季節外れの大雨が降り続いていたバンガロール。火曜日、まるで雨間を縫うように晴れたひととき、バンガロール市街東部、ホワイトフィールドにあるホスピスを訪問した。
わたしは、2010年に初めて訪れて以来、今回6度目の訪問だった。どの団体でもそうだが、訪問するたびに、新たな発見や学びがある。特に今回は、それが顕著だった。一昨年、同じ敷地内に建築されたカルナシュラヤ緩和ケア教育研究所(KIPCER)の存在が、その印象を強めていた。
これまで通り、ホスピスとしての機能を果たす一方で、緩和ケアの教育、研修、啓蒙活動が本格化されていた。国内外の大手医療機関とも提携。膨大なケースの記録を活用しつつ、質の高い緩和ケアを目的とした研究活動なども行っているという。
今回、新たに知ったことで、書き残しておきたいことがたくさんあるのだが、明後日から一時帰国につき、諸々、立て込んでいる。一方で、今回も参加メンバーが、みなさんそれぞれに思いのこもった感想を送ってくださったので、それをシェアしたい。
以下、同団体の概要については、箇条書きで残しておく。
💝KARUNASHRAYAに関する覚書
①末期がん患者の無料緩和ケア提供
②末期がん患者のための無料訪問介護サーヴィス
③看護補助者養成プログラムの実施
④緩和ケア教育研究所として、次なるステージへ*
◎ホスピスとは、がんの治療の段階で、薬の効果が得られなくなった、即ち回復の見込みがない患者たちを受け入れるための施設。
◎ホスピスでは、病気から回復させるための治療をするのではなく、苦しみを和らげるための緩和ケア(Palliative Care)を行っている。
◎緩和ケアを施すことにより、患者のQuality of Life(ライフの質)を高く保ち、Dignity(尊厳)を守るための手助けをする。
◎インドで初のホスピスは1985年にムンバイで創設された。ここはインドで2カ所目。1994年にトラスト創設、1995年に訪問介護サーヴィス開始、1999年に病棟建設。バンガロールでは唯一、無料で患者を受け入れている。2022年に緩和ケア教育研究所を創設。
◎非営利団体のホスピスというと、設備が不完全な場所を連想されやすいが、ここはでは緩和ケアに関する最先端のプロフェッショナルな医療を提供している。
◎職員には給与を支払い、勤務状況を管理し、一般の病院と変わりのない環境を整備している。
◎現在、KARUNASHRAYAのベッド数は72床。常に60床以上が占有されている。過去30年間で約29,500人の命を見送ってきた。
◎ドクター7名(交代で回診)、カウンセラー7名(交代で回診)、ナース約100名、そのほか、運営や管理に携わるスタッフ約40名が働いている。
◎ナース、およびヘルス・アシスタントには6カ月の研修を受けてもらう。宿泊施設や食事などはすべて提供。毎日、死に直面する精神的に負担の大きい仕事ゆえ、随時休暇を与えつつ、交代制で勤務する。
◎訪問介護に関しては、3つのチームを擁し、バンガロール市内3カ所を拠点に、要請があった家庭への投薬やケアを行うべく訪問。スラムでもどこへでも、訪れる。
◎年間約9,400万ルピー(約15億円)ほどの経費がかかる。すべては寄付金(CSR約30%、個人約70%)から賄われている。(2019年時点)
◎KARUNASHRAYAで使用される電力は、太陽光発電で100%、賄っている。
◎患者の約60%が貧困層。40%が中流層以上。遍く患者に対し、等しく無料でケアを提供。入院の過程で病状が緩和した人には、状況に応じて自宅に戻ってもらうケースもある。入院中の患者の関係者からは寄付を受け付けていない。
◎KARUNASHRAYAで就労経験のある看護師は、将来、ここで培った経験や知識を、他の病院で生かすことがができる。
◎KARUNASHRAYAでは、子どもの患者を除いては、概ね、病状を伝える。その人が亡くなる前に「wish」すなわち「願い」を実現させる時間を提供するために。そのために、カウンセラーがケアを行う。
