昨夕、ムンバイに到着した。夫は一足先に月曜からムンバイ入りしている。今回も、「夫の出張に同行して」の滞在だ。わずか3泊4日なら、バンガロールにいればいいようなものであるが、しかし1カ月に一度程度は、ムンバイにも訪れたい。
「ミホもおいでよ」
と、いつものように、夫に誘われ、当然のように同行するのである。当たり前だが、わたしの交通費など諸経費は自費なので、念のため。
今回は、いつもと違い、北ムンバイはバンドラにあるホテルに滞在するという話も魅力的だった。住んでいた南ムンバイのコラバ地区は、それなりに熟知しているし、ここしばらく滞在していたマラバーヒル・クラブ界隈も、そこそこに詳しい。
しかし近年、南ムンバイから移ってきた企業のオフィスも多く、再開発も進んでいるらしき(というのは、どうにもそうは見えない)、北ムンバイについては、疎い。わずか数日でも「散策」してみたいという思いから、同行することにした。
今回滞在しているのは、TAJ LANDS END。仕事やイヴェントなどで時折訪れてはいたが、宿泊するのは4年半ぶりである。インド移住直後、やはり夫の出張に同行して数泊したのだった。
インド超初心者だったにも関わらず、あのころの記録(↓)を読むと、すでにインドになじみきっている様子が出ていて、あやしい。
■ムンバイ。最果て、という名のホテル 2005/11/19(←Click!)
バンガロールを「バンガロア」と書いているのは、英語での発音がそちらに近いからだ。途中で日本的な表記に変えた。バンガロールの旧空港の一部が写っている。今とは全然違う、すでに「一昔前」の光景だ。
2005年11月10日。バンガロールに移り住んだところからはじまるブログ。移住当初の記録を読むと、自分の猛烈な活動ぶりに、行動力に、驚かされる。インドに対する新鮮な姿勢が、我がことながら、興味深い。
移住前後の夫婦間は、過激トラブルが絶えず、叫びたくなるような日々だったのだが、そのエネルギーが見事に行動に転化されているようにみえる。
家探し、家財道具の調達、夫のオフィス用物件探しの手伝い、夫の出張同行……。自分がインドになじむかどうかなど、呑気に考えている暇もなく、ただひたすらに、渦巻いていた。
さて、一番上の写真は、部屋からの眺めだ。予想はしていたが、モンスーンシーズンまっただ中。雨に見舞われている。しかし、それはそれでいいのだ。
今日はホテルでゆっくり過ごし、雨が止んだら界隈の海辺でも散歩する予定である。
ところで昨日。フライトで隣席だった60歳前後のインド人男性。たいそうなジェントルマンで、わたしが引きずっていたコンピュータバッグを見るや、「手伝いましょう」と言って、さっと立ち上がり、上の収納棚へ収めてくれた。
彼と少々、世間話をしたあと、尋ねられた。
「ところで、車の手配はなさってますか?」
いつも通り、空港でタクシーを拾う予定だったので、そう答えたところ、
「今日、ムンバイのタクシーは、ストライキで動いてませんよ」
とのこと。ガガガガ〜リン!!
到着するなり夫に電話をし、宿泊先ホテルの車を手配してもらってことなきを得たが、これがマラバーヒルクラブなどだったら、一般のタクシー会社を使用するしかなく、そうなると競争率も高くて、速やかに到着できなかったかもしれない。
ともあれ、ホテルがタクシーを、しかもコンプリメンタリーで出してくれたのは幸運だった。雨が降る中、空港で待ちぼうけるところだった。
客室は、南ムンバイのホテルに比べると広めで、広々とした窓からの眺めもよい。眼下にはプールも見下ろせる。念のため水着も持ってきたが、この天気では泳げないかもしれない。
が、今朝、プールを見下ろしたら、雨が降る中、ガシガシと泳いでいる男性が数名いて、驚いた。
さて、昨日の歯の金属冠(クラウン)の話。やや物議をかもす話題であることは、承知していた。この類いのことを書くと、必ずと言っていいほど、反論のメールやコメントが届くので、このごろは避けていたが、それでも敢えて書いたのは、本文でも記した通り、「自分が経験したから」である。
ライターという職業柄、「仕事として請け負った」原稿に関しては、何らかのデータなどを用いる場合、その出自に対してかなりの注意を払っている。
インターネット上に見られる数字や情報のあいまいさ、検証できない、確証のない数字については、なるたけ触れず、自分の経験に基づいた、あるいは判断に拠るものを、記すようにしている。
先月から今月にかけて記している、インドのゴミ事情の記事についてもそうだ。短い原稿量ながら、時間をかけて掲載すべき情報を吟味した。
一方、このブログについては、かなりハードルを低くしている。
メールをくださった方の中に、学術的な報告書がないもの、科学的な根拠が明示されていないものに関する弊害について、あたかも真実のように記すべきではないとのご意見もあった。
よくわかる。
「いたずらに恐怖心を煽る情報」というものが、日本にも少なくないということを、知ってはいる。
だからこそ、これまでも自分自身が影響を受けていながら、詳細を書けずにいる食品添加物のことについても、結局きちんと書かないままでいる。
以前、西日本新聞の『激変するインド』で、日本の野菜について触れたのだが、その記事をして不満に思った読者が、ご本人のブログで、我が記事を徹底的に批判していた。
