①遠大なことを望むのなら、まずは手近なところから始めよ。
②物事は、言い出した者から、率先して挑戦、実践すべし。
バーベキュー新年会の翌日1月3日。ミューズ・クリエイションが最も頻度高く訪れている慈善団体「NEW ARK MISSION ~HOME OF HOPE~」を訪れた。当初は、わたしが属している「女性の勉強会」のメンバーから託された寄付金を持参して、一人で訪れる予定だった。しかし急遽、日本から来訪している学生ほか、ミューズ・クリエイションのコミュニティメンバー、そして我が夫の十数名で来訪することになった。
12月28日、日本から訪れている学生たちに向けて研修をしたことはすでに記した。坂田の自分史を基軸にしての、社会や環境の変化、世界情勢や歴史、関わって来た人々の生き様、米国やインドでのビジネス……と、多岐に亘るテーマで、そのときどきの参加者の構成に応じて語るというものだ。セミナーのあと、質疑応答しつつ語り合っている時、今回の滞在中、慈善団体訪問は予定していないとのことを知った。
さあらば、わたしが一人で訪れるよりも、彼らに同行してもらう方が遥かに有意義だ。引率のスタッフ、そして学生たちも非常に強い関心を示したことから、団体での訪問を実施することにしたのだった。
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ここ数年、ミューズ・クリエイションの活動に関心を持ち、連絡をくれる日本の学生が増えていることは、以前も記した。インドの貧困の実態に関心を持つ人が多いのは喜ばしい。その一方で、わたしの脳裏には常に懸念がある。彼らの多くがネットから収集した「通り一遍の情報」によって未来を描き、実体験が伴わない「大言壮語」の傾向にあることだ。
まずはインドを知るところからはじめてほしい。故に、わたしがパンデミック中に制作したインド・ライフスタイルセミナーの動画「パラレルワールドが共在するインドを紐解く」の①~④までは必ず視聴したうえで、オンラインでの打ち合わせ、あるいはセミナーなり研修なりに参加してほしいと伝えている。予備知識があるとないとでは、限られた時間にシェアされる情報の吸収度が大きく異なるからだ。
語る方も、聞く方も、共有できる時間の深度を深め有意義にするためには、予習をするに限る。今回の参加者の大半は、その点においてわたしの活動の意図を理解し、またNEW ARK MISSIONの過去の訪問記録にも目を通していたので、現地での体験が、より深いものになったと察せられる。
いつもの通り、訪問のあとはランチをとりつつの反省会。このランチ会で、未消化の経験をみなで分かち合うことは、極めて大切なプロセスだ。自分たちの日常とはかけ離れた環境にある人たちの暮らし。その現実を、どう捉えるか。「異世界」からの来訪者につき、誤解や誤認は避け難い。ゆえに、背景事情の擦り合わせも大切なのだ。
果たして彼らは「かわいそう」「気の毒」な人たちなのか。インド社会は彼らを見放しているのか。否。一言では語れぬ深淵なる背景がそこにはある。
宗教ごと、あるいはコミュニティごとの支援。無数の篤志家や活動家の存在。企業のフィランソロピー。社会起業家……。政治家に頼らぬ、自らの社会貢献。この国なりの社会の協調は、必ずあるのだ。それがなければ、この巨大な民主主義国家が存続し得ない。たとえ歪な形であろうとも、この国がこの国であることへの敬意を。
普段のミューズ・クリエイションの来訪とは異なり、今回は学生が大半だったので、わたしは完全に「先生モード」で、全員に感想を話してもらった。彼らにとって、「NEW ARK MISSION」でのわずか2時間足らずの経験は、生涯、忘れ得ぬ時間となっただろう。
みな、率直に、素直に、飾らずに、自分の思いを一生懸命、言葉にしていた。誰もの、全ての言葉が、とても尊く心に沁みた。ハラハラと涙をこぼしながら、言葉を詰まらせながら、一生懸命に語る女子たちの姿からは、言葉にはできない思いが迸っていた。
