🕰インドのいいところ。利便性や最新を追求するだけではない、古き良きものが身近にあって、それらを手入れしたり、修繕したりしながら、慈しみ使えること。
特に英国統治時代の名残が色濃く残るバンガロールは、「インドらしいもの」だけではなく、欧州ほか、世界各地の骨董品が町中に眠っている。誰かのお宅に。あるいは骨董品店に。
中には日本製もある。たとえば2006年にコマーシャルストリートで見つけた我が家の掛け時計。これは明治時代に作られたSEIKO (SEIKOSHA精工舎)の時計だ。店頭に飾られているときには動かなかったが、修理に出して息を吹き返した。
ジョイントファミリー、すなわち両親を筆頭に息子家族が共に暮らす「大家族」が一般的でもあったインド。しかし、過去20年の間にも、核家族が徐々に増え始め、アパートメント・ビルディングなどの間取りは狭くなりつつある。
ゆえに、先祖の思い出が滲む重厚な家具を引き継ぐ世代は減り、古くも味わい深い家具は、売られることになる。
インド移住当初の2005年、わたしは市街のあちこちを巡っては、そういう家具調度品を発掘して、迎え入れてきた。そして去年からまた改めて、新居のための諸々を調達してきた。もちろん、新しい家具もあるのだが、新旧の調和をイメージしながら買い集めた。
昔ながらの家具は、ソリッドウッド(天然木)だということもあり、重く大きいものが多い。決して使い勝手がいいとは言えない。しかし、軽く百年を超える家具には、それぞれが紡いできた物語が滲んでいる。独特の温もりがある。
🕰壊れていた鳩時計を修理してもらうために、コマーシャルストリートの古時計の修理専門店へ赴いた。日本語では「鳩時計」だが、英語だと「Cuchoo Clock」、すなわち「カッコウ時計」につき、以下、カッコウ時計と呼ぶ。
ワシントンD.C.在住時の2003年に欧州を旅した際、スイスのインターラーケンで買った。夫が欲しがったのだ。彼が12歳の時、家族で初めてスイスを訪れた。その際、夫はカッコウ時計に心を奪われ、ロメイシュ・パパに買ってくれと懇願したものの、却下されたという。そのときの記憶が脳裏に深く刻まれていた模様。
そもそも物欲があまりない我が夫ゆえ、よほど欲しかったのだろうと察した。わたしたちは、数軒を巡った結果、スイス製ではなく、カッコウ時計の元祖であるドイツ製(黒い森/シュヴァルツヴァルト時計)の時計を選んだ。
数年前、ちょっとしたアクシデントで壊れていたのを、夫に急かされつつも放置したままだった。今回、新居の夫の書斎に移すべく、ようやく修理に赴いたのだった。
バンガロールの時計修理工としては有名な、時計をこよなく愛するShaik氏の店。彼のことは、ホームページや新聞記事を読んで知っていた。コマーシャルストリートの路地を入り、細い階段をのぼった先で、美しい置き時計を修理する彼の姿があった。
時を刻む無数の時計に囲まれ、しかしまるで時の流れが止まったかのような空間で黙々と時計に向き合う彼。わたしが持ち込んだカッコウ時計を入念に点検し、修理を引き受けてくれた。
「今から19年前に、スイスで買ったんです」と告げたら、
「だいぶ、古いのですね」と返された。
そうか。
自分の中では、ついこの間、買ったばかりのような気がしていたが、思えばすっかり、古いのだ。このコマーシャル・ストリートに初めて足を踏み入れたのも、今から19年前のこと。きれいに舗装された歩道を歩きながら、脳裏で過去の情景を回想する。
インド生活も、すっかり長くなってしまった。
🕰Shaik’s Vintage Times
http://shaiksvintagetimes.com/
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