このごろのバンガロール、いやムンバイやデリーでも見かけるが、「壁画ブーム」のようである。街の至るところで、ストリート・ペインティングが施されているのを見るようになった。
デリーでは、確かエコロジカルな暮らしをテーマにした壁画群を見たし、バンガロールでは動物や自然をテーマにしたものをあちこちで見ている。
今日、目に留まったなかで最もインパクトが強かったのは、上の写真。揺らめく国旗と浮かび上がるチャクラ(車輪)、そして女性兵たち。メッセージ性の強そうな絵だが、カンナダ語(カナラ語)が読めないので、なにがなんだかわからない。
それにしてもこれら壁画群。場所によって描き手の個性が表れ、個人的には楽しんでいるが、街の景観と言う面から言えば、ハチャメチャだ。絵によって判断は異なるが、遍く楽しいとも、醜いとも受け止められる、微妙な存在だ。
とはいえ、これで世間の「壁に向かっての立ち小便」が少しは減るのではないか、という気がする。
まさか国旗やら女性兵らやらに放尿する強者は、いるかもしれんが少なかろう。
ところで先日も記したが、ここにきて「道路交通取り締まり」に気合いが入って来たバンガロール。
十年足らず前までは、車が非常に少ない呑気な街だったのが、最近ではどっと車が増えて、インフラは追いつかない。
交通ルールもマナーも追いつかない。
相当数の事故が起こっているはずだ。
特に飲酒運転によるトラブルが多そうだ。
道路標識その他、新しいものも見られる。一時停止サインなども目立つようになり、少し安心する。しかし「十分」という状態からは、果てしなくほど遠い。
自動車もさることながら、二輪車(バイク)の急増と、その運転のひどさといったらもう、ない。道路を縦横無尽に駆け巡る、昆虫のようである。意味がよくわからないのである。
来週はまたムンバイだし、参加できる時に参加しておこうと思う。
今日もまた、新しく入会する日本人が2名。
簡単な挨拶を交わしただけで、言葉を交わさないままの人たちも多く。
コーヒーモーニングのあとは、カフェでランチ。
午後は、インド古典音楽のプチ演奏会へと赴いた。
その記録は「キレイブログ」に記しているので、読んでいただければと思う。
●即興の見事。インド伝統音楽。(←Click)
それにしても、あのインド音楽が「即興」であるということに驚いた。その場で演奏者たちが紡ぎ出す音。わたしもなにか音楽を、始めたくなる。
『街の灯』の「ピアノ・レッスン」を書いてから、はや9年ほど。いつかまた、わたしはピアノを買って練習をするのであろうか。
いや、ピアノよりもまず、ヒンディー語も始めたかったのだ。いや、それよりも、ほかにやることがあったのだ……。
今日は久しぶりに、どうしたもんだと思った。夫と話をしていたとき、彼がしみじみと言ったのだ。
「ミホ、英語の勉強をやり直した方がいい。もし、英語圏で一生を送るつもりなら」
と。彼の指摘は正しい。家庭教師をつけて、徹底的に学べという彼のアドヴァイスはもっともだ。
29歳のとき、英語を勉強するために3カ月間の休暇を取って英国に語学留学した。その際、3カ月ではダメだと悟り、翌年、ニューヨークでの、1年間の語学留学を決意した。
しかしニューヨークでは、やはり3カ月ほど語学学校に通ったあと、仕事を始めて勉強は中途半端なままだった。
結婚をして、ワシントンD.C.に移って数年後の38歳。米国に8年も暮らしていながら、英語は中途半端なままであった。
あるとき夫と大げんかをした際、わたしの英語力に対して突っ込まれ、それでジョージタウン大学のEFLの集中コースに3カ月通うことを決めたのだった。
その時に書いたレポートのテーマがインドの頭脳流出に関わる「インドの新経済」だったことで、わたしの「インド移住願望」が芽生えた。あのとき語学学校に通っていなければ、わたしたちは今頃、アメリカのどこかにいたはずだ。
話がそれたが、2003年の語学学校を最後に、英語をまともに勉強していない。英語は勉強しなければ伸びないどころか衰える。
「坂田さん、英語十分にしゃべれるじゃない」
と思われるかもしれない。しかし、しゃべることができればいい、というわけではないのだ。ネイティヴ並みに話せる人なら、わたしの英語のいい加減さ、不正確さは、すぐわかる。語学習得の道は、長くて険しいのである。
たとえば、日本に住んでいる外国人。
「日本語がお上手ですね〜」
と言ってはみたところで、実際、文法の誤りや訛について「外国人だもの」と温かく受け止めているはずだ。
大人になって勉強を始めた人は、よほど語学力のセンスに長けていて、勤勉な人でない限り、いくら日本語を話せても、完璧ではないのだ。
「ワタ〜シタチノクニデハ〜」
でおなじみのフランソワーズ・モレシャンは、確か長いこと日本に住んでいたはずだが、ずっとフレンチななまりだった気がする。
「ユタ、イナカジャ、ナイヨゥ〜」
と、ユタ州の田舎っぷりを日本に広めたのはケント・デリカットだった。今でも日本にいるのだろうか。
「オッカノウエ~」
と、不思議なアクセントで歌い、話していたアグネス・チャンは、十代という、まだ若いうちに来日したはず。しかし、独特のアクセントは久しく健在だった。今はどうだかしらないけれど。
……ん? わたしは何やら、「大人になってからの語学習得は一筋縄ではいかんぞ」と、まるで言い訳を探しているようである。
いや、そうではなく、大人になって勉強をはじめて、ネイティヴ並みに流暢な発音と正確な文法で話せる人の例をあげるべきだった。が、すぐには思いつかない。
わたしの懸念は、英語力の中途半端さによって、自分がネイティヴの人とがっちり渡り合えないこともさることながら、アルヴィンドに悪影響を与えていることにもある。
事実、日本語が下手な外国人とずっと話をしていると、自分の日本語さえおかしい感じになってしまう。
夫はその「おかしい感じな攻撃」を13年以上にも亘って受けているのである。今更もう、手遅れのような気がしないでもないが、ああもう、このまま看過してよいものかどうか!
「家庭教師を付けたほうがいい」
と夫はいう。と、夕刻。上階に住むフランス人駐在員が、用事があって、訪ねて来た。わたしはといえば、英語の件で、実はふてくされていたため(大人げない)、夫が対応した。と、フランス人の声が聞こえてくる。
う。かなりひどい英語。モレシャンも真っ青な、フランスなまり。若干、救われる思いである。いや、救われている場合ではないのである。
ちなみに今日の夕飯は、キングフィッシュのフライ、ポテトサラダ。それに、ごま油の風味がよいナスとネギの炒め物を作るつもりだったのだが、弱火を消し忘れて、炒め物というよりは、ドロドロ煮物になってしまった。
しかし、夫が「この柔らかい煮物、おいしいねえ」と、喜んで食べていたので、まあ、よしとした。それにしても、キングフィッシュのフライは美味だった。やっぱり家で作る料理はおいしい。と自分で言う。
ところで今日は、以前テイラーで作ったドレス(ワンピース)を着ていった。サルワール・カミーズのマテリアルで作ったものだ。とても好評だったので、改めてここにリンクをはっておく。
モデル気取りが相変わらず恥ずかしいが、やってみたかったのだ。許して。
■お手軽テイラーメイド(←Click)
インド発、元気なキレイを目指す日々(←Click)
■地元市場、ラッセル・マーケットへ。
■即興の見事。インド伝統音楽。