雨雲に手が届きそうな、雨だれの、朝の窓辺。
層状雲がそれぞれに流れ、涼風の、夕の窓辺。
ムンバイとは旧ボンベイのことであるということを知らない人が未だ多いということを、日本に帰国して知った。グローバルなビジネスをしているはずの人からでさえ「ムンバイって、国際線の空港はあるの?」などと訊ねられた。
昨年11月にムンバイを襲ったテロのニュースによって、日本でもかなり知名度が上がったと思っていたのだが、未だインドは遠いようである。
1995年に、英国統治時代に使われていた「ボンベイ」から、現地のマラティ語による「ムンバイ」に正式名称が変わった。とはいえ、インドの人たちの多くは「ボンベイ」という響きを好み、未だこの街をボンベイと呼ぶ人は多い。
さて、ムンバイに暮らし始めて1年が過ぎ、ムンバイカー(ムンバイの人々)がモンスーンを待ちわびる気持ちが、わかるようになった。
たとえ洪水が起ころうが、床下浸水やら床上浸水やらが起ころうが、町中が湿気に満ちてしまおうが、洗濯物が乾かなくて困ろうが、取り敢えずはモンスーン歓迎なのである。
蒸し暑さが際立つ5月も終わりに近づくころには、わたしもまた、早く雨が降ってほしいものだと切望していた。
そして今。雨が降り、ぐっと気温が下がり、雨に洗われて街の空気が澄み、実にほっとしている。雨の合間の外出で街を行けば、瑞々しさに、街がきらきらと光り輝いてさえ見える。
路傍でチャイを飲むおじさんたちの、笑顔からこぼれる白い歯が平和だ。
それにしても、夜の寝苦しさからも解放され、天井のファンだけでも熟睡できることの幸せ。しかしその一方で、日がな一日雨が降り続けると、外出の意欲もそがれ、じれったい心持ちになる。
とまあ、勝手ばかり言っている。
尤も今年のインドは雨が少ない地域も多いらしく、バンガロールのダムの一つは枯渇していて水不足が懸念されているとのニュースもあった。ムンバイにしても、この時期たっぷり降ってくれないことには、乾期に水不足となってしまう。
洪水はさておき、ほどほどに、降ってほしいものである。
ちなみにムンバイの昨今の気候は「アラサー」だが、デリーは相変わらず「アラフォー」。最高気温は連日40度を超えてばかりのようである。ムンバイごときで弱音を吐いていてはならないのである。
●エレベータ哀歌。インドだもの。
水曜日、バンガロールから戻り、ムンバイ宅に着いたころには深夜12時を回っていた。わたしも夫も若干疲れていて、早くシャワーを浴びて寝ようと言いつつ、アパートメントのエレベータに乗った。
このエレベータは、その昇降動作が異様に遅い。俊足の人が駆け下りたら、エレベータよりも速いに違いないとさえ思うほどに遅い。17階の自分たちのフロアに到着するまで、初対面の人と自己紹介をし、親睦を深める時間はゆうにある。
現にそういう場面に、これまで何度も遭遇して来た。つまり、エレベータは地域住民のコミュニケーションの場とさえいえる。
さて、エレベータはいつものごとく、ゆるゆると上り始めた。と、15階あたりにきて、動きを止めた。10、11、12、13……と、その階数を示していたデジタルの表示が「--」となっている。
停電ではない。扇風機は回っているし、庫内の電気もついている。
と、気がつけば、エレベータがじわじわと下降している気がする。夫は「そう?」と言うけれど、いや、下がっていることには間違いない。
紛れもなく、故障だ。ベルのマークがついたボタンを押すも、音は出ない。外部につながる電話などもついていない。
やられた。よりによってこんな夜中に。しかも疲れているときに。
と、義母ウマからのメールを思い出した。彼女は友人らから送られてくる「知っておくと便利な情報」的なメールを、折に触れて、一斉メールで送ってくる。
「一度空けて、暑い場所に放置していたペットボトルの水を飲んではいけない」とか、「ブラジャーをつけっぱなしだと乳がんになる確率が高いから自宅でははずそう」とか、「車に乗ってエアコンを入れる時、窓をあけてしばらく換気をすべき」とか、そういう類いの情報だ。
いつも、一応はざっと目を通している。
その中に「エレベータがもしも急降下を始めたら」というのがあったのを思い出したのだ。
