わたしは2005年11月、米国からバンガロールに移住しました。そして2007年に社会貢献活動を開始し、2012年にはミューズ・クリエイションを立ち上げました。それから今日に至るまで、多岐に亘る活動を行ってきました。日本人有志と共に、バンガロールの慈善団体を訪問するのもその一例です。
わたしはこれまで、約20の慈善団体を、のべ70回以上、訪問してきました。中でも、ニューアーク・ミッションは、最も頻度高く訪れています。それは、どの団体よりも、生死がせめぎあっていて、最低限の衣食住、そして医療の支援が必要な場所だからです。ゆえに、寄付だけでなく、日系企業のCSR支援のサポートや、インド人のコミュニティやグループ、団体への紹介なども実施してきました。
ニューアーク・ミッションは、オートリクショーのドライヴァーだったRajaによって1997年、創設されました。彼が、路上で瀕死の状態の人々を自宅に引き取り、寝食を提供を提供し始めたのが端緒です。彼自身、ストリートチルドレンの出自で、投獄されたこともありました。そんな彼が改心し、世の中で虐げられた人々を救済すべく活動を開始。以来、無数の命を引き受け、手当てし、最期の時を過ごす場を提供し続けています。
ニューアーク・ミッションには、路上に打ち捨てられ、記憶を失った人々や、逆境のもとに生まれた子どもたちが、常時700〜800名ほど暮らしています。毎日、誰かが拾われてきて、毎日、誰かが死んでいく……。ここでは、人間の生き死にが日常です。毎日の食事の準備、入居者の入浴、掃除などだけでも、大変な労働力が要されますが、行政からの支援はありません。すべてが個人あるいは企業、団体の寄付から成り立ってきました。
2011年に初めてNew Ark Missionを訪れて以来、わたしは13年間に亘って、Rajaの尽力を目にしてきました。彼に私欲がないことは、彼の活動を見ればすぐにわかります。
ミューズ・クリエイション創設後の2013年、メンバーと共に訪問し、子どもたちと一緒に遊んだときには、「子どもたちが、こんなふうに遊んでもらうのは初めてのことです。ありがとうございます」と、彼は涙を流して喜んでくれました。
しかしながら、そんな彼も世間からの中傷を受けるなど、沈み込んでいた時期がありました。それでも、次の訪問時には、笑顔を見せてくれたものです。
「一食たりとも欠かすことなく、家族(救済した人々)に食事を提供し続けることができている。これは神のご加護だ」
Rajaがいつも口にしていた感謝の言葉です。
しかしながら、数日前(8月28日)、ニューアーク・ミッションを訪問した際、かつてない危機的な状況に陥っていることがわかりました。これまで定期的に得られてきた支援が、不可抗力により、今年に入って以降、滞っているのです。その結果、800名の人々に食事を提供することがままならなくなっています。すでに、土地を切り売りしながら、経費を捻出し始めているとのことです。
わたしは、たとえ微力でも、力になりたいと思い、こうして資料を準備しました。少額の支援でも、それは誰かのお腹を満たす食事になります。同団体の訪問をご希望の方は、いつでもお知らせください。ご同行します。あなたの慈愛と継続的なご支援を願います。
8月31日。我が誕生日に感謝の思いを込めて。