この『片隅の風景』には、こざっぱりと読み切れる日常の断片を書くつもりでいたが、今日はちょっと事情が違う。
まとまった文章を記している『インド百景』が、多分ソフトウエアの問題で、新たに更新できなくなってしまったのだ。
このようなトラブルに、時折見舞われるようになって、早十数年。
わたしが「ホームページ」というものを作り始めたのは2000年。ニューヨークで Muse Publishing, Inc.という会社を起業し、「ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー」という、かなりベタなタイトルのメールマガジンを発行し始めたころのことだ。
ライターでありながら、自分の文章をネット上に書き流すことに、少なからず抵抗があったころもあったが、今はその抵抗も虚し。
いつしかプロアマ問わず、自分の思いを軽く「活字」にできる時代になっていた。
かつて、人は紙に文字を綴り、然るべきプロセスを経て、文章を活字にしていた。文章が活字になることは、決して日常ではなく、特別なことだった。
だから自分がライターとして書いた文章が、初めて出版物になったときの感動は、未だに忘れ得ない。しかし今では、遍く人々の文字が、瞬時に活字となり、世界に発信される。そういう時代になって、久しい。
インド生活も10年目を迎え、この9年間に書き記した記録について、思いを馳せる。毎日の出来事をかなりこまめに記していたころの、膨大な文章がネット上に漂っている。その前の、米国在住時の記録にしても然り。
最初に使っていたホームページ作成用のソフトウエアはとうの昔に廃盤となり、更新できなくなって久しい。コンピュータは随時進化し、さまざまなソフトウエアが闇に葬られて来た。
ソフトウエアが不安定ならば、ブログのサーヴィスの方が永続性があるかもしれない。なにしろ操作も手軽だし、発信しやすい。
そんなこんなで、インド移住の直前、現在も使い続けているこの、米シックス・アパート社が提供するTypepadの有料サーヴィスを選んだ。敢えて有料を選んだのは、トラブルのときの対応がしっかりしているだろうと予測されたこと、また広告が入らないことにあった。
しかし、この9年間の間にも、米シックス・アパートと日本の提携先との契約に際する変更事項などがあり、都度、サーヴィスに不安を抱かされた。
また、特定のサーヴァーが、Typepadのブログを閲覧禁止とする措置を何度か取ったことから、アクセスできなくなった読者が多発したこともあった。そのたびに、利用するプロヴァイダを変えるべきか、悩んだ。
そんな次第で、ブログに頼るのではなく、アップル社のiWebというホームページソフトでホームページ制作を始めたのだが……。このiWebも、すでに開発が中止されたとのこと。今後、OSがアップグレードするにつけ、動作環境も悪くなるか、使えなくなるかという事態になるだろう。さすれば、また別の方法を考えねばならない。
などと思っていた矢先に、ホームページ上のブログ(『インド百景』)の更新ができなってしまった。サーヴァーの問題かもしれないと思ったが、問い合わせて確認したところ、やはりiWebに何らかの問題が起こったようである。
いつもなら、逡巡しながらも早いうちに次の手を打ち、書き続けられる場所の確保をするところだが、今回は心持ちが違う。
ネットという大海の底に沈んで、深海魚のごとく息づく、過去の膨大な記録の意味はなんだろう。それを見つけ、紐解いてみる人が、果たしてどれほどいるだろう。果ては、自分の文章が、紐解いてもらえるだけの力を、意味を、どれほど持っているだろう。
たとえばインド生活にしても、最早、9年前とは違う。今は、その質はさておき、情報は溢れている。
自己満足のために、自身の備忘録のために、書き記すならば、誰の目にも触れずにある「日記」を書けばいいのではないか。それはオンライン上ではなく、紙に回帰するのでも、むしろいいのではないか。
誰に向かって、何を伝えることが、最も意義深いことなのか。そもそも意義を考えねばならないことなのか。
そういう基本的なことを、今までは考えながらも進んでいたが、今回はもう少しじっくりと、次の方向を考えてみようと思っている。
とはいえ、気分次第でまた、すぐにも同じようなことを書き続けるかもしれない。自分でもよくわからない。
ともあれ、『インド百景』はiWebの問題が解決するまで休止である。解決しなければ、来年から再び、このTypepad上にブログとして残すかもしれない。諸々、年末に向けて、考えてみようと思う。
長くなってしまったが、「11月11日更新しました」と書いているにも関わらず、更新できずにいるので、その点の説明も兼ねての記録である。