「エレベータが急下降し始めたら、ともかくありったけのボタンを押す。うまくいけば、どこかの階で止まる」とあった。
もしも止まらない場合は、手すりなどにしっかりとつかまってしゃがみ込み、万一地面に叩き付けられたときの衝撃から身を守ろう、とも書いてあった。
以前、バンコクのホテルに泊まったとき、急降下するエレベータに乗り合わせた取引先の人がいた。幸い途中で止まったらしいが、こういうこともあるのだな、とそのときは思ったものだ。
従っては、急降下ではないものの、わたしも慌ててすべてのボタンを押してみた。しかし全く反応がない。
「STOP」と書かれた赤いボタンを押したら、下降が止まった。下降は止まったものの、どの階にいるのかもわからないし、ドアが開く様子もない。
夫はといえば、壊れたという事態に当初はピンと来ていなかったが、非常ベルが鳴らない段階で状況を理解したらしい。
「ドライヴァーに電話して。まだ下にいるはずだから。で、セキュリティーになんとかしてもらって!」
と、告げてようやく、夫はドライヴァーに電話をかけはじめた。
「今、緊急事態なんだ! 早急に、セキュリティーに連絡してくれ!」
おいおい。なにがどう緊急なのか、それではわからんではないか。
「エレベータが故障してるって云わなきゃ、わからないでしょ?」
冷静なのかと思いきや、相当に動揺しているらしい。いざというときに頼りになる男、とは思ってはいなかったものの、やっぱりそうであったか。わたしは強く生きねばな。との思いを新たにする。
それにしても、深夜12時。誰が修理に来てくれようか。停電が理由なら電力が復旧した段階で動き出すが、そうでないからたちが悪い。普段は気にならないのに、急に庫内の酸素が薄くなったような気がして、息苦しく感じる。
STOPボタンを押す人差し指が疲れて来た。ちょっとはずしてみたら、またずるずると下がり始める。ああ、いやな感じにもほどがある!
いったい、いつまでここで待たねばならぬのだろう。
と、そのとき閃いた。あれは1992年。モンゴルのウランバートルを訪れたときのことだ。ウランバートルで遭遇した「恐怖のエレベータ」(←文字をクリック)のことを思い出したのだ。
あのとき、彼らはルームキーで、強引にドアを開いて、脱出を試みた。
このドアも、開くかも。
左手でストップボタンを押しつつ、右手の指先でぐいとドアを開いてみた。と、いとも簡単に、ドアは開いたのだった。
あ〜、よかった!
普段は「それぐらい思いつくさ」と思っても、いざというときには頭が回らず、行動が伴わないものである。そのことも自覚しておくことが大切なのかもしれない。
わたしもあのときの経験がなかったら、まさかドアをこじ開けることができるとは、思わなかった気がする。
さて、開いた場所は12階を少し下がったところで、50センチほどの段差を上らねばならなかったが、上等である。
夫に、「早く出て!」と促せば、「わかった!」とばかりに、身軽に外へ出て、「ミホも早く!」と言いながら、しかし荷物は置き去りだ。
「荷物も、持って出てよ!」
と云われて、はっとしている。相当に、動揺している様子だ。ともあれ、10分も閉じ込められないうちに、脱出できたのは幸いだった。そんなわけで、ワンポイント・アドヴァイスを。
・エレベータが故障して下降し始めたら、あらゆる階のボタンを押してみる。
・うまく止まったら、こじ開ける。エレベータのドアは、多分、簡単に開くことができる。但し、開いたときの場所によっては、脱出を控えるべきだろう。急に動き始めて挟まれたりしては大変だ。まあ、携帯電話などで助けを呼ぶのが賢明だろう。
・ともかくは、落ち着け! エレベータのような密室は、閉じ込められると、その閉塞感が心的プレッシャーを助長させる。まず死ぬことはないのだから、ともかくは、深呼吸をして落ち着くことが必要だろう。
以上、エレベータで災難にあったときの心得をお伝えしておきたく。ちなみにエレベータ、翌朝には復旧していた。しかし、乗りたくない。やっぱり、階段で上り下りできる程度の、地に足のついた暮らしをしたいものである。
●間違い電話と遊ぶ夫婦。
インドでは、間違い電話がよくかかってくる。たいてい、マナーがなっていない。間違ってかけておきながら、開口一番、
"Who are you?" (あなた、誰?)