のちほど、参加者全員の感想を、いくつかにわけて転載する。ぜひとも、目を通してほしい。
【NEW ARK MISSION ~HOME OF HOPE~について】
NEW ARK MISSIONは、オートリクショーのドライヴァーだったラジャという男性が、路上で瀕死状態で倒れている人々を自宅に引き取り、世話をはじめたことにはじまる。1997年、マザーテレサが亡くなった年のことだ。彼自身、ストリートチルドレンの出自で、窃盗などで生きていた時期があり、投獄された経験もある。そんな彼が獄中で改心(そのエピソードは2011年の訪問時の記録に残している)、世の中で虐げられた人々を救済すべく自ら活動を始めた。以来、無数の命を引き受け、手当てし、人々が「尊厳ある最期の時」を過ごす場を提供し続けている。
現在、路上に打ち捨てられ、記憶を失った半ば恍惚の人々や、子供たちを含め、800名ほど暮らしている。毎日、誰かが拾われてきて、毎日、誰かが死んでいる。人間の生き死にが日常の場所だ。毎日の食事の準備、入居者の入浴、掃除などだけでも、大変な労働力が要されるが、行政支援はなく、すべてが個人あるいは企業の支援から成り立っている。
わたしはインド移住後、2007年以来、約20の団体を、合計70回以上、訪問してきた。中でもこのNEW ARK MISSIONは、最も足繁く通っている。それというのも、わたしが知る限りにおいて、ここが一番、経済的な支援が望まれているからだ。また365日、いつでも来訪でき、直前での連絡でも歓迎してもらえるのも来訪回数が多いことの理由のひとつ。
訪れるたびに発見があり、学びがある。今回も、個人的に綴りたいことは尽きぬが、わたしの所感はこの辺にしておく。
【Muse Creation (NGO)活動記録の専用ブログ】
◎New Ark Mission の関連情報
https://museindia.typepad.jp/mss/new-ark-mission-home-of-hope/
💝以降、全部で13人分の感想を記載する。超長編だが、ぜひ、最後まで、目を通していただければと思う。
(1) TigerMovインド合宿参加/大学生男子(20代)
今日感じたこと。病棟に行った。僕と会うとおばあちゃんが泣いていた。何が病棟のおばあちゃんの涙につながったのか、正直わからなかった。僕はただ、いただけ。なのに彼女は涙していた。しかも言語は伝わらない、そんな状態なのに涙していた。ここの慈善団体の人々にはそれぞれの過去があって、それぞれの方々の心に残っているものがある。
もしかしたら寂しかったのかな、もしかしたら亡くなってしまうのが怖いのかな、もしかしたら昔に寂しいことがあってそれに向き合えたのが良かったのかな。いろんな感情が入り混じってハグしていた。言語が通じない目の前の人。その人を前に暖かく包み込めた。涙してくださった。そんな人でありたいと思った。
ただ、まだ薄っぺらい自分だからその人だけが心を浄化してくださった。ラジャさんはここにいる700人の人全ての心を包み込んでいる。少なくとも、ここにきている人はここに来ることを決めている。包み込まれる意思決定をしている。そんな、この人に人生をあずけてもいいな、預けたいなって思えるような人で有りたい、有ると決めた。
(2) TigerMovインド合宿参加/大学生男子(10代)
言葉が伝わらなくても、何か壁があるのだとしても人と人だから直接触れ合うことで何かイメージや温もりを伝え合えることを実感しました。自分自身今回は、英語ができないという弊害があることから、無理に聞き取ろうとするのではなく、しっかりと自分が学びを得るために自分の感性に全振りをして、その場の雰囲気や話している人の表情を見て聞いてひたすら感じるということを行いました。
