランチを控えている時刻ゆえ、小さく一口、二口を味わう。
ともあれ、まずはインド産SULAのスパークリングワインで乾杯。仕事やら、家庭内のなんやかんやの雑事から開放される、貴重な2泊3日の幕開けだ。
この滞在では、ひたすら怠惰に、のんびりと、だらだらと、過ごそうと思う。それもまた、贅沢なものである。
ホテルには、インド料理とイタリアン(コンチネンタル)、2種類のレストランがある。そのダイニングエリアの中央に、ハイデラバードの町並みを見下ろすテラスがある。
心地よい風が吹き抜けるテラスの、なんとも居心地がいいこと!
ここからは、朝な夕なに、それぞれの時刻ならではの、美しい景観を見渡せた。コーラン鳴り響くころは、五感が旅愁と異国情緒で満たされて、言葉にし難いひとときだ。
ところで、ファラクヌマ(Falak-numa)とは、現地のウルドゥ語で "Like the Sky" あるいは "Mirror of the Sky" という意味だという。
天空の鏡。
うまく命名されたものだと思う。
さて、ランチタイム。店内はほとんど貸切状態。静かでくつろげる。
二人ともあまり空腹ではなかったので、軽くシーザーサラダとハンバーガーをシェアする。インドのいいところは、たとえ高級店でも、料理のシェアをすることを疎ましがられないこと。
そればかりか、あらかじめ半分ずつをお皿に盛りつけて、供してくれる店も少なくない。
たとえばこのハンバーガー。ご丁寧に半分に切られているのがお分かりだろうか。かつて食べたことがないような、滑らかな挽肉の、実に上品なビーフバーガーであった。
食後は館内を見学。希少価値が高いらしい「コレクター垂涎」の書籍がずらりと納められたライブラリー。
テーブル、椅子、ランプ、花瓶……。調度品は細部に至るまで、どれもこれも上質のアンティーク。まるでミュージアムである。いや、ミュージアムそのものだ。
実際のミュージアムであれば、ロープが張られており、家具などに触れることはできないところだが、ここでは「普通に使える」ところが、たまらない。
そう。滞在中はまさに、ミュージアムの中に暮らしていたようなものであった。
それは即ち、過去へさかのぼり、栄華を極めた人々のライフを少しばかり追体験するかのごとくでもあった。
なんだか居心地がよかった右上の部屋は、それもそのはず「女性たちのおしゃべりの間」であったらしい。
ここはプリンセスの寝室。バスルームには、古くからそのままにあるバスタブやシャワーの設備が展示されている。
このバスタブについているパイプは、全方向から「ウォータージェット」が楽しめる代物だとか。今とさほど変わらぬ「モダンな」造りに驚かされる。
ちなみに写真を取り損ねたが、便器はアールヌーヴォー調であった。
一通り館内を見学したあと、部屋に戻り、再びスパークリングワインを飲みつつくつろいでいるうちにも、睡魔に襲われ、なんとも心地のよいベッドに潜り込む。
「600スレッドカウント」の滑らか〜なエジプト綿がすべすべで、ひんやりと肌に気持ちがいい。
心地よく眠っていたところで、夫に叩き起こされる。
「ホテルの館内ツアーが始まるから、着替えて。出かけるよ!」
だらだらとしていたいがしかし、だらだらは、明日でもできる。今日のところは、ツアーに参加して、多少なりとも知識を得るのがよいであろう。
ツアーの参加者は、約5組の宿泊客。案内をつとめてくれるのは、このホテルがオープンする以前から、宮殿に仕えていたドアマンの男性だ。
彼の口調からは、この宮殿をこよなく愛しており、その歴史の断片を訪れる人に伝えるのが喜ばしき使命だと感じているに違いない、そんな静かな情熱が伝わってきた。
夕方の5時半から開始するこのツアーは「シャンパン・ツアー」と呼ばれるだけあり、まずはピンク・シャンパン(ロゼ・シャンパン)がサーヴされる。
シャンパンのグラスに夕暮れの光が溶け込んで、なんとも言えず麗しい。
ボールルーム。舞踏場。シャンデリアはヴェネツィア産だという。
カーテン、タッセル、ソファー、絵画、フロア、ドア……。どこに目をやっても、味わい深い調度品。我が好みにストライクすぎて、なんだかもう、言うことなし! の気分だ。
そしてここが、必見のバンケットホール。33メートルのテーブルに、88の椅子が並んでいる。長っ!!