わたしにとってはどうにも「お門違い」な批判だったのだが、それはともかく、「もう、日本に帰ってくるな」とまで書かれる始末であった。おいおい、という話である。
だからといって、誰からも反発を食らわない程度の「無難な文章」を書き続けるのが正しいことだとは思ってない。
今回のことに関しては、自分自身が痛みを経験し、同じような症状を持つ人が巷にあふれ、苦境に立たされていることを知り、そしてその原因の一つかもしれないと思っていた金属冠の除去によって症状が劇的に緩和された。
ドクターのコメントが、真実なのかどうかの裏付けをとったわけではないが、ともあれ、自分が耳にしたことをそのままに書いた。
コメントの中には、「ニッケル・クロムが禁止されているレポートは見当たらない」とのご意見もあったから、ひょっとするとドクターの発言は真実ではないかもしれない。
この点については、過激な症状についてをそのままに記載したことは、配慮が足りなかったかとも思う。しかし、削除するつもりはない。
ともあれ、わたしにとって重要なのは、4年間患った皮膚疾患の原因が、ニッケル・クロムの金属冠であったことは、ほぼ間違いない事実であり、それを巡って思うところを記したまでである。
昨日は、詳細を記さなかったが、それなりに、足裏の皮膚疾患には悩まされていた。
この4年間、バンガロールで3カ所、デリーで1カ所、ムンバイで1カ所の皮膚科医にかかった。このほか、アーユルヴェーダのドクター3人にも見てもらった。どのドクターも病名を特定できず、薬をくれるだけだった。
旅先の香港で、日本で、米国で、かゆみがひどくなり薬を買い求めたこともある。いずれも、その場しのぎのかゆみどめにとどまり、効果はなかった。
症状は、右足の裏のどこかに、消えては現れ、消えては現れを、途絶えることなく繰り返していた。
「伝染性はない」と言われてはいたが、ペディキュアなどのフットケアを受けるときも、トラブルのある箇所には触れないように頼んで、トリートメントを受けていた。
それが2週間前にクラウンを除去してから、みるみるうちに症状が緩和し、普通なら消えては「現れ」るところが、今は現れる兆候がない。ものすごく、うれしい。
わたしの皮膚疾患が「掌蹠膿疱症」だったとしたならば、わたしの場合は軽症だったようだ。素人判断と言われそうだが、症状が酷似しているため、そう思わざるを得ない。
同じ掌蹠膿疱症でも、手のひらに現れる人、足の裏全体が腫れ上がるようになっている人など、生活に支障を来している人の情報も数多く目にした。
それらの症状を、金属冠を除去することで治癒させたとする歯科医のレポートもあまた見られた。確かにそれらは、学術的なレポートではなく、信憑性は低いかもしれない。
だからといって、「ねつ造である」とする理由もない。わたしはこのようなサイトで情報を得、自分の症状に照らすことができて、本当によかったと思っている。
確かに昨日は、頭に巡ったままに走り書きをしたが、「銀歯を入れている人の不安を煽るのが目的ではない」ということを、書き添えておきたい。
ただ、どうしても治らない皮膚疾患の原因が、金属冠であるかもしれないことは、公表するに値すると思っている。
また、ドクターが言っていた、アルツハイマーや発がん性については、基本的に「ドイツ人の患者」のコメントを通しているが、「一般のサイト」でも、その関連記事は見られた。
ただ、それが医療関係者のレポートに基づいたデータに沿っているのかどうかまでを、わたしに検証することはできない。「なら、書くな」という人もあろうが、そこまで干渉される筋合いもない。
わたしは、30歳まで日本に住んでいたから、日本で保険適用外の治療を受けるのは非常に高額であることはわかっている。
渡米直前に住んでいた西葛西の歯科医にて、わたしの銀歯の多さを指摘されたことがあった。そのうちのいくつかを交換すべきと指摘されたことがあった。ということを昨日思い出した。
そのときは、数十万円の治療費を出すお金も、治療を続ける時間の余裕もなかった。第一、取り替えねばならない理由が、よくわからなかった。
たとえばあのときの、ドクターの判断が正しかったのか間違っていたのか、それともどちらでもなかったのか、わたしには自分のことだが、わからない。
この件に限らず、世の中にはあふれるほどに、情報が満ちている。それらをどう取捨選択し、どう受け止めるかは、当然ながら、読者のみなさんの判断次第だ。
自分で言うのもなんだが、わたしの文章によって「いい情報」「前向きな情報」を得られた人は、少なくないはずだ。しかしその声は、残念ながらあまり届かない。
一方、「気に入らない情報」「相容れない文章」についてのメールは、速攻で届いてくる。刺激的なものである。
自分の考えと反することが書かれているからといって、書き手に対して節度のないメッセージを投げつける「匿名の読者」がいることに対し、不快感を抱いたので、今日は敢えて反応した。
さて、気分を変えて、「すべすべになりつつあるかかと」を手入れしてもらうべく、ビューティーサロンへ赴こう。
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