そこから見えてきたのがラジャさんをはじめとしたスタッフの方々の使命感でした。私はその光景を見て、自分もせっかく来たのだからただお金を寄付するだけではなく自分自身の力を発揮したい、そういう使命感を持って行動したいと思いました。病室で私は全員にはできなかったけど手を握り、目線を合わせて、表情を柔らかくして、自分のなかにある伝えたいイメージを最大限表現して伝えました。
また、彼女達の人生を子供の頃から今に至るまでの姿をできる限りイメージしたりしました。自分の伝えたいことがどこまで伝わったかはわからないけど、笑ってくれたことを自信にしてこれから大事なことは大小の使命感、責任感を持って行動しようと思いました。彼ら、彼女達の人生の中に自分という一幕ができたことを誇りに思いたいです。
(3) TigerMovインド合宿参加/大学生女子(20代)
フィリピンの死を待つ人の家に訪問したことがあり、あれから5年経った今、あのとき感じた、無力感となにか違うものを感じるかと思っていたが、あの時と同じ感覚に陥った。自分にできることは、小さくて、まだまだだと感じた。しかし、あの時よりも冷静に情景を見ることができるようになり、自分が関わった人の表情の変化や、他の参加者が交流しているのを見て、人を笑顔にすることができるのは、人だと感じた。病室に入った時と出る時の雰囲気の変容はとても印象的であった。
(4) TigerMovインド合宿参加/大学生女子(10代)
今回の訪問で愛を与えることの大切さや、自分の無気力さを痛感しました。坂田さんのセミナーを聞いてから今日まで、自分自身の未来予想図を描きながらそこに辿り着くために必要なありたい自分について向き合っていました。自分の中のありたい自分像が雰囲気で見えた中の今回の訪問で愛を与えることこそが自分のありたい像に辿り着くために必要な第一歩であると感じました。
ラジャさんの行動もそうですが、ホスピスでお菓子をあげたことで笑顔になってくれた姿を見て愛の力って素晴らしいなと感じました。それと同時に、積極的に動くことができなかったことに自分の無気力さを感じました。でもこれは、どの場面でも同じことなのだと感じ、まずは、小さな一歩から進めていきたいなと感じました。
(5) TigerMovインド合宿参加/高校生女子(10代)
私は今日、初めて慈善団体に行きました。少し前から、なんとなく貧困問題とかに関心があったのですが、世界の現実を生で見たことがなく、ずっと見てみたいなと思っていました。でも、自分が裕福に暮らしている中で、世界の何処かに食べ物がなくて困っている人がいるんだと思うと、罪悪感や劣等感を感じて、世界の現実は見てみたいけど、ずっと目を背けてきた自分がいました。
そして今回、少しだけだけれど見に行けるとなったときはとても嬉しかった反面、いざこれから知るとなったときに、自分が目を背けてきたものと向き合う怖さを感じました。ビデオを見て、体が腐っている人、ウジ虫が湧いてる人など、想像していなかった現実を少し知って、強い衝撃を受け、しばらく自分の中で消化することができませんでした。
でも、実際にそこで過ごしている人の笑顔を見たり、触れ合うことによって、漠然とした怖さが少しずつ消えていきました。私が一番印象に残っているのは病室に入ったときで、この人たちは私達をどう思っているのだろう、言語通じるのかな、など、たくさんの感情でいっぱいで、怖くて、でも関わってみたいと思って、おばあちゃんに話しかけに行って、その時の私の手を包む手の力強さと、私をまっすぐに見つめる目に、ものすごいパワーを感じて、得も言われぬ感情になりました。生きる強さみたいな、なにか絶対に人間が失ってはいけないものを、あの人は持っていたように感じました。