◎KARUNASHRAYAでは、あらゆる宗教の人を受け入れている。もしも患者やその家族から、特定の宗教の僧侶や司祭を呼んでほしいと依頼されれば招くが、公共の場での儀礼や祭祀は禁じている。
◎死を前にした人たちの願いを叶えることができるよう、スタッフは極力、努める。
【過去の訪問記録】
KARUNASHRAYA / The Bangalore Hospice Trust~
【感想①】
美穂さん。この度はホスピス訪問の機会を設けてくださりありがとうございました。事前に過去訪問記事は拝読していましたが、完全に寄付だけで運営されているホスピス、到着するまではどんな場所なのか未知の世界。不安も混ざっていました。ですがいざ敷地内に入るとそんな気持ちは無くなりました。風が吹き抜ける、広くてとても静かで美しい穏やかな場所。患者に寄り添った配慮が伝わる建物のつくり、設備。清潔そうな病室も、全てカーテンで仕切られプライバシーが守られている様子でした。
中でも印象的だったのは各ベッド横の壁は扉になっていて、全て通路に繋がっている設計。それは患者さんが亡くなられた時、他の患者さんの目に触れずに済むようにその扉から通路へ運ぶため。他の患者さんの死への恐怖を与えずメンタルが守られるための配慮から。そして全てのその扉は通路に向かって並んでいて、ベッドを運び出した後そのまま霊安室へ直行出来る導線になっているというお話を伺い、患者さん、ご家族、そこで働く方々、全ての方に対して死に面しているホスピスならではの工夫や配慮があちこちに詰まっていることを感じました。
まさにここは死を迎えるための場所なのだなと、けれど死を受け入れている場所ならではと言いますか、不思議にも穏やかさをも感じました。美穂さんが死に直面した時に人はどう感じどう在りたいかを考えさせられる場所、と綴られていた意味が分かったような気がします。
ドクターと同じ人数のメンタルカウンセラーがおられて、患者さんの痛みを取るだけではなく心のケアに力を入れているというお話にも感銘しました。そして、昨今ではここで生涯を閉じられた方の臨床やデータを未来へと繋げる新しい取り組みをされているとのこと。今を救うだけではなく、活動を通して何かに貢献されていることが素晴らしい。
訪問後に美穂さんが教えてくださった、宗教や思想が根本にある慈悲の心から発展するビジネスは、日本にはあまり馴染みがないが、インドにはたくさん存在するというお話。無知な私なのでわからない事が沢山でしたが、このお話を聞いて今日見聞きした事にもストンと腑に落ちた気持ちでした。
患者さんからはお金は貰わないけれど助けたい。ここは貧困があるインドだから。助けを求める人がいて、助けたい人がいて、その気持ちを支援したい人がいて。そんな気持ちの連鎖で成り立っているのですね。今回美穂さんと友人のおかげでチャリティーにも参加する事ができて良かったです。
ここで生涯を閉じられた方々のストーリーをまとめた本が出版されているそうで、その本を通して微々たる何かにでも繋がるならと、読んでみたいと思います。40を過ぎて初めて見て聞いて悩み知ることがたくさんです。ありがとうございました。(バンガロール在住歴2年/43歳M)
【感想②】
この度は貴重な機会を頂きましてありがとうございました。学生時代にコルカタのマザーテレサの施設「死を待つ人々の家」でボランティアをした経験がありますが、その時のインドのホスピスのイメージとは全く違う施設でした。人間の尊厳を持って、最後のひと時をどう過ごすかという事を考え、理念だけではなく、システムや、学術的にも飛躍させ、また、すべて無料で提供されているという事に驚きました。団体として常に進化し続けている事も、美穂さんの長年の訪問実績からうかがい知る事ができました。
