ミューズ・クリエイション創設6周年が過ぎ、7年目に入った。活動内容は、踏襲するもの、新しいもの、そのときどきのメンバーの意向に合わせながら、なだらかに紆余曲折、続けている。
個人的には、地域社会に目を向けるという当初の目的よりも、日本人コミュニティに対する貢献度のほうが高くなっているのが事実。今後の自分自身の有り様を思うとき、ローカルの現状を見つめ、書き手、語り手としてレポートするという初心を忘れたくはないという思いが、沸き上がった。
思えば、ミューズ・クリエイション設立以前、一人で活動していた時のほうが、ムンバイとバンガロールとの二都市生活をしていたにもかかわらず、慈善団体訪問の頻度は高かった。一人の場合は、他の人々と予定を調整する必要がないので、即行動に移せる。
前日の夕方、9月に開催するミューズ・チャリティバザールの会場を検討していたとき、ふと、我が家の近所にある慈善団体で、以前から気になっていたところを思い出した。
以前、OWC (Overseas Women's Club)の支援する慈善団体の紹介イヴェントで、何度か担当者と言葉を交わしたことのあるJAGRUTHIというNGOだ。その団体が運営する学校に、ステージ付きのホールがあるので、自由に使ってくださいと言われていたことを思い出したのだ。
その場所も、できれば見せてもらいたい。早速、問い合わせの電話を入れたところ、「明日の午前中どうぞ」とのこと。
当日はSTUDIO MUSEの活動日だったが、朝組メンバーは一時帰国の人が多数でお休み。さあらば、朝、出かけようと早速、赴いたのだった。
我が家から車でわずか5分。同じコックスタウンの一隅に、JAGRUTHIのオフィス、そして46人の子供達がともに暮らす建物はあった。
JAGRUTHIのミッションは、スラムに暮らす貧しい子供たちの救済。中でも、風俗産業に従事する母親、即ち娼婦(売春婦)の元に生まれ、虐げられた環境に置かれている子供たちの救済だ。
具体的な活動内容としては、
●街中から、HIVほか性病に感染した子供たちを見つけ、医療措置を施す
●娼婦の子供たちのための孤児院、施設の運営。医療や教育の提供
●スラムにある無償の学校の運営
●HIVや性病に関する啓蒙のレクチャー
●貧困層の女性たちへの職業訓練
などが挙げられる。
バンガロール。人口の約3割がスラム居住者だ。ムンバイやコルカタなどのように特定の「赤線」、すなわち風俗街というのは、この街にないのだが、風俗営業を行う裏社会の個人、組織は、当然のごとく存在する。かたまらず、散らばっている。
中央の女性が創始者のレヌ。1995年に同団体を創設して以来、活動を続けている。右側の男性カナンは、主要なスタッフの一人として、OWCのイヴェントにも参加していた。
わたしはこれまで、バンガロールにあるHIVに罹患した人々をケアする施設や、子供たちのホームや学校など、複数の団体を訪問しており、それなりの予備知識は備えているつもりだった。
しかし、レヌから聞く現実の一端はまた衝撃的で、闇の深さを思い知る。自分の知っている現実は、氷山の一角に過ぎないのだということを痛感させられる。
娼婦を母親に持つ子供たちの多くが、遺伝的なHIV罹患者。政府やさまざまな団体が、対策を講じている。しかし、焼け石に水の状態。その数は増え続けている。
病気をもった娼婦を買う人は、貧困層に限らず、富裕層にも及ぶ。適切な治療を受けていない人、避妊を怠る人たちは、HIVに感染し、罹患者をどんどん増やしている。
レヌ曰く「わたしたちは、爆弾の上に座っているような状況です」。
一言では書きつくせぬ、新しくも衝撃的な事実が次々と。そしていつものように思う。社会のために身を賭す人々の存在の偉大さ。
ともあれ、この日は簡単に挨拶をして、今後、ミューズ・クリエイションのメンバーとともに来訪するための、いわば「下見」のつもりだった。しかし、結果的には施設のすべてをじっくりと案内してもらったのだった。
このビルディングには、46人の子供たち(大半が女児)が暮している。子供たちはここで生活をしながら、ここからJAGRUTHIが運営する学校に通っている。
46人中、40人がHIV罹患者。性的虐待を受けていた子供たちもいるという。この日、薄暗い部屋の隅っこで、一人の少女が勉強をしていた。体調が悪くて学校を休んでいるのだという。
細い体躯。力ない表情ながらも、ノートに目を落としている姿に、心が傷む。