海外の人と話すときは、私はまだどうしても、コミュニケーションを純粋に楽しむとかよりも、聞き取れなかったらどうしようとか、そういうことを考えてしまうけど、おばあちゃんと見つめ合ったあの数秒間で、そんな怖いとか、言語の壁とか、そういうものがなくなった感覚がありました。私はこの現実を、これを知らない人に伝えたいし、少しでも自分ができることがあったらやりたいと思いました。友達や家族にこの経験を伝えたり、毎月のバイトのお金の何割かを寄付したりしようと思います。そして、改めて自分が今置かれている環境への感謝を忘れたくないと感じました。
同じ地球で生まれて、同じ人間である彼らに、また、彼ら以外でも私を支え続けてくれているまわりや社会に、小さなことでも、安らぎとか、喜びとか幸せを感じてほしいと思いました。まだ学生で、社会に出ていない小さな私が、社会にできること、本当に小さなことでも、行動を起こしたいし、そういう意識を持ち続けたいです。今回の訪問は、確実に私の中の考え方を広げたし、社会に対する見方がまた一つ変わりました。今日実際に見て、聞いて、感じたことを忘れません。
(6) TigerMovインド合宿参加/大学生男子(20代)
今回初めて慈善団体の方に行って、自分のちっぽけさをとても感じました。自分は先進国と途上国の需要と供給のサイクルを作りたいとか、インドに来る前に言っていたけど、もっと向き合うべきものがあると改めて思いました。起業したいだとか口で言うのは簡単です。実際に現地に行って自分の目で確かめて現場を知り、そこからのまた新たな気づきとかで見えてくるのも違ってきます。まずは自分の事にしっかりと向き合って、また何をやるにしても、小さい所からコツコツとやっていくって言う事を、今後心がけてやっていきたいと思います。
(7) TigerMovインド合宿引率/教師男性(30代)
「百聞は一見るにしかず」とはまさにこういうことだなと改めて感じられた1日でした。私自身も、慈善活動で多くの人を助けるためには自分がそれだけの余裕がないとできないものだと考えていました。現地で施設を訪問して今の私になにができるのか? 金銭的な部分や物資の部分で力になれることはあるのだろうか? と改めて考えさせられる機会になりました。じゃあ自分なら何が今できるのか? どんなことならこの人たちの力になれるのか? を考えていると、手を握る、言語が異なっても目を見て会話をしてみる、手を振る、肩をさすってあげる、少しのお菓子を渡す、などの些細な行動でも彼らの時間を明るくすることはできるんだ! と感じることができました。
日本なら感じられなかったであろうことを感じることができたのではないでしょうか。私も日本で、1日の中で誰かをハッピーにするというのを大切に、お菓子をあげたり、誕生日に些細なギフトを送ったり、ということは意識して心がけていました。それが自分にできることなんだろうということを改めて再認識できたので、継続していこうと思います。そして最後に、何かを始めるならまずは見に行く、何ができるかは見てから考えることが大切なんだなと認識できたし、坂田さんの「隗より始めよ」という言葉が自分にかなり刺さったので大切にしたい言葉になりました。
(8) TigerMovインド合宿引率/会社員女性(30代)
20年以上この活動を続けてきたRajaさんや施設を支えるスタッフの皆さんをとてもリスペクトします。数え切れないくらいの瀕死の方をこれまで迎え入れ、怪我や病気、出産などに向き合い、対峙してきた彼の生き様を感じました。リスペクトという言葉じゃ片付け切れないほどでした。
今回はビデオを見せていただいた後、数人のスタッフの方のここにいる理由やストーリーを聞きました。過去や現実を受け入れ話すこと自体も勇気がいることなのに、私たちにシェアいただき、シェア頂いたことで、病床にいった時、施設内でたくさんの人に挨拶された時、一人一人の人生を感じながら皆さんと触れることができました。
