バンガロールはムンバイと同様、一般の住宅街とスラムとが、モザイクのように同居しているエリアが少なくない。現在、バンガロール中心部におけるスラム居住者は、人口の3分の1といわれている。
ちなみにムンバイは、人口の約半数がスラムに居住している。
スラムとひと言でいっても、そのライフスタイルにはそれぞれに差異がある。
きちんとした建物はあるものの電気や水道などのインフラが整っていないところ、あるいはまさに「テント」のような掘建て小屋のところ、などさまざまだ。
さて、本日。知人を介して紹介された女性、デヴィカが主催する貧困層女性の自立支援グループを訪れた。
彼女は東部郊外のホワイトフィールドに居住しているが、彼女がサポートしているグループは我が家から約2キロの至近距離にあるスラムであった。
まさに掘建て小屋のような建物と、ゴミに埋もれた線路沿いを歩きつつ、彼女のワークショップへ。ちなみにこのゴミの山、これでもゴミが撤去されたあとで、以前はもっとうずたかく積まれていたらしい。恐ろしい。
デヴィカはケララ州出身の社会活動家だ。これまで約20年に亘り、インド各地の農村部にて、手工芸などの指導を行い、女性たちの経済的独立を支援してきた。
2年前より、彼女としては初めて、都市部のスラムにおいて、ソーシャル・アントレプレナーシップを支援するべく、スラムの女性たちを束ねての活動を始めた。
その試行錯誤については、ここでは触れないが、ともあれ現在20名の女性が、リサイクル製品を作るべく在籍している。
ソーシャル・アントレプレナーシップ。1月にフブリで開催されたカンファレンスのテーマの一つでもあった。
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まず訪れたのは、託児所。メンバーの平均年齢は約20歳。早いうちに結婚して子供がいる彼女らが、仕事に専念できるよう、託児所が用意されているのだ。
生後5カ月から3歳までの子供たち。
ファッションといい、風貌といい……ファンキーである。
ヒンドゥー教徒の家庭では、子供が1歳から3歳までの間に、剃髪の儀式を行う。
ムンダン・セレモニー (Mundan ceremony)と呼ばれるその儀式。
生まれた時から生えていた髪の毛には、前世のよからぬ業が残っているため、剃髪すべし、ということらしい。
ということは、今調べてみて、初めて知った。以前、義継母ウマに聞いた時には、
「小さい頃に髪を剃ったら、丈夫できれいな髪が生えてくるのよ〜」
とのことだったが、そういうカジュアルな理由だけではなかったようだ。
デヴィカ曰く、いつもメンバー同士での口論が絶えず、チームワークの作業をさせるのが、かなり難しいとのこと。
さて、彼女たちが作っているのは使用後のジュースパックによるバッグ。
学校のカフェテリア(主には駐在員家族が利用するインターナショナルスクール)から、安価で買い取ってきたジュースのパック。
これらを洗浄し、乾かし、切断して、編む。
このパックは一般のビニル袋やプラスチック製品とは異なり、リサイクルゴミにはならず、ゴミ捨て場に投棄されるしかない。従っては、そのゴミを少しでも減らすことになる。
インドらしく、マンゴージュースのパッケージが目立つ。柄を意識的に揃えて編まれたものもあれば、ランダムに編まれた物もある。
こちらはセメント袋。これに毛糸で刺繍を施し、バッグなどの素材を作る。袋の表面はそもそも格子状に折られていることから、そこに針を通していけばよく、作業は決して難しいものではない。
左上はセメント袋の刺繍。右上はバッグ。最終の仕上がりは、内側に布が施されているが、わたしは買い物かごに利用したいので、敢えて布が張られていないものを「特注」でお願いした。
ラップトップバッグ、ハンドバッグ、ポーチなどに仕上げられた製品。
実は以前から企画していたのだが、5月か6月あたりに、我がMSS(ミューズ・ソーシャル・サーヴィス)の活動の一環として、チャリティ・バザールを行おうと考えている。
慈善団体では、手工芸品を制作しているところも少なくない。そういうところの「クオリティが高めの」商品を集めて、販売するのだ。
だいぶ前に、チャリティ・ティーパーティの折、小規模な販売を行ったことがあるが、それよりも選択肢を増やして賑やかにやりたい。
この件に関しては、また改めて記そうと思う。
ところでこのグループの名前はANU。20名の女性たちが、名を連ねている。
実は今日、このANUにとって、記念すべきおめでたい日、であったのだ。
1年以上前から準備、3カ月前に申請していた様々な資料が受理され、ついには「会社」として独立したとのこと。
この2年の間、専任スタッフをつけ、リーダー格の女性に指導しながら、会社運営のあれこれを指導してきたデヴィカにとっても、この上なくうれしい一日である。
メンバーを集め、地元のカンナダ語で話をするデヴィカ。青いトップを着た女性が彼女だ。彼女の左に座っているのは、2年前のグループ結成時からずっと在籍している唯一のスタッフ。
彼女の尽力あってこそのANUなのだと、デヴィカは言う。
設立のお祝いをしようと別室に移れば、ヴォランティアの女性が数名の女性に英語を教えているところだった。
今日は会社設立が決まったとあり、計7名ほどのヴォランティアの女性たちが集まっていた。オランダ人、ドイツ人の駐在員夫人らだ。
英語を教えたり、託児所の子供の面倒を見たりで、彼女らは週に数回、訪れているという。
これまで数々の慈善団体を訪れ、その都度、しばしば言及していることではあるが、欧米人の女性たちの慈善活動に対する積極性には、本当に敬服する。
彼女たちとて、母国語は英語ではなく、決して流暢とはいえない英語を話している。それでも、自分がわかるかぎりのことを、教育を受ける機会のなかった若い女性たちに向けて、伝授している。
積極的に活動する人たちには、"EXCUSE"、すなわち「言い訳」は、ない。
との思いを、新たにする。触発される。
一人のドイツ人女性としばらく話をした。
約半年前に赴任してきたという彼女。ドイツ人の駐在員コミュニティはかなり大きいこともあり、時折、集まりに参加はするが、しかし自分自身での活動に専心したいという。
それはどの国のコミュニティにおいてもあることだが、ひたすらインドを忌み嫌い、不満をいう人も多く、それが耐え難いとのこと。
インドは決して住みやすい国ではない。文句を言いたくなる気持ちはわかる。が、文句を言っているだけでは、なにひとつ、笑えない日常だ。
現実に自分が置かれている状況を、どう受け止め、理解し、処置し、「健康的」かつ「建設的」なライフを構築して行くかは、個々人の心の有り様と力量とにかかっている。
自分が置かれている状況下で自分にできることを模索する。それは、自尊心を保つための行いでもあるということを、このごろは痛感する。
デヴィカが大量に購入してきたスポンジケーキを、みなに振る舞うリーダー。
新しい門出の日。みなそれぞれに、うれしそうな顔をしている。
決して前途洋々とは言い難くても、それは祝されるべき出発だ。
世帯収入も5000ルピーに満たない、貧しいばかりの暮らしの女性たちが、学び、経済的に自立し、未来に希望がもてる。
そのことの意義深さは、ひと言では書き尽くせない。
と、行動するたびに、背中をぐいぐい、押される日々である。