このトイレは、OWCのメンバーである女性とその伴侶が、私費を投じて建設してくれたのだという。
カナンの案内で、オフィス兼ホームのビルディングから数百メートル離れた場所にある学校を訪れた。ここは、コックスタウン最大のスラムで、4万人もの人々が、ひしめきあって暮しているという。
我が家からも近い場所ながら、一度も足を踏み入れたことのないエリアだ。スラム街にはアンベードカル、そしてこの界隈ではクリスチャンが多いのか、キリストや聖母マリアの肖像画がたくさん見られた。
周辺にバラックが広がるスラム街にあって、5階建ての立派な学校は異彩を放っている。
そもそもここには、1923年に設立された公立学校 (Government school)があった。界隈に暮らすアーミー(軍隊)の子女が通っており、アーミーによって運営されていたが、生徒が減ったことから、閉鎖されることになっていた。
ところが、当地にゆかりのあるスイス人の夫妻(SEVAという慈善団体を運営)が、アーミーと交渉してこの学校の運営権を得て校舎を整備、スラムに暮らす子供に無償で教育を受けさせるべく、2007年に開校したのだという。
この学校の実質的運営を、現在はJAGRUTHIが行っている。
現在、生徒の数は323名。そのうち、この日出席していたのは、258名。
校舎に入ってすぐの部屋。子供たちのカウンセラーが待機している。全生徒の家庭環境や学業の様子、健康状態などが記されたファイルが保管されている。顔写真を貼られ、細かな手書きのメモが記入されたファイルからは、得も言われぬ愛情を感じる。
毎日、数時間、ドクターが回診にくるという。体調の悪い子供たちも多く、ドクターの存在は不可欠だ。
部屋の一隅には、今は亡き、創設者のスイス人女性の写真が飾られている。
廊下には、インド最大の給食センター、アクシャヤ・パトラから届けられた温かいランチが置かれていた。
朝食をとらずに来る子供も多いので、キッチンでは毎朝、栄養価の高いお粥を準備している。お粥は校門のすぐそばで、コップに入れて配給される。
3〜4歳児。ノートを見れば、アルファベットの練習をしている。APPLEのA。
英語の授業中。ちなみにこのスラムに暮らすのは、タミル・ナドゥ州出身の家族が多数であることから、子供たちのマザータン、即ち母語はタミル語だ。
彼らは小さい頃から、タミル語の他に、ヒンディー語、英語、そしてここカルナタカ州のローカル言語であるカンナダ(カナラ)語の計4言語を学ぶ。
高学年になると、公立学校の制服を着用して、ピシッとした印象になっていく。
この先生は、マウント・カーメル大学(わたしのもとでインターンをしているピクシーが通っている女子大)で教鞭をとっていたが、リタイアした後、この学校でヴォランティアで教えているという。
この先生も、教師をリタイアしたあと、ここで数学を教えている。
構内に、整備されたトイレがあるのは、大切なポイント。貧困層の通う公立学校では、トイレが不備のところも多く、それが理由で学校にいかない子供たちもいるのだ。
廊下にはセキュリティカメラが設置されており、安全管理がなされている。
そしてここが、最上階のホール。広々と開放的で、とてもいい空間だが、ミューズ・クリエイションのバザールでお借りするのは、あまりにも地の利が悪い。
上階から見下ろすと、スラムの様子がわかる。狭いエリアに多くの人々がひしめき合うように暮している。
その真横の敷地は、アーミーのゴルフ場が広がる。カナン曰く、「天国と地獄です」
我が家の方向を望む。木立の向こうの大きなビル群は、我が家に隣接するITC TECH PARKだ。
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挨拶をして、今後の訪問などについて、簡単にご相談をするつもりが、2時間ほどもかけて、施設をしっかりと案内していただいた。
こうして、来るものは拒まず、快く出迎え、案内してもらえるというのは、「書き手」にとっても、非常にありがたいことだ。
ミューズ・クリエイションの活動の一環としてだけでなく、たとえ特定の媒体からの依頼がなくとも、わたしは自分のために、フットワーク軽く「取材」を続け、発信をしなければならないと、再認識した朝だった。
娼婦(売春婦)の問題、HIVの問題など、まだまだ詳細を綴りきれていないが、次回の訪問時のレポートに譲りたい。
◆JAGRUTHI (←CLICK!)