訪問後1日経った今でも、施設で出会った人の顔が忘れられず、また折に触れて思い出すことがあるのだろうと思います。「この経験を思い出にはしたくない」という、気持ちもあります。この社会や世界の現実に、自分は何が出来るんだろうか、と小さな一歩も大事にしながら、今後の過ごし方を考えていきます。
尊厳のある人生はいかに守られるのか、そしてそれが守られることがいかに尊いのか、身をもって感じさせてもらった訪問をサポートしてくださった全ての人に感謝します。ありがとうございました。
色んな意味で“現実を見る”ことができたと思います。自分が目を背けてきた浮浪者の現実、慈善団体が行っていることの現実、自分ができることの現実。それら含めてとても貴重な時間でした。
慈善団体や支援については関心があり、何かお手伝いをしたいと昔から思っていましたが、実際に何ができるのかというと、お菓子を渡して握手することくらいしか力になれないんだなと知りました。そしてそれすらもなかなか抵抗感や恐怖感もありました。不衛生と感じてうまく体が動かない場面もありました。
最初に伺った部屋での交流では、握手をした際に涙を浮かべておられて、それにとても心を動かされました。本当はもっとコミュニケーションをとりたかったですが、言語の壁の限界はありました。それでもジェスチャーと表情と目から受け取れることはたくさんありました。
身体の問題だけであれば、こういった感情の交換、一種のコミニュケーションができるから支援する側もまだ続けられると思いますが、心が病んでいる人やそれこそ狂った人との交流は困難を極めるものがあるなとも思いました。
覚悟はできていたつもりでしたが、やはり私にはできることではないなと感じました。だからこそラジャさんの凄さというのを実感します。私にはこの経験をシェアすることしかできませんが、それでも何かしら行動に移せたらいいなと思いました。隗より始めよですね!
本日は貴重な経験をさせてもらって本当にありがとうございました。
(10)バンガロールで交換留学中/花田怜大(21歳)
病院棟(ホスピス)で過ごされている方との交流時間が始まった当初、相手の方とどのように接するのが良いか、戸惑いながら過ごしていました。しかしながら、相手の方に「敬意を持って」という坂田さんからのレクチャーを思い出しながら、手に触れ、肩をなで、目を見て話すと、言葉は通じずとも自然と心が近くなった感じがしました。本当に嬉しかったです。敬意をもって、一歩踏み込む事の大切さを学ばせていただきました。
また、本人が望まずとも、現在の生活を送り、ただしそれが必ずしも不幸せではないという現状も目の当たりにし、自分ができることの少なさ。人が幸せに生きるとは何なのか。より深く勉強させていただく、きっかけの場所となりました。ありがとうございました。
(11) バンガロール在住2児の母 K.K (30歳)
貴重な機会を本当にありがとうございます。反省会にも参加させていただき、刺激と学びだらけの一日となりました。私事ですが、学生の頃にMother House創設者の山口絵理子さんの本を読んで大きな刺激を受け、寄付ではなくビジネスで貧困を救う社会起業家のようなことができたらと思い、大学4年の春にインドを訪れました。
最近、子育てや家のことに追われ自分を見失いかけていましたが、今日幸運にもNew Ark Missionを訪問できたおかげでその当時の気持ちを思い出すことができ、また「寄付は簡単、実際に現地で支援することがどれだけ大変なことか」というみほさんの言葉にハッとしました。
貧困に苦しむ人々の何か力になれたらという思いはあるものの、ただ与える側と与えられる側という一方的な支援が果たして良いことなのか?自分が少額寄付したところで意味があるのか?と今まで寄付には積極的ではありませんでした。とはいえ「ラジャさんのように現地で実際に支援ができる?」と聞かれたら絶対にYesと言えない自分がいる…ラジャさんの愛と情熱に感服です。
