年を重ねるほどに、偶然の頻度は高まってきた。以前は、「このごろは、勘が冴えているな」と考えることもあった。しかし、最近は、これもひとつの「年の功」だと感じる。
それは、「偶然」という、あたかも外部から与えられた機会ではなく、経験の蓄積による直感や嗅覚、衝動などの潜在意識が誘引するものでもあるのだ、ということを。
ふと、ひらめいて、書棚から引っ張り出し、カバンに詰め込んで持ってきた11年前に出版された雑誌。
開くなり、梅棹忠夫が語るインド。
「インドが東洋なら、日本は東洋ではない。
日本が東洋なら、インドはもう、ぜんぜん東洋と違う。」
インドと日本との、果てしない距離を思わせる一文。
感銘を受けたことすら、忘れていた。
「分類するな。配列せよ。機械的に配列や。大事なのは検索。」
の、言葉に、はっとする。早速、分類をせずに今月のTo do Listを作ってみた。これが意外によくて、驚く。
パラパラとページをめくりながら、最後の記事に目が釘付けに。
ジョージ・ナカシマ。1905年に米国ワシントン州に生まれた日系米国人の建築家。わたしが彼のことを知ったのは、新居の書斎やコーヒーテーブルを作ってくれたアニルを通してだった。コーヒーテーブルの脚の部分をどういうデザインにするか……を相談していたときに、このジョージ・ナカシマのデザイン風にしようと提案してくれたのだ。それを機に、ジョージ・ナカシマの作品が気になり、書籍を購入したのだった。
彼の人生の転機もまた、インドだった。ポンディシェリでSri Aurobindoと出会い、弟子として修行したのだという。
つくづく、どこまでも、インドが滲む。
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