訪問後の美穂さんのお話、時に、フィランソロピーについては大変勉強になりました。私の最初のインドとの関わりはNGOの活動でしたが、その時の経験で経済活動と融合させたいという思いでインドで起業したりしましたが、インドの方にこの話をする際に、ポカーンとされる事がありました。
社会課題がすぐ近くにあるインドでは、事業とは、何か社会課題にプラスの影響を与えるべきものであるという認識があるため、日本のような、援助活動と、経済活動とが切り離された感覚ではないのだろうなと感じておりましたが、本日の訪問後の美穂さんのお話で、フィランソロピーのお話を伺い、自分自身、大きく納得した部分があります。
次回は、家族を含め、また訪問させて頂きたいと思っています。今回は訪問に際して、アレンジから、歌唱、通訳、最後のふりかえりまで、本当にありがとうございました。(ホワイトフィールド在住/S.K)
【感想③】
ホスピスへの訪問は国内外ともに初めてでした。日本ではもしかするとなかなかできないことかもしれない。患者さんの心情を考えると難しいであろう。そんな中このような経験をさせていただき、美穂さん、施設関係者の方々に感謝いたします。
“ホスピス”の私のイメージはガンで死を迎える前の病院。精神的にも肉体的にも辛く悲しく暗いイメージを持っていました。こちらの施設はとても綺麗でインドとは思えない、リゾート地のようでした。施設は大きい訳ではなかったです。70ベットぐらいだったと思います。そのため末期患者だけが施設にいらっしゃるとのこと。そのほかの患者さんの状態に合わせて訪問医療を取り入れている点から優しさを感じた。死にゆく人を見るのは、健常者でも精神的に辛い。患者さんからしたら、もっと大きいものであろう。
そして驚いたのが、最近カンファレンス施設を建てたと話していた。ここは未来を見据え、多くのがん患者が過ごしやすくするための研究施設だった。
見学を始めると創設者の方の優しさがあちらこちらにありました。病室の作り、霊安室の位置や池を囲んでの風通しよく水のサウンドや模様しものの音が病室に届くように考えられた病室の配置。印象に残っているのが、手の絵が至る所に描かれていたことです。“手当”というイメージなのかなと想像していました。とにかく患者さんへの配慮の気持ちがあふれた施設。患者さんをサポートするスタッフ至るまで優しさが溢れ出ていました。
私たちは見学の時に“ふるさと”を合唱しましたが、スタッフの顔はみんな明るかった。死と隣り合わせの職場にも関わらず。働きやすいのであろうことがわかった。その明るいスタッフに見てもらえる患者さんはおそらく幾分か精神を和らげれるであろうと想像しました。
叔父を数年前に肺がんで亡くした時、叔父は病院で最期を迎えましたが、やはりとても痛そうで苦しそうで精神状況も良くありませんでした。子供にも時間は命と教えています。今回の経験で私も時間はずっとは続かないことを改めて心に留めて後悔のない日々。最後の時にいい人生だったと思えるように過ごしたいと思う1日でした。今回一緒に訪問した皆様や施設関係者の方に感謝いたします。ありがとうございました。(バンガロール在住歴1年3カ月)
【感想④】
人生で初めてのホスピス訪問、良い意味で想像していたものと違いました。スタッフの方や美穂さんも仰る通り、実際に足を運んで自分の目で見てみることは大切だと痛感しています。死ぬ間際まで辛い思いをして延命治療することが果たして正なのか。最期まで人間としての生き方を尊重する、本施設の考え方に感銘を受けました。また、death doula(亡くなる人や家族のケア・サポート)という新しい概念も初めて知ることができました。もし自分に機会が巡ってきたら、ターミナルケアに携わることができるかもしれない、と今までの人生では考えていなかった新しい分野を開拓するきっかけになりました。(バンガロール在住歴1年半/内海)
【感想⑤】