私は『寄付ではなくビジネスで貧困を救う』ということに囚われすぎていたと気づきました。働くことが難しい人も多く、寄付がなければ今日一日さえも生きていけない人もいる。それを今日目の当たりにし、みほさんの言葉に自分の中での寄付に対する考えがガラッと変わりました。
ラジャさんというリーダーを、自分のできる範囲の寄付という形で微力ながらも応援させていただきたいと強く感じた次第です。
(坂田注/「寄付は簡単」というのは、否定的な意味ではない。寄付も当然、有意義なこと。しかし、現地に赴き、実際に何が望まれているのかを確認すること、また現場の人たちと触れ合う時間をもつこと、更には寄付金を未来に継承できるような活用の仕方をすべく運営に関わるといったことは、別次元で有意義かつ、重責を伴うことであるという意味合い)
(12) バンガロール在住スタートアップ起業家 H.K (35歳)
①使命感を持つ意義
・ラジャさんのお話を拝聴するに、「命を何に使うのか」が明白な印象を受けた。使命感を持った人は強い。
・ブレがなく、一瞬一瞬の生き方に迷いがない。屋久島の杉のような大樹が心の中に宿されている感覚を覚える。
・親から捨てられ、路上生活を強いられ、盗みを働いた事もある彼が、リキシャドライバーとなり、その流れで見つけた路上生活の方々を救い出し、今の立派な施設を運営されている。全ての出来事に意味があり、その瞬間では判断できない。きっと幼少期の辛く、苦しい経験がなければ、悪事に手を染めることもなく、施設の立ち上げにも繋がらなかっただろう。
・そう考えると人生に巻き起こる全ての出来事を愛おしく感じるし、この瞬間以降の出逢い、出来事にもワクワクする。
・改めて限りある命を何に使うのか、問いかける習慣形成を持ちながら、今の生き方にYesと胸を張れる生き方をしたいと思う。
②継続の大事さ
・断片的なシーンを見た参加者の中でも、直視し難い現実があったのかなと思う。それをラジャさん、施設運営に携わる方々は、日々同じ屋根の下で暮らしを共にしながら、継続してきたのだ。きっと施設運営の資金難、人材不足、施設内の人間関係トラブル、周囲からの風評被害等、数々の苦難を乗り越えていらっしゃるはずである。
・ゲストが来る日は特別な日かもしれないが、そうではない日が大半。その中でも、日々逃げずに、目の前の現実を直視、ひたむきに向き合っていらっしゃる。日本でも転職が当たり前となりつつあり、SNS、インターネット等の台頭により、新たな仕事に移りやすい環境だからこそ、ひとつの事に逃げずに、向き合うやり抜く力が問われている気もした。
③リーダーとしての不断の努力
・ラジャさんが受けた教育は3年間。昔の姿を存じ上げないが、非常に流暢な英語を話され、本人のひたむきな努力が見て取れる。
・施設として持続性のある運営、更なる充実した設備、インフラを提供するために、本人の成長が、不可欠である。リーダーとしての強い覚悟が伺える。
④観を磨き、鍛える
・死生観を磨き、鍛えることの大事さを改めて、学ぶ。インドの大好きなところのひとつである。
・自分の住むエリアから程遠くない場所で、毎日を懸命に生きている人の姿がある。死を目の前にされている方を前にし、「お前はどのように生きるのか」と「限りある生を鮮明に生ききれ」と胸ぐらを掴まれる感覚を抱く。
・人は油断すると、弛緩し、さも永遠に生きるかのような感覚に陥る。永遠などない。今ある現実、瞬間を全力で生き切ることの大事さを知らされる。
⑤人は比較で生きる
・今回の訪問を経験し、「悲惨だ」「哀れだ」だと感じた人もいるだろう。ただ、それは自分が生きてきた世界との比較での主観的判断である。
・当人からすると路上生活からの流れでこの地に行き着き、ご飯と寝床が提供される環境で、多幸感を感じているかもしれない。当たり前の基準が異なるはずである。
・相手の人生背景に想いを馳せて、どれだけ相手の靴を履いて、考えられるか。相手の靴を履いて、視えた景色は決して、モノクロではなく、カラフルな可能性はある。
