2015年12月のバンガロール日本人会総会で、バンガロール駐在員の子女が、インターナショナルスクールの入学制限により学校に通えず、数カ月間、語学学校に通って再試験を受けているなどの話を聞いた。パワーポイントの写真は、当時の日本人補習校の役員の方によるプレゼンテーションの一部を撮影したもの。
義務教育下の子供が、情報不足や準備不足が理由で、正規の学校に通えない時期があるのは、極めて由々しき事態だと思った。少なからず、子どもの教育に関心を持っていたわたしは、当時のミューズ・クリエイションのメンバーに声をかけ、子どもの学校教育について考えるチームを作れないものか、打診した。
しかし、その当時、賛同者は得られなかった。わたしは自分自身の仕事もある。日本人コミュニティに対するヴォランティア活動は、ミューズ・クリエイションの運営で手一杯だ。「ミホは何のためにそこまでしたいの?」と夫に尋ねられ、返答に窮することもしばしばだった。
そう考える一方で、折に触れては、そのときどきの日本人会会長や、補習校役員の人に会うたび、「バンガロールの学校情報を厚くする必要性」について語り、わたしにも手伝えることがあるかもしれませんからと、いつでも協力できる姿勢をアピールしてきた。
そんな中、昨年末、ミューズ・クリエイションの朝組メンバー(主にはお子さんがいるメンバー)と話しているときに、未だに学校情報の不足で、帯同赴任したものの、インターナショナルスクールに入学できず、四苦八苦している家族がいるとの話を聞いた。
3年前から状況が好転していないことを知り、看過できないと感じた。朝組メンバーに「子どもの教育を考えるチームを作らないか」と声をかけた。気になるテーマがある以上は、気になる自分が、動けばいい。もしもメンバーが揃わなくても、一人ででも情報収集や取材を始めようと思った。
そんな矢先、「やりたい」というメンバーが、集まった。朝組メンバーへ打診し、チーム発足を促してくれたのは、まもなく日本へ帰任される中村さんだった。わたしを含めて8名。チーム名をEduMuseとした。 基本のコンセプトは「異国に育つ子どもと未来を考える」である。
昨年末に第1回のミーティングを実施した。そのときに、子どもの学校情報もさることながら、バンガロールの生活情報を固めることが先決だろうとの話になった。年明けに2回目を行ったときには、中村さんの帰任が近いことを聞いた。その前に、何らかを形にしようと、バンガロール生活マップやQ&Aの作成にかかった。そしてオンライン版の『バンガロール・ガイドブック』を発行するに至った。
中途半端ながらも4月1日に公開したのは、人事異動のこの時期に間に合わせたかったことがあるのはもちろん、彼女がいる間に、ある程度の形を作り上げておきたかったということもある。ここからまた、次々に情報は追加されてゆく。
肝心の学校情報については、Q&Aの項があるばかりで、まだ取り掛かられていないが、これも近々、厚くしていく予定である。能動的な協力メンバーを得られたことで、あっというまに形にできた『バンガロール・ガイドブック』。わたし自身、本業がスローダウンしている時期と重なったことや、自分自身が「アウトプットの年にしたい」と考えていたタイミングに一致したことも功を奏した。今年はこの編集作業にもう少し、力を入れていこうと思っている。
人の入れ替わりが多いこの地での暮らしにおいて、「好機」をつかんで動くことの重要性を痛感する。どんなことであれ、迷うくらいなら一歩踏み出そうとの思いを、この件に限らず。
昨日はバンガロールクラブで打ち合わせをしたあと、クラブ内のダイニングで中村さんのお別れ会を兼ねたランチを楽しんだ。『バンガロール・ガイドブック』には、日本へ帰国してからも協力していただけるテーマが少なからずある。ミューズ・クリエイション同窓メンバー各位にも近々、アンケートの協力を仰ぐ予定だ。
みなさん、よろしくお願いします。