揃いの制服に身を包み、きれいに三つ編みを束ね、はにかむように微笑む、利発そうな少女たち。彼女たち、いや彼女たちだけではない、この無料の学校に通う約500名の子どもたち……。
彼らの両親は、超低所得者層に属する人々。公立の学校にすら通わせるお金もなければ、子どもに教育を受けさせようという意識もない、子どもには早いうちから働いて欲しいと望む人々。
教師たちが働きかけても決して学校に来ることはなく。むしろ子どもを辞めさせようとする親を説得することの方が多いという。
先日開催した第9回チャリティ・ティーパーティ。第8回分の寄付金と併せて7100ルピー、それに寄付の品々を伴って、このBANGALORE EDUCATION TRUSTを訪れた。
バンガロール市街北部、ヤラハンカにある無料の学校。制服や教材、ノートなどすべてを、無料で支給している。
わたし自身は昨年の2月、一度訪れていたのだが、今回は参加者がみな新しくバンガロールを訪れた人ばかりだということもあり、再びこの学校を訪問することにしたのだった。
この学校は、幼稚園児から高校生、つまり5歳から17歳までの子供たち総勢470人が、学び舎をともにしている。生徒は界隈に暮らす貧しい家庭の子供たち。学費や文房具、教科書などはすべて無料だ。
創設に関わり管理をしているのは、写真右下のナガラジ氏 (Mr. Nagaraj)。若いころはビジネスをしており、市街西部のマレシュワラムに50年ほど暮らしているのだという。
学校のあるこの土地は、彼が数十年前に購入した私有地だとのこと。現在70歳の彼は生涯独身で、兄弟も家族もないという。自分のためのお金をはさほど必要ないので、貧しい子供たちのたちの教育のために、1994年、この学校を立ち上げた。
創設にあたっては、ゴア(インド西部)で行われた会合(NGO団体の会合だと思われる)で出会ったスイスとドイツの慈善団体から多大な寄付金を受けたとのこと。左下の礎石がそれだ。
礎石の下の部分の石がいびつに削られているのは、訪れた支持者たちから、「我々は名声のために慈善活動をしているわけではないので、名前を載せないでほしい」と頼まれたことから、削ったのだという。
現在も、スイスやドイツをはじめ、オーストラリアなど海外の企業や個人からの寄付金の他、ナガラジ氏の友人や知人、地元の支援者の寄付金によって運営されているという。
ただ、昨今の不景気もあり、寄付金が思うように集まらず、現在、政府の援助を仰ぐべく申請しているところだという。
今回の訪問で胸に迫ったのは、子どもたちの笑顔とは裏腹の、ナガラジ氏の沈み込んだ様子だった。そもそも、アポイントメントを入れるときから、様子が違っていた。
日にちを勘違いしたということだけではなく、強い疲労感のようなものが、電話口から伝わって来たのだ。
1年半前に訪れたときよりとは、明らかに違う。
「運営のための資金が足らず、教師たちに支払う給料がまかなえない」
「このごろは、ぐっすりと眠れない」
みなと子どもたちの教室を巡る合間合間にも、そのようなことを口にする。最後に寄付金を渡したところ、最初は冗談のように、
「百万ドルくらい、くれるとうれしいのだが」
と言っていたのがだ、実際に7100ルピー(1万4千円程度)を渡したところ、
「もう一つ、ゼロが欲しいな」
と、しんみり言う。
スイスやドイツの創業に関わった人々も、このごろは送金が滞りがちだという。
「もう、人に寄付を乞うのも疲れてしまってね。どうしていいやら、わからない状況なんだよ」
前回訪れたときは、マレシュワラムに家があると言っていたが、今はこの学校の近くに住んでいるという。家は多分、売り払ったのかもしれない。彼の個人的な資産はすべて、この学校につぎ込まれてしまったようだ。
天涯孤独だと言う身の上の彼が、自分の築いた資産を、恵まれぬ子どもたちの教育に注ごうとした気持ちは痛いほどわかる。しかし、来る者は拒まずで受け入れるものの、寄付金を集めるべく力が絶対的に足りていない様子である。
貧しい子供たちは、なぜ公立の学校に通わないのか? そう思う人もあるだろう。
このBANGALORE EDUCATION TRUSTは、制服も教材もノートも、すべて無料で支給している。しかし、公立学校は、制服代などを自分で支払わねばならない。
ナガラジ氏によれば、月々500ルピー前後の出費に加え、寄付金も要請されるから、年間少なくとも1万ルピーは払わなければならないとのこと。
年間2万円。
わずか2万円なら、払えるだろう。そう思う人が多いことだろう。しかしインドは、たとえ高度経済成長のただ中で、人々が経済力をつけて来たとはいえ、いまだ国民の半数程度が、年収数十万円以下、なのである。
1日の世帯収入が数百円程度の低所得者層の人々にとって、年間2万円は大きい。そんな金を子どもに出すくらいなら、早いうちから働かせたい。それが本音なのである。
教育を受けていない両親の意識もまた低く、教育の重要性を理解していない。だからナガラジ氏をはじめ、先生方が親を招いての会合を企画しても、決して親は訪れないという。