・周囲は、他人と比較するなと良く言うが、比較にも2種類あると感じた。比較後の感情がどう振れるのか。上振れする比較は、決して悪いことではない。今回も家族と暮らせている自身の環境と比較するに、いかに恵まれているか、満たされているのかを感じ、力強く生きられていることに対する先祖、親への感謝、日本国という地に生まれた事への有り難みを噛み締め、生きなければと再認識させられる。
・感情は昂っているのだ。確かに比較をしているが、この感情の機微を鑑みるに、その後のプラスに働く比較なので、良しとしたいと感じた。
⑥コミュニティデザイン
・人間は社会的生き物である。所属の欲求を求める。コミュニティの在り方を考えさせられる。
・優れたコミュニティとして、心理的安全性が担保されているかは重要である。ラジャさんのように、何があっても守ってくれる、見放さないという存在は、どれだけ暮らす人たちの心に、平穏、安寧を提供しているか。
・下手したら、日本の大量に存在する独居老人の方々の暮らしよりも、人と繋がれ、食事、最低限の医療が提供され、安心できる居場所がある時点で、施設内の暮らしの方が豊かなのかもしれない。
・日本も未踏の超高齢化社会を迎えるにあたり、死に方革命が要求されているはずである。そのヒントが隠されているのではないかと感じた。
⑦体温の感じる触れ合い、感性の時代
・病室で療養中のお婆様が、学生の手を触れて、涙ぐむシーンがあった。そのシーンを目の当たりにするに、今までの人生が勝手に想像される。親、家族から満足な愛情が得られず、孤独、失意のどん底にいたこともあったのだろう。
・AI等のテクノロジーの登場により、知性は無価値なものと化し、より感性の時代に突入していく中で、このような人と人との体温の感じる触れ合いはより重要視されていく。親、家族との接し方も考えさせられる。親は、仕送りではなく、豪華なお歳暮ではなく、毎日の5分の対話を待ち望んでいるのかもしれない。
(13) インターンシップ留学生/入江真樺(21歳)
想像は想像だ。実際にその地へ訪ねてみることにより、五感で直接感じること。極めて深く。朝目を覚ましてから、交流を終えてNew Ark Missionを出るまで一切お腹が空かなかった。緊張していたんだと思う。事前に全て読んでいたから、設立の背景や動画のことなど知識としては学んでいた。それでもやはり直接行くというのは、違った。
ラジャさん、お会いして誠実で真っ直ぐな方だなと感じた。ラジャさんのお話を聞き、動画を見た。映像を見て、自然と涙が溢れた。映画のような映像を見ているのが、この場所で行われてきたことなんだと。
次に、3人の女性からなぜそこへ運ばれたのか何をしているのか聞かせてもらった。1人目の女性、昔は寄附していた、寄付をする側だったというのがとても驚いた。彼女の場合は、結婚しないなら出て行きなさいと5ラック(*50万ルピー)のみ持って家を追い出され、バンガロールへやってきた。かつてはIBMで働いていたキャリアウーマン。人生何があるかわからないなと思った。
精神を病んだ人をマネジメントすることが1番難しいのに、施設全体で800人も見ていること。それを一時的でなく何十年も続けていること。私には到底できないと感じた。
次にホスピス病床を訪ねた。匂いは気にならなかった。
まずは顔を同じ高さに合わせてニコッとするとニコッとし返してくれた。お菓子を渡し、食べると顔が明るくなった。目の前で涙を流すおばあさん。私もうるっと心にきた。自然と手を握りたくなり握らせてもらった。私はこのお婆さんの過去もわからないし、この一時しか一緒にいてあげることもできない。けれど、この瞬間を共にでき、手をふれあうことができ、お婆さんを少しでも元気付けられたのじゃないかな、私もお婆さんから元気を貰えた、素敵な出会い、素敵な時間だった。
