このところ、ランダムながらも金曜日、若者ら主導で活動しているミューズ・クリエイションのACT MUZ。昨日はヤラハンカ宅にてミーティングしつつ、あれこれと語り合う。毎度、竜宮城(我が家)では瞬く間に時が流れ、定番の「夕飯、食べて帰る?」「じゃ、デリヴァリー頼むよ」「サラダと野菜は、なんか用意する……」の流れ。
新居に来訪する人の多くは、「月光ライブラリ」に関心を示してくれる。わたしが料理をする間、1人は地下の多目的すぎるホールでキーボードを弾き、アルヴィンドも楽しんでいる。1人はわたしが1992年に自費出版した『モンゴル旅日記』を読み、1人は、わたしが1994年に欧州を鉄道で3カ月間、放浪旅したときの手書きノートを読んでいる。
並んでいる書籍ではなく、わたしの旅記録に関心を持ってくれたのは意外ながらも、うれしい。
ここ数年、「手書きの記録の重要性」を、ことのほか強調し続けているわたしだが、この半年間に出会った若者らの反応をしても、それが間違いではないということを確信する。紙の地図を広げる。指先で道を辿る。ペンを握って文字を綴る。
紙を切ってノートに貼る。その土地その土地で絵葉書を買い、家族に送る……。かつては当たり前だったそんな事柄。
しかし、それらを目の当たりにして若者らは、もれなく、感嘆の声を上げる。
不易流行。
夜が更けて、彼らを見送りしのち、シャワーを浴びてひと段落。早く寝ようと思った矢先、気がついた。3月15日!
NETFLIXで『不適切にもほどがある!』が公開される日!! 宮藤官九郎脚本、阿部サダヲ主演のこのドラマ。もんのすごく気になっていたのだ。なにしろコンセプトが興味深い。1986年と2024年とのタイムスリップを軸に繰り広げられる物語で、昭和がリアルに描写されているのだ。
1986年といえば、わたしは21歳。バブル経済のピークに向かっていたこの時代を経験した者としては、どっちの状況もリアルすぎて、なんともいえない面白さ。まだ2話までしか見ていないが、わたしにとっては、現代の実情の方が、コメディのようだと思える。
ちなみにセーラー服や学ラン、ヘアスタイルの雰囲気としては、わたしが高校時代の1984年くらいと合致する気がする(細かい😁)
ところで、わたしが日本を離れてニューヨークへ渡ったのは1996年。この28年間、一時帰国を除けば、離れた場所からネットを通して母国事情を入手してきた。今、わたしが向き合っている学生たちは、わたしが日本を離れたあとに生まれた世代。
ひょっとして、わたしの言動は、阿部サダヲ感覚に近いのか。
毎度、熱く諭したり語ったり発破をかけたりしているが、これはひょっとして昭和なのか。
我が身を振り返る意味でも、このドラマは極めて興味深い。残るエピソードを見るのが楽しみだ。