むしろ、子どもに学校を辞めさせ、働かせようとする親たちを説得することに、エネルギーを要するとのことだ。
幼児から18歳(高校生)までの子どもたちを受け入れているこの学校。公立学校のシラバスに従い、カンナダ語、ヒンディー語、英語、算数、理科、社会を教えている。音楽やスポーツも行う。
「アンティ! アンティ!」
と叫びながら、自分のノートを見せてくれる子どもたち。まだ10歳ほどのこどもたちが、内臓の図などを克明に描いているのにも驚かされる。
行儀よく、明るく、元気で、わたしたちを歓迎してくれる子どもたち。彼らの家族の多くはしかし、彼らの可能性を摘み取ろうとしているということが、にわかには信じ難い。
「ドクターになりたい」
「弁護士になりたい」
「先生になりたい」
「ポリスになりたい」
夢を語る子どもたちの、しかし現実は決して明るくない。ここを卒業する子どもたちの半数は、ローカルの大学に進学するものの、学費が払えず中退する子どもの方が圧倒的に多いらしい。
結局は、望む職業にもつけず、低所得の仕事しか得られないのが現状だとのこと。
ところで、インドの学校の97%が公立だという。そのクオリティは州や都市によって大きく異なるが、少なくともカルナタカ州、バンガロールのそれは、決して良好ではない。
時折新聞で目にするのは「トイレ」の問題。教育以前に、女子トイレがなく、学校に行けないという子どもたちもあるのだ。
建築物の老朽化、水漏れ、その他。公立学校の問題も尽きない。
教師たちの質もピンからキリ。彼らへの給与も少なく、月収が7000ルピー程度(14000円ほど)との記事も出ていた。
それに比べれば、この学校は衛生的で、教育も行き届き、非常に恵まれた環境であるといえるだろう。教師の質も非常にいいのだとナガラジ氏が言っていたが、それは教室の様子を見ていると伝わってくる。
先生方の尽力があってこその、この学校の運営なのであろうが、しかし彼らへの給料がきちんと払えないということが、ナガラジ氏の心をどれほど苦しめているか、想像に難くない。
上の写真。楽器やスポーツ用具はOWC (Overseas Women's Club) が支援したという。このほか備品、制服の一部をOWCが支援していることをナガラジ氏は教えてくれた。
コンピュータはリライアンスが提供してくれたとのこと。お金であれ、備品であれ、使えるものならなんでも、役に立つ。
OWCが支援する26の慈善団体から、これまで約10の団体を訪れて来た。いずれも、切迫した経営だ。わたしたちが行っているような、少額の支援では「焼け石に水」としかいいようがない。
わたし自身は、バンガロールに暮らす日本人の方々に、少しでも慈善団体の現状を見ていただきたく、このような機会を作って来た。少しでも、そこから広がる何かがあることも、期待しつつ。
しかしながら、もっと根源的に、実質的に、サポートできるような何かについてを、考えるべき時期に来ているとも思う。
バンガロールに進出している日本企業など、力のある立場の人たちが、CSRの一環として、より積極的に動くことで、地域社会への貢献が実現できるのではないだろうかとも、思う。
右上の写真の先生は、毎朝50キロもの遠方から通勤しているのだという。道路交通事情の悪いインドでの50キロといえば、相当の距離だ。
しかしながら、彼女はこの学校が好きで、子どもたちが好きで、敢えてここを職場に選んだのだという。彼女の思いは、生徒たちに伝わっていると、子どもたちの様子を見ていると、痛いほどに伝わってくる。
この、少女たち。こうして改めて、写真に写った彼女たちの表情を、一人一人見つめていると、その一人一人の可能性の尊さが伝わって来て、なんとかならないものか、との思いにかられる。
袖振り合うも他生の縁。
出会ってしまったら、出会わなかったことにはできない。
どうみても、おっさんにしか見えないティーンエージャーの彼ら。まもなく大学進学だとのことだが、彼らがいったいどのような職業に就くのか。
幼い子どもたちの、屈託のなさは、もちろん彼らにはなく、彼らにはもう、自分たちの現実が見えているのかもしれない。
ナガラジ氏の嘆きが、今回は痛いほど伝わって来た。帰宅してからも、まとまらぬ思いが堂々巡りで、夫ともあれこれと相談した。
彼自身、現在携わっているプロジェクトのひとつに、インドにおける教育機関への投資があり、インドの教育事情についてを調べているところで、さまざまな情報を与えてくれる。
彼の仕事の方向性と、わたし自身が思うところでは、大きな意識の隔たりがあるものの、ともあれ現状を知るという意味では役に立つ。
何を行うにしてもリサーチは欠かせず、しかしインドのそれの「一筋縄ではいかない」現状には、途方に暮れる思いだ。
※前回訪問時の記録↓
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