この8月、ミューズ・クリエイション(NGO)は日本とインドの子どもたちによる壁画交流プロジェクトを非営利で実施する。インド移住以来、大小のイヴェントやバザール、展示会を実施してきたが、今回は従来とは異なる経緯だ。
わたしは大学3年のとき、図らずも大学祭実行委員長を引き受けた。実行委員会結成から大学祭当日に至るまでの約半年間の活動は、その後の自分の人生に、大きな影響を与えた。
今回のイヴェントも「図らずも」から始まったが、すでに有意義な過程を進んでいる。遍く物事、「結果」だけではなく「契機」や「過程」が大切だ。その事実を共有するためにも、長くなるが背景を記録する。
【概要】
壁画交流プロジェクトは、横浜在住の画家、西森禎子氏が主宰するICFA(国際児童親善友好協会)からの依頼を受けて運営するものだ。
日本からは、子どもたち7名を含む11名が来訪、バンガロールのEKYAスクールByrathi校の子どもたち20数名と共に、5日間かけて巨大な壁画を完成させる。8月10日(日)には、壁画の完成を祝し「日本まつり」を開催。バンガロールに6校を擁するEKYAスクールの関係者やバンガロール在住日本人を招き、両国の文化や芸術を共に体験する場を創造する。
西森禎子氏は、1968年から1972年までのパリ在住時に児童画の交流活動を開始。パリで伴侶となるアート・ミーム劇団パフォーマーの西森守氏と出会い、長女を出産。娘を負ぶいながら、命をテーマに描いた渾身の作品「ZEROの誕生」がサロン・ドートンヌに入選し、パリ国立グランパレ美術館に展示されるという経歴を持つ。
彼女は日本帰国後も「ZEROの誕生」をテーマにした活動を継続。ICFAでは、過去約45年間にわたり、横浜、メキシコシティ、上海、サンディエゴなど世界各地13カ所で壁画交流を行い、多くの子どもたちに影響を与えてきた。
【背景】
昨年8月、わたしは知人からの紹介で、バンガロールへ視察旅行に来ていた西森氏と関係者にお会いした。当初はバンガロール入りされた翌日に、一度お会いするだけの予定だったが、その後、世界遺産のハンピを旅されたあと、帰国の途に着く途中で拙宅に立ち寄られた。
数年前に他界された西森守氏から、インド、しかもハンピへ行くことを勧められていたという。インドの二大叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する猿の神様ハニュマーンの生まれ故郷でもあるハンピは、わたしも大好きな場所。新居のホールに掛けている絵画はハンピの寺院を描いたものだ。
半世紀以上「ZEROの誕生」というテーマで絵筆を握られてきた西森氏が、「ゼロ」の概念が誕生したとされるインドで、ぜひプロジェクト実現したいという。その情熱は、強く伝わった。もちろん、壁画交流プロジェクトの歴史や主旨にも共感を覚えた。
「30mの壁と塗料、子どもたちのホームステイ先、そして一緒に絵を描いてくれる子どもたちがいれば……」
お気持ちはわかるが、やすやすと引き受けられることではない。
過去は、各国の関係者から招待される形で実現したとのことで、現地での経費はかからなかったという。しかし、今回のケースは異なる。バンガロールで実施するに際しての予算はない。
正直なところ、迷った。しかし、やることになるだろうことは、心の隅でわかっていた。自分の心一つだ。今年は還暦を迎えることもあり、自分のライフを見直すべく仕事や旅行を減らしている。時間はある。
この時機に巡り来たご縁。
このご縁を未来に繋げるのも自分の役割かもしれない。ミューズ・クリエイションの一大プロジェクトとして実現しようと決めた。
【始動】
「30mの壁」を提供してくれそうな友人は数名いる。優先順位を決めかねていたある夜、クリスマスパーティで、EKYA Schoolsの校長であるTristhaに会った。グラス片手に挨拶を交わして直後、彼女に「30mの壁が必要なんだけど……」と切り出し、簡単に主旨を説明。即座に「Done」と彼女。その瞬間から、プロジェクトは動き始めた。
年明けに企画書を作り、舞台となるEKYA School Byrathi校を訪問。関係者とお会いし、正式にの協力を得た。ミューズ・クリエイションが支援を続けているNew Ark Missionのすぐ近くに位置しており、空港にも比較的近い。個人的にも旧居と新居の間にあるなど地の利がいい。
ホームステイはあらゆる側面においてリスクが高いため、EKYA Schoolsの系列であるCMR大学のゲストハウスを廉価で提供してもらえることになった。学校から車で15分程度と、これもまた便利なロケーション。これらを決める過程においても、学校関係者と日本とのご縁がいくつも明るみとなり、導かれていることを感じた。
ところでわたしは、20歳のとき初めて海外へ飛び、ロサンゼルスで1カ月間ホームステイをした。その夏の経験が、我が人生にコペルニクス的転回を与えたがゆえ、ホームステイの有意義は理解している。しかし、流石にそのコーディネーションまでは責任を持てない。11人が一緒に過ごせる真新しいゲストハウスを使わせてもらえる方がありがたいと判断した。(コメント欄に続く)
その後、ベンガルール国際空港のCEOであるHariと妻のYashoが拙宅へ遊びに来た際、資料を見せつつ主旨を説明。芸術と緑、テクノロジー、サステナビリティが調和した「ターミナル2」の見学ツアーを依頼したら、快諾してくれた。また日本航空便で深夜到着する一行のホテル選びを相談したところ、翌日には、空港敷地内唯一のホテルであるTaj Bangaloreを格安で提供してもらえることとなった。日本チームは全員女性だということもあり、安全性も重視したいところ。深夜の移動は避けたかったので、これも本当にありがたい。
【結成】
ある程度の方向性が見えたことから、ミューズ・クリエイションのWhatsAppコミュニティで声をかけ、実行委員会を結成した。22名の有志を得られたことから、『日本まつり』運営の可能性が広がった。当初は壁画の完成式典をしたいとの依頼だったが、せっかくの機会なので、わたしは『日本まつり』をしたいと思った。日本とインドの芸術や文化に関する展示や、ステージパフォーマンスなどを計画している。外部からの出店や出展を促すことで、ファンドレイジング(資金調達)をする狙いもある。
5月中旬には、在ベンガルール日本国領事館より「後援」の承認をいただけたことから、フライヤーにロゴを掲載。そこから少しずつ、関係者への協力依頼を開始してきた。
現在、友人Anjumの計らいにより、壁画で最も重要な塗料を「ASIAN PAINTS」から割引購入できることになった。壁画の肝となる塗料は、たとえ予算がかかっても高品質のものを選ぶべきだと思っていたので、とてもありがたい。
数日前には、バンガロール日本人会からの協力も得られ、更には期間中、日本チームの移動を担うべく、「第一交通 DAIICHIKOUTSU」が車両2台の提供を申し出てくれた。インドと日本、双方から、この文化的な交流に対して意義を見出し、協調を得られていることを、心からうれしく思う。
基盤は整った。
必要経費を賄えるだけの資金調達は今後の課題だが、まずはバンガロール在住の多くの日本人の方々にこのプロジェクトを知っていただき、何らかの形で協調してもらえることを願っている。
今後は、実行委員はじめ、周囲の方々の支援を受けつつ動く。個人的には、久々にステージパフォーマンスに参加するので「歌い踊る」練習を始めているところだ。🎤💃