夫は会社での「慰安旅行」の際、この部屋で夕食を楽しんだらしい。
食器はヴェルサーチ(by ローゼンタール)。タージ系列のラグジュリアスホテルには、この食器が使用されている。
テラスのフロアに目を落とせば、これまた彩り豊かなタイル。これらは英国のミントン社製。
夕暮れ時のテラスからの眺めがまた格別。ここでハイティーも楽しめるのだが、楽しんでいてはとてもディナーにたどりつけない。
が、この眺望とハイティーは、ワンダフルすぎるシチュエーション。どんなに食べても増量しない体質だったらよかったのに、と、小さく無念だ。
館内はといえば、さほど広いわけではないのだが、しかし、それぞれの場所が味わい深く、何度、往来しても、新たな発見が尽きず、実に深い。
そしてここは、ジェイド・ルーム。翡翠の間と呼ばれるサロン。ロココ・リヴァイヴァルとオリエンタリズム、そしてムスリムの「星形」の意匠が渾然一体と調和した部屋だ。
日本を思わせる彫像や花瓶などが配され、独特の趣。天井とフロアの紋様の対比がまた面白い。とにもかくにも、ディテールへのこだわりに圧倒される。
説明によれば、やむなく新しい調度品に取り替えたものもあるらしいが、大半がそもそも宮殿にあったものをそのままに生かしているとのこと。
カーペットなども、何十回も洗浄して、現在も使用しているらしい。宮殿全体が、そのような作業を経て生まれ変わったのだと思うと、改装に10年かかっても不思議ではないと思える。
左上のキャビネットは「オーケストラ装置」で、おそらく欧州から輸入されたものだとのこと。パイプオルガンにシンバル、ドラム、トライアングルが内蔵されている。
修理には莫大な予算がかかるとのことで、今は音が聴けない。このオーケストラ装置が奏でる音楽を、ぜひとも聴いてみたかった。
気がつけば、街は暮れなずみ、喧噪は遠く、得も言われぬ静寂に包まれている。ツアーが終わった後も、名残惜しく、館内の随所を眺め歩く。
ガイドのおじさんに勧められ、プリンス&プリンセスの座に腰かける。
わたしはサリーを2枚持参していたが、こうなったらアルヴィンドにもシャルワニを持ってこさせて記念撮影をとるべきだった、とさえ思う。
家具に触ったり座ったりすることをとがめられるどころか、勧めてもらえるところに、過去と現在が連なっているさまを実感する。
それは、エローラ遺跡で感じたことと似ている。
エローラ遺跡の仏像に、触れながら祈る人々を見て、これらは世界遺産に指定されており、大切に保存されるべきだとの認識がある一方、信者にしてみれば、いにしえから延々と連なる祈りの対象なのだ。
人に住まわれてこその建築物。触れられ、使われてこその家具調度品。
そして気がつけば、日が暮れて、空を見上げれば、満月で。なんという、贅沢な景観であろうか。
本来であれば、ハイデラバード名物のビリヤニを試したいところだが、辛いものが苦手な夫、ここのビリヤニはかなりチリ(唐辛子)が効いているらしいとあって、却下。
わたしは、少々辛いくらい、ノープロブレムなのだけれど。
そんなわけで、軽めのダルとサグ(ホウレンソウ)のカレー、そしてタンドーリ・チキンをオーダー。どれも素材の味が生きた洗練された味わいで、非常においしかった。
ちなみに夕食の際には、サリーを着用したのだった。サリーはまた、こういう場所にもよく似合う。
ゲストも誰もおらず、館内は貸切状態。調子に乗って、使ったことのないカメラのアート機能などを使って、セピア色にしてみたりと、遊ぶ。
随所に立っているスタッフが、あちらこちらで「撮影してあげましょう」と申し出てくれる。もう、二人してモデル状態だ。
と、気がつけば、カメラのバッテリーが点滅している。わずか半日で、いったいどれほど撮影したのか、という話だ。
さて、翌朝はゆっくりと朝寝をして、遅めの朝食。ここからの写真はiPhoneによるものだが、光が回っている場所では、それなりにきれいに撮れるからすばらしい。