と尋ねる人が多い。
この国において、グローバルスタンダードなマナーを身につけている人は、確率から言って極めて少ない。間違い電話をかけてくる大半が、こてこての、インド庶民である。
"Who are you?" などと、英語で問いかけるなど、むしろ上等である。一方的にヒンディー語だかマラティ語だかカンナダ語だかでまくしたてられることしばしばな趨勢においては。
さて、夕べも間違い電話がかかって来た。
"Who are you?" (あなた、誰?)と聞くので、その時点でわたしも切ればいいものを、"Who are you?!!" と強い口調で問い返してみる。
と、彼は再び"Who are you?"
それに対してわたしも"Who are you?"
お互い「あんた誰?」を何度か繰り返した挙げ句、彼の方が電話を切った。
と、再び電話がかかってきた。面白がって聞いていた夫が、今度は電話をとった。ヒンディー語で、妙に優しい声色で、なにやら間違い電話のおっさんと話をしている。
間違い電話の相手にも関わらず、かなり話し込んでいる。いったいなんなんだ。この無駄にエネルギーを浪費する人たちは。
電話を切ったあと、「してやったり!」な笑顔を見せている夫に、話の詳細を確認する。
彼がね、「ラーマはいるか」、というから「いない」といったんだ。そうしたら、「シータは?」というから「シータもいない」といって言ったんだよ。
とのこと。
ちなみにラーマとは、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公。シータとはその妃の名である。間違え電話の主は、ラーマヤーナにちなんだがごとくの夫婦の家へ、電話をかけたかったようである。
さて、夫が、「いない」と言っているにも関わらず、電話の主は「で、あなたの名前は?」としつこく尋ねるらしい。従って夫は、「わたしは、ラーヴァナだ」と答えたとのこと。
ラーヴァナとは、『ラーマーヤナ』に出てくる魔王のことで、ラーマの敵である。
うまいこと、切り返すじゃん!
と、妻は夫の機転に若干、感心する。しかし、感心しているのは妻ばかりで、肝心の電話の主はその洒落にすら気づかなかったらしく、「あなたは、ラーマの電話番号、わかりますか?」と聞いて来たらしい。悲しいくらい、ど阿呆である。
夫もさすがに呆れて、「再び電話をかけてきたら、あなたの番号を警察に通報しますよ」と意地悪を言って、電話を切ったようだ。
インド。
民度が低いなどと「上から目線」で物を言うのは不本意だが、しかし民度低過ぎ、と思うことに満ちあふれている日常である。
などと書きつつも、そんな相手をからかう夫も、そしてそのことを公表するわたしも、最早、五十歩百歩ではある。
【募集】ムンバイで茶道を披露することのできる方!
ムンバイにある女性のための勉強会グループ、INDUSのスタッフより、茶道のデモンストレーションができる日本人を探しているとの連絡を受けました。
開催日時は9月8日(火)11時15分から12時15分の1時間。場所は南ムンバイのマリーンドライヴです。茶道の他、華道や書道も可能であれば同時に披露していただきたいとのことでした。
わたしは書道のみ心得はあるものの、茶道、華道に関しては素人なので披露することは不可能です。もしもムンバイ在住の方で、デモンストレーションをお受けしていただける方(複数を募集)があれば、ご一方いただけると助かります。
ムンバイの茶道グループなどに関して、情報をお持ちの方は、お知らせいただけると幸甚です。下記のアドレスにメールにてご連絡ください。
INDUSのホームページはこちら(←文字をクリック)です。
よろしくお願いいたします。