私自身、ホスピスを訪問するのは初めての経験でした。過去の記録を読み、暗いイメージとは違う穏やかな所であろうとは思っていましたが、想像以上に清潔で温かい雰囲気で、それを維持する為の建造物などハード面、スタッフによるソフト面での様々な気遣いを説明して頂きとても勉強になりました。
患者さんのQOLを向上させる為に、個人の希望を聞いて出来る限り叶えてあげたり、患者さんの家族のメンタルケア、ホスピスで働くスタッフのメンタルケア、などそこまでケアしてくれさらにすべて無償だとのことで驚きました。あまりに素晴らしい施設と感じ、入居希望者でいっぱいになってしまうのではと聞いてみたところ、在宅している方への訪問ケアもされているとのことで患者さんを断ったことはないとの返答にただただ感嘆するばかりでした。
無償のホスピスとしてはバンガロールで一つのみとのことで、理想的な施設であってもやはり終末期医療でホスピスを選択するのは日本と同じくインドでもまだ浸透しきれてはいないのだなと感じました。見学させてもらった後に、自分でもこんな穏やかな場所で最期を迎えられたらいいなと思いつつ、子供の為にギリギリまで闘ったほうがよいのか。もし親がホスピスに入りたいと言ったとしたら、もう少し頑張ってほしいという欲がでてきてしまわないか。色々と葛藤もでてきました。死に方を考える、とてもいい機会を頂いたような気がします。(バンガロール在住歴1年/2児の母)
【感想⑥】
私自身、15年前に弟を癌でなくしており、当時お世話になったのが東京のホスピスだった。ホスピスの印象は「暗い」と「温かい」。死に向かい日々弱っていく姿を見て現実を受け入れるのは酷で辛いことだったが、寄り添う看護師さんの温かさに救われたことを覚えている。
生きている時に何ができるか、弟の分まで精いっぱい生きられるか。当時考えていたことを、今回の訪問で改めて思い出すことができた。施設の方に案内していただき、この施設が「患者と家族のEmotional Pain」に重きを置いていることがよく分かった。
・カウンセラーをドクターと同じ数だけ置く。ナースは100名以上
・建物のコンセプトはOpennessとComfort(吹き抜ける風、水辺の噴水の音)
・プライベートドアでプライバシーを保つ
・精神的に弱る患者の邪魔しないよう、宗教は建物内に入れない(外に多様な宗教のShrineを置く)
・「最期の願い」をできる限り叶える
・食べたいものを食べたい時に提供
こうした温かい配慮により、患者とその家族は、最期までの時間を穏やかに有意義に過ごすことができるのだと思う。私のホスピスの印象が「明るい」と「温かい」に塗り替えられた。
身近にある癌の脅威。罹患しても手遅れになっても、最期まで人としての尊厳を保てる場所があることは救いだ。当施設は現在は研究や教育の場としても重要な役割を果たしているとのことで、更に世界中で発展することを願う。
苦しんでいる人からは一切費用を取らないという設立者の意思に感銘を受けると同時に、寄付することが当たり前のインド社会には学ぶものが大いにあると思った。美穂さん、貴重な機会をありがとうございました。(バンガロール在住歴1年半/女性)
【感想⑦】
夫の駐在についてバンガロールへ来て半年以上が経過。未だにインドのことを十分に理解できておらず、(正直なところ)どちらかといえばネガティブな印象が強い日々の中で、それでもインドの様々な面を見てみたい、もっと知りたい、と考えていました。そのような中、「ホスピス」・「緩和ケア」等、これまで日本でも触れたことのない分野で、マルハンさんに引率いただき、Bangalore Hospice Trustを訪問させていただく機会を得ました。
末期癌患者の人々に無償で緩和ケアサービスを提供している施設とは? マルハンさんのブログに事前に目を通していたものの、実際に自ら訪問し、その場を見学し、スタッフの方から直接お話を伺うことで、その理解が一気に深まりました。なるべく運営経費を抑えるため太陽光発電で電力を賄い、風通しがよい構造でひんやりとした石造りの建物。専門医師およびカウンセラーのチームが配置され、身体的な痛みだけでなく精神的な痛みの緩和、患者を支える家族の精神的なケアなどのサービスがすべて無償で提供されている施設。