朝食はアラカルトメニューから好きなものを選ぶことができる。
あれこれと迷うところだが、たくさん食べられるわけでもない。フルーツの盛り合わせや卵料理、パンケーキなどを注文して、夫とシェアする。
コーヒーは南インド産の「モンスーン・マラバー」。かつて、欧州の人々に愛されたコーヒーだという。わたしが普段飲んでいるのも、南インド産のコーヒー。
いつものコーヒーに、少し深みが増した、おいしいものであった。
ところで、この朝、着用していたのは、前夜、ホテル内のブティックで購入していたブラウス。タージ系列のラグジュアリーホテルに入っているブティック、KHAZANA。
ホテルによって品揃えは異なるのだが、この店のそれは、かなりよかった。ちなみに上の写真の鏡に映り込んでいるのは、店のスタッフ。
まるで絵画のようだ。
ところで、このブラウスは、実は非常にユニークなデザイン。
前後が変則的なデザインで、個性的なのだ。後ろには、水彩画のようなタッチで花が描かれている。素朴で高品質な素材が、肌に心地よい。
Nigel Preston & Knight. 個性的なレザージャケットで知られる英国のブランドだが、デザイナーは、インドと英国を拠点として活動しているとのこと。
このブラウスも、インドで作られたものらしい。
ところで、ここはニザームの書斎。デスクにゲスト・ブックが置かれていたので、孔雀の羽根の万年筆でメッセージを残しているところ。
ちなみに、かつてニザームは、このデスクの上で、巨大なダイヤモンドの塊を文鎮代わりに使っていたとのことである。最早、なんのこっちゃ、という感じだ。
緑に包まれたプール&プールサイドがまた心地よく。泳いだり、デッキチェアーでまどろんだり。なにしろ、プールを使っているのはわたしたちだけ。
ここでもまた、貸切状態なのが幸せすぎる。
そして夕方には、スパへ。毎週、アーユルヴェーダのオイルマッサージを受けているが、それは確かに身体によい。
身体によいが、トリートメント自体は、言わば「療法」であるゆえ、ラグジュリアスでも優雅でもない。それにひきかえ、このスパ。
好みの香りのオイルを選び、心地よいアロマに包まれて、ワンダフルなマッサージを受ける。
マッサージの後は、テラスで夕日を眺めつつ、ハーブティーを飲みつつ、またしても至福のひととき。
こうして、「特に、なにもしない一日」を送ってみてはじめて、日ごろ、どれほどドタバタな日々を送っているかが実感できる。
日々、しっかり睡眠はとっているし、時間にもそれなりにゆとりある生活を送っているつもりだが、しかし、ここはインド。知らず知らずのうちに、いろいろと抱え込んでいるのも事実。
そもそも、この1カ月余りは「庭の大改装工事」で、それなりに大変だったからな。
そして2日目のディナーはイタリアン。食前に出されるパンを食べるとお腹がいっぱいになるとわかっているのだが、おいしくて、ついつい食べてしまう。
エビのリゾットと魚のフライ。これがまた、どちらも美味であった。デザートは入らない状態なのに、コーヒーを頼むとついて来るスイーツ。嗚呼。
そしてこの日も、懲りずに写真撮影を楽しみつつ、夜のホテル内を巡るのだった。
そして2泊3日の短い滞在も終わり、最後の朝食。昨日は勧められても飲めなかったが、今日は爽やかに、朝からピンク・シャンパンを。
夫は上品に焼き上げられたオムレツを。
アラカルトメニューは豊富で、もちろんインド料理もあれこれとある。また来なければ、と思わせられる。
フライトは夕刻の便だったので、レイトチェックアウトを依頼し、午後3時まで、ホテルでのんびりと過ごしたのだった。
ざっと記すつもりが、またしても膨大な記録となってしまった。
また、改めて行きたいと思う場所が増えた。
すばらしいバースデー・ウイークエンドをありがとう。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。