次に子ども棟を訪ねた。まだ学校へ行かない未就学児と病状が重い方だけ残っていた。元々捨てられたなど様々な事情を抱えている上、見たこともないような黄色人種が急に沢山来て怖いよねと思った。ヤクルトの力は偉大だった。ヤクルトがあるとお子から寄って来てくれたのだ。目の前で美味しそうに飲む少女。心底癒された。
皆で集合写真を撮った後、Uberを待っている際、なんとラジャさんとお話させてもらえた。「あなたの人生で辛いことは何ですか。」と尋ねると、僕の人生はずっと辛いようなものだよと超笑顔で返事が帰ってきた。次に、「あなたの人生で幸せなことは何ですか。」と尋ねた。すると、時々家族が遠くへ連れ出してくれてそこで過ごす時、色々なことが起きた時1人で泣くこととおっしゃった。
回答が意外だった。私は、ラジャさんはここのみんなが元気になるのを見るのが幸せというのではないかと勝手に想像していた。今のラジャさんも1人で涙を流し、自身を落ち着かせる時間があると聞いて、聖人に見えても、ラジャさんも同じ人間何だなと何だか今の自分に安心した。
New Ark Missionを訪問して、話を聞き、実際に入所されている方と関わり感じた1番大きなこと。「両親に感謝の気持ちを伝えたい。もっと家族を大切にしたい。家に帰ったらすぐに家族に電話をかけよう。」帰ってから速攻で、電話した。今日経験したこと、経験した時にお礼を伝えたいと思ったこと、おばあちゃんの介護を毎日していることがすごいと思ったこと、2年もお正月共に過ごせていないことを申し訳なく思っていること、私も親戚の集まりにお正月は参加したいと感じたこと、最近寂しかったこと、嬉しかったこと、最近感じていること全部伝えた。
母は、昔教員免許を取る際に、児童養護施設で数週間実習をした経験があり、その時、愛情を受けずに、捨てられてしまった子どもたちの目が光っていなかったと感じとても辛かったそう。その時、母は子どもが生まれたら仕事を辞めて、たっぷり愛情を注ごう、どんな成長も一緒に見届けたいと決めたという。昔もこの事を教えてくれた気がするけれど、その時はピンときていなかった。私の当たり前だと思っていた環境は、両親が協力して必死に作ってくれていたこと改めて知った。今も1番の幸せは子ども2人(兄妹)が楽しんでいること、辛いことは子ども2人が苦しんでいることだと教えてくれた。つい、心配になりすぎるらしい。
兄も私も20歳を超えて、大人になったから干渉してはダメだと最近は、友人との散歩やお茶、仕事を充実させるようにしていると教えてくれた。ついつい、心配かけるようなことばかりしてしまうけれど、きちんと安心もしてもらえるようにもっとしたいと思った。3年前に腰を圧迫骨折してから、要介護となった祖母。祖母はいつも、「忙しいだろうから会いに来なくていいよ、自分のやりたいことしなさい」と言ってくれる。そんな祖母に以前、石をプレゼントしたことがある。祖母は今、毎日私の安全を願ってその石を毎日触って私の健康を祈ってくれているとも聞いた。今度祖母の家にお手伝いで母が行っている間に電話をかけたいと思った。慈善団体を訪問して、日本の家族への気持ちが高まるとは思いもしなかった。
その後、共にいろんな事を乗り越えてきた幼馴染の親友にもメッセージを送ってみた。今の境遇は違えど、感じていること考えていることなど沢山共通点が見られた。そして、その後、自室で何曲も歌を歌った。いつか慈善団体で歌えるように!
今の私は何百人も何1000人を、目の前の1人の命を助けることさえできない。今できることを精一杯すること、今この瞬間を生きること、まずは自分をそして家族や友人、お世話になっている上司や先輩、まずは身近な人を、私の軸を形成していくことを大切に。自分と他人に誠実に。小さな幸せの積み重ね、些細な笑顔の積み重ねをもっと大事にしていきたい。一枚のビスケットのように。
ラジャさんと運営ファミリーに最大の敬服を。美穂さん、Arvindさん、本当に連れてきてくださって本当にありがとうございました。