しかし私にとって特に印象的だったのは、ヒンドゥー教徒が人口のマジョリティを占め、ヒンドゥー教の祭や儀式が日常生活の随所で見られるインドにおいて、この施設内は宗教色がなく、信仰の違いを問わず患者を受け入れ、また施設内に宗教的なものは持ち込まない(特定のスペースを除き)方針である点でした。すなわち、苦しむ人を助けたい気持ち、他人のために何かをしたいと思う気持ちは、人種や宗教に関係なく、インドであれ日本であれ、世界共通で人々が持つ気持ちであること。そしてこの施設で働く人々は、まさにこの良心や善良な心に沿って行動されているであろうことに思いが至りました。
このためか、見学後は重苦しい気持ちになるどころか、何かとても穏やかな、不思議と清々しい気持ちになりました。それでは自分は何ができるのか?何をするのか?それはこれから考えていきたいと思います。(バンガロール在住7カ月/真理子)
【感想⑧】
Hospiceに訪問するのは初めてのことで、最初は死と直結するような場所、しかも外国人が訪問をすることに多少抵抗がありました。しかし事前に頂いた過去ブログなどの情報のおかげで、そのようなプレッシャーは多少軽減されました。また、情報による伝達以上に、実際に足を運ぶことがいかに大切かという事も、今回のMuse Creation の訪問から学んだことでした。
Karunashrayaの設備は聞き及んでいた通り素晴らしく、全てはここに来られる方々の心と体の傷を癒すために設計されていることがよく理解できました。施設の外は通常のインドの雑踏があるのに、ここは光と水と緑がうまく溶け合い、そこにいるだけで心が癒される・満たされる空間でした。
医者の患者に対するケアは痛みの軽減だけでなく、専門医による心理的負担の軽減も行われていること、また家族の喪失感に対するケアも理解されており、非常に高度で総合的な終末期ケアが行われていました。
スタッフの入院患者への対応についても、心遣いを感じ取ることができました。私達が説明を受けている最中も、声が中に聞こえないよう絶えずドアを閉めることに気を配られており(私はインドでこのような配慮を行える人をあまり見かけたことがありませんでした。入院したことのある総合病院でもです)、恐らくどの国でも難しい宗教の取扱についても深く考えられ、病棟には宗教に関するものを一切もちこまない、これが人の権利を平等に取り扱ううえで現状、最善であると感じられました。
また限られた予算(寄付や私財)でやりくりするだけでなく、事業継続のための新しいチャレンジを継続し、さらに拡大を続けていること、将来の終末期医療への次世代の育成についても貢献していることを知り、大変感銘を受けました。
人間が死と向き合う施設で、人としての生きる意味、今ある環境に感謝し、自分たちが社会に貢献できることを日々考え、行動したいと思いました。(インド在住歴4年半/女性)
【感想⑨】
訪問してみて本当によかったです。大抵この様な施設は有料と思っていましたが、寄付金で成り立っていて、誰でも無料で利用可能と言うことにまず驚きました。私は色々なことを知っていても、人々の問題やこういった支援について知っていて共感しても、それだけです。
今回行ってみてもうまく周囲に伝えられないので、次は身近な人を連れて一緒に参加したいです。その積み重ねで共感してくれる人が増え、次に繋がるといいなと思いました。
情報はたくさんあります。自分から取りに行かないと埋もれ、本を読むのさえ辛い時はたくさんの文字がただの景色になります。行って見るのが早いです。百聞は一見にしかずを改めて感じました。また、他のバンガロール在住の日本人方とインドと日本について考えるのも良い時間でした。(バンガロール在住歴1年未満)
