最後に更新してから、20日近くもたっていた。濃い、日々だった。5泊6日のムンバイ出張は、モンスーンの時節ながらも天候に恵まれ、つつがなく業務を完了することができた。特に後半の視察旅行は、大雨でも降られようものなら、道路は渋滞し、自由に街を歩けず、視察が全く異なる内容となってしまう可能性もあったので、雨が降らなかっただけでもラッキーだったとさえ思う。
出張から戻った8月31日は、48回目の誕生日。自宅でゆっくりと過ごしたいところだったが、夫がレストランの予約を入れておいてくれたので、外食をすることに。二人で静かなバースデーナイトを過ごした。
歳を重ねて思うのは、大切なことは年齢の数ではなく、「経験とその質」であり、また「健康的な心身を保つこと」だということ。自分の情念や衝動を、瑞々しく保つ努力は、惜しんではならないと思う。
それは、自分のためだけではなく、家族のためでもあり、また何らかの形で社会に貢献し続けるためでもある。自分の経験を生かして、世の中に還元できることは、幸福なことだと、最近は思う。
それにしても、気が晴れない。ここ数週間の世間のニュースを目にするにつけ。まずインド。インド経済の落ち込みや、政治の腐敗ぶり、そして来年の選挙へ向けての、なんとも残念な政党の現状。夫もまた、ほとほとインドに嫌気がさし、「米国に帰りたい気分」が再燃している。それでもわたしは、インドに住み続けたいと思っているのだが。
それより何より、我が母国。2011年3月から延々と、なに一つ収束することなく、危機的な状況が続いている福島の原発。関連の情報にアクセスすれば、高濃度の放射能で汚染された水が、今までずっと漏れ続けていたことなど、そしてこれからもそれが続くであろうことも、それ以外にも諸々の危機的な事態が重なっていることも、手に取るようにわかる。日本のメディアが大々的に報道していなくても、小さく、しかし確実に情報を提供している現場の人々の声は、拾い集めることは可能だ。
にもかかわらず、あたかもつい最近、汚染水問題が発生したかのようなトーンのニュースが巷にあふれた。そして国費投入の報道。事故から2年以上もたった今、事態は悪化の一途をたどっているというのに、たかだか470億円で汚染水問題が解決するはずがない。現在の福島の状況を考えれば、全然足りない数字だと、素人のわたしでさえ、察しがつく。
国民一人当たりに換算すれば、400円程度。このような対応しかできない政治家を選んだのは、国民の責任でもある。2年以上、この件について、政府の収束宣言などを鵜呑みに信じる方も愚かだということを自覚すべきだ。血税云々の不満を言っている場合ではない。
一人一人が、1000円でも、いや1万円でも負担して、国を挙げて、解決を目指すべき重大なる事態である。すでに汚染水は、海を介して世界に広がっている。 日本だけの問題ではない。地球そのものに、多大なる影響を与えている恐ろしい事態なのだ。これから5年先、10年先、100年先、いや何千年、何万年たっても、毒を吐きを続ける放射性物質。
今、生きているわたしたちが、全員死んでしまったあと、何度生まれ変わっても、延々と、地球を汚し続けている。なんと恐ろしいものに、人間は頼って生きることになってしまったのか。と、考えればきりがないのでこの件については、これ以上は触れない。
そして極めつけは、東京オリンピックの開催決定。オリンピック誘致に関する盛り上がりを見せた報道。愕然としたのは、安倍首相のことばだ。「福島の状況は、コントロール下にある」という。
そんな嘘が、国際社会で通用してしまうことが恐ろしい。いや、東京での開催が決まったことは、最早日本だけの力ではない。原発を推進している国々の、何らかの思惑が働いているのではないか、とさえ思う。
確かに経済効果はあるだろう。オリンピックに向けて、今まで放置されて来た福島の現状に対し、世界のメディアもより注意を払うことになるだろう。そこで、何か、前向きな方策がとられることを、最早、祈るしかない。
わたしは、以前からも折に触れて書いて来たが、福島の現状に対して、絶望的な気分でいる。しかしながら、日本人として、ただ政治や東電に対する不満だけを口にするのも本意ではなく、自分にできることを模索している。今のところ、某団体にささやかながら、寄付をさせてもらっている。それが焼け石に水でも、ともかく自分がなにか、関わっているのだという行動を起こさなければ、気持ちのやり場がない。
この話を分かち合える人は、残念ながら、身近にいない。そういうものだということも、理解している。しかし、どんなに疎ましがられても、この件に関しては、わたしは看過するつもりはない。日本人として生涯抱え続けねばならない、大いなる問題であると認識している。
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