今朝は月に一度のFM熊本収録日につき、早朝起床。今回のテーマは、価値観の見直しが必要な時代の到来について。
数分間で軽く語れるテーマではないことも、テーマとしては重めであることも承知のうえで、思うところを伝えたい。
昨今のCOVID-19世界を眺め、軒並み「先進国」とされる世界が混沌としているのを見るにつけ、海外生活を始めた直後の25年前から、常々感じてきた世界の「優劣」の定義に、今、改めて、強い違和感を覚えている。
たとえインドに暮らしている日本人でも、ここに住んでいる理由、あるいは、住んでいる土地、主たる情報源、また関わる人たちによって、物の見方や考え方、感受性は著しく異なる。ゆえに、日本に暮らす人は、インドに対して偏った情報しか得られないのはやむを得ないだろう。なお、わたし一個人の立場から、この状況を見るに、インドにおけるCOVID-19は、収束に向かいつつあると実感している。無論、他の社会問題は山積しているが。
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今年に入って「知能指数より知恵指数」とか、「不易流行」とか、いろいろ書き続けているが、これからも、世間からの反応が薄いのを覚悟で、しつこく発信し続けていくつもりだ。
今日、お勧めしたいのは、デイヴィッド・アッテンボローの映画『地球に暮らす生命』。NETFLIXで見られる。手書きノートにも軽く言及しているが、とにかくは「最後まで」見てほしい。地球に生きる人間として、この事実は知っておくべきだし、知った上で行動せねばならないと思う。この映画を見た後に、わたしは諸々が腑に落ちて、思うところを発信し続けようとの思いを強くした。
わたしは子どものころから、地球環境の破壊や天災に対して敏感で、異様なほどの恐怖心を抱いていた。その傾向を強くさせた一つに映画『ノストラダムスの大予言』がある。1973年に公開されたその映画。他の映画を見るために訪れた映画館で、予告編を見ただけで恐怖の極みに陥り、何の映画を見に行ったのかは覚えていないにもかかわらず、その予告編だけが脳裏に刻まれた。
以来、「わたしは33歳で死ぬのだ。夫と二人の子供もいっしょに……」などと、妄想していた。実際のところ、33歳のわたしはまだ独身で、55歳の今も元気で生きているのだが。
アッテンボロー『地球に暮らす生命』を見た後、ふと『ノストラダムスの大予言』を思い出して検索した。ビンゴだった。この映画は、単に恐怖心を煽るパニック映画ではない、「環境問題への真剣な警告」が主旨の、未来予測の映画であった。なんとかして見てみたいものだ。
以下、Wikipediaよりあらすじの一部を抜粋。
「……良玄は、人類の行き過ぎた開発が人類を滅亡させるとして、必要以上の生産を止めるよう提言するが、人々の興味は生活の向上や生産の増加に向いており、逆に「ヒューマニズムの崩壊」と批判される始末。国際会議も、発展途上国の人口増加が環境破壊に拍車をかけていると主張する先進国と、先進国の資源浪費が環境破壊の原因だと反論する発展途上国が対立して紛糾する。そんな中、太平洋上の海面が凍りつき、エジプトで雪が降るなどの異常気象が発生。さらに、成層圏に滞留した放射能がニューギニアに降り注いだとの知らせが届き、国際合同調査隊が派遣されることになった……」
ほんといい加減、方向転換しないと、人類。
『地球に暮らす生命』を見て、デイヴィッドの最後の言葉を聞いて、子どものころからずっと抱え続けてきた違和感を拭うための、自分なりの解決法を、今日、はじめて「言語化」できた。
いろいろなことが、腑に落ちた。そして、この言葉が浮かんだ。
自分が心がけてきたこと、やってきたことの多くを、ひとまとめにできる、わかりやすい「指針」が生まれた。ひとつの方向性。これから少しずつ、整理していこう。
In the coming era, we should improve not only IQ (Intelligence Quotient) but also WQ (Wisdom Quotient).
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