【感想⑩】
末期ガン患者のホスピスということでもっと暗い感じを想像していましたが、日常と天国の間の空間でした。ここで死を受け入れる準備ができるなら幸せなんじゃないかと思える場所でした。インドって街は汚いしルールは守らないし、日々ストレスですが、ビジネスと社会貢献が結びついている点は日本より素晴らしいかも…と思います。
今年の5月から6月にかけて、老衰で弱っていく母を看取りました。特に病気もなく、3月にコロナに感染してから隔離されたことで認知が進んで食欲や気力が減退しました。食べて欲しい、とこちらがお願いしても怒っても本人が気がない以上どうしようもなく…。命の終りを本人が決めているのかなと思いました。
亡くなってから半年経った今も、最期の判断はあれで良かったのか考えます。そんなことも訪問しながらずっと思い出しておりました。(バンガロール在住1年2カ月/Yuk)
【感想 (11)】
今回初めてミューズ・クリエイションに参加させていただき、初めて慈善団体を訪問するという貴重な経験をさせていただきました。きっかけは、ホスピスがどういう所か、という興味よりも、インドとはどういう所か、ということにとても興味があったからです。
この半年で私が目にしているインドは街が汚いとか、そんな所を見て嫌悪感を抱いておりましたが、このような素晴らしい施設を作り、継続し、さらなる発展を目指している事に感動いたしました。一方で、先日旅行で訪れたバラナシでは、路上で寝ているたくさんの人々が車窓から見えました。ここバンガロールでも、脇道に入るとそれが家だとは思いたくないような暗くて狭い建物がたくさんあります。そのような人々の生活がどうしたら改善されていくのか、まだまだ疑問は尽きないので、これから自分の目で見て考えていきたいと思います。(バンガロール在住歴6カ月/女性)
【感想(12)】
私の祖父は白血病でなくなりました。私が小学生低学年の時です。いつも通り学校で過ごしていると、祖父が亡くなったから帰宅するようにと伝えられました。祖父がガンで入院していることは知っていました。しかし詳しいことは伝えられず、病院へのお見舞いも行けませんでした。お通夜、お葬式と別れの場はありましたが、泣いている従妹や兄弟の横で、私は悲しむこともできず喪失感だけを感じていました。
私が祖父の死を強く感じたのは、1カ月ほどたってからです。毎日一緒に過ごしていた家のどこにもいなくて、もう話せないんだ、死んじゃうってこういうことなんだと、すごくすごく悲しくなったことを覚えています。
今回訪問させていただいたホスピスでは、ガン末期の方の肉体的な緩和ケアだけではなく、患者さんと家族の精神的なケアも行い、死にどう向き合えばいいのかを一緒に考え実践している場なのだと教えていただきました。敷地内は緑と水と自然の光に満ちた場所で、陽気な音楽も流れていました。まったく死や恐怖、暗い印象を受けることなく、優しい時間が流れていました。
もし祖父がここで最後の時間を過ごしていれば...と考えずにはいれません。このホスピスは患者だけでなく、看取る側の家族にも大きな救いになると感じました。
そして私自身の人生もそろそろ折り返し地点。私たちは死を迎える存在でありながら、健康で日々の生活に追われていると、その事実を忘れてしまいます。そしていざ死が迫ったらと想像すると、不安や焦燥感に押しつぶされそうになります。特に私たち日本人は確固たる宗教観もなく、平均寿命が延びたことで死が身近でもなくなり、自然と死を受け入れる土壌が薄れている、と私は感じています。だからこそ、今回の訪問では改めて死生観について考えさきっかけと、多くの学びを得ることができました。
今回訪問を受け入れて下さったKarunashrayaの皆様、そして企画してくださった美穂さんに、貴重な機会をいただきありがとうございました。(バンガロール在住歴1年半/2児の母)