新居からの風景その1。カフ・パレード (Cuffe Parade) と呼ばれる一帯のビルディングが見渡せる。彼方に小さく、The Taj Mahal Palaceのクーポラが見えている。その様子を、わたしも夫も気に入っている。その下に視線を落とせば、漁村スラムの集落をもまた、見えるのであるが。
●熊本でも仰天!
先週の日曜日、熊本において、テレビ東京「日曜ビッグバラエティ」の「仰天ライフ」が、数カ月遅れで放送されたようだ。FM熊本のマジカルフライデーのリスナーから、放送局あてに感想のメールが届いていたらしい。
ということを、今朝の収録時、DJの相越久枝さんからお聞きした。久枝さんはもちろんのこと、スタッフの方々は、テレビ局から送られていたDVDで、すでに番組を見てくださっている。
久枝さんは番組を見たことで、よりインドに対する好奇心が高まっていらっしゃる様子。わたしとしても、インドの話をするのがより楽しくなってきた。
インド在住当初は「日本が近くなったからしばしば帰れる」と思っていたのだが、結局この2年半で一度しか帰国していない。お会いしたことのない日本在住の仕事関係者へご挨拶をしたいと思うのだが、いつになることやら。
今朝、デリー在住のK子さんと電話で話した折、なかなか日本に帰れないとぼやいたところ、
「美穂さん、本当のところ、そんなに帰りたいとは思ってないでしょ」
と言われて、
「その通りかも!」
と膝を打った。
本気で帰りたかったら、なんとしてでも帰ろうとするはずだものね。日本で気になることといえば、母。しかし母は去年3カ月もインドに暮らしたし、また近々招きたいと考えているから、わたしが福岡にわざわざ会いに行くこともない。
結局のところ、仕事関連を強化したいという部分においてのみ、の現状である。あくまでも現状ではあるが。
加えて言えばこのごろは、日本食が恋しいと切実に思うでもなく。ニューヨークの日本食レストランですでに寿司欲、刺身欲は満たされているし、温泉に入りたいとも殊更思わない。
わたしと日本を結ぶ大きな絆は、わたしが日本語を武器にして仕事を、自己表現をしているという一点に集約されている。わたしがもし英語が流暢で、英語力で仕事ができたとしたら、日本はより、遠くなっていたのかもしれない。
或いは、自分が30歳までを日本で過ごし、どうあがいても日本人であるというむしろ安心感ゆえの、揺るぎなく日本国籍保持者であるがゆえの、我が儘な自由奔放であろうか。
●ハイウェイにオイルで事故で。
滞在しているTaj Presidentからムンバイ新居までは徒歩3分。
どれくらい近いかと言えば、右の写真。
これは現在滞在しているホテルの部屋から撮影したもの。
目前のビルディングがそれである。
白くはないけれど、カサブランカ(白い家)である。
わたしたちのアパートメントは、右端の上から4番目。
じっくりと眺めて気がついたのは、他のフロアに比して、我が家の窓が広いことだ。
インテリア関連の建築業を手がけている大家が、敢えて窓を広めに作り替えたのであろう。だからこそ、非常に明るく広々として開放感のある印象に仕上がっているのだろう。
その大家宅へも、徒歩5分と近い。本当によい物件を選べた幸運を思う。
朝食を終え、インターネットでサイトをアップロードなどしたりしたあと、洗濯物を入れた大きなバッグ、そしてベーカリーで購入したランチを携え新居へ向かう。水道管の工事は昨日完了したので、今日は洗濯ができるのである。
さて、今日はお掃除人が2名やってくる。加えて家具がすべて届く予定だ。火曜日、2カ所の異なるHome Centreで家具を購入したことは記したが、配送手続きを担っているのはハミッド君という人物らしく、彼がすべて一度で配送するよう便宜を整えていてくれた。
昨日も、「午後2時から3時までに配達します」と、あらかじめ電話をくれていたのだが……。
今朝、再びハミッド君から電話。
「マダム。実はちょっとしてプロブレムが発生しまして……」
ノープロブレムでさえプロブレムなインド。そこで「プロブレム」と言われると、途端に胃がキューッと痛むというものだ。まあ、あの日のプロブレムの嵐に比べれば、河童の屁である。いかした表現である。
……いやはや。今、リンクを張ったついでに読み返してみたが、我ながら、去年の「家作り」は猛烈な仕事ぶりだったと感心する。しかも、インド在住史上最初で最後の(であってほしい)食中毒の直後に「プロブレムの嵐」とは。よくやったものだ。
話を戻して、ハミッド君である。
「マダム。デスクやダイニングテーブル、ドレッサーなど大半の商品はお届けします。ただソファーセットが明日になるんです。実は今朝、別の場所からソファーセットを運んでいたトラックが、ハイウェイで事故を起こしたんです。ハイウェイにオイルがこぼれていたらしく、滑ったのですよ……」
インドでは日常茶飯で起こりえそうな事故である。とはいえ、カスタマーに有無をいわせぬよう作られた「遅配時のマニュアル」ともとれない、いい訳である。実に、なんとも言えない微妙な気分にさせられる。黙るしかない。
本来は、明日土曜の配達というところを無理して金曜日と頼んでいたわけだし、明日、いずれにしても掃除その他でアパートメントにいるわけだから、それはそれで、よしとした。
ともあれ、ソファー以外の家具は無事に配達され、その後カーペンターがやってきて、地道に組み立て作業をやってくれた。
●見かけによらないお掃除人
若いお兄さん二人が、約束の時間より1時間半ほど遅れて来た。てれ〜んとした動きで、見るからにやる気のなさそうな感じである。当然ながら言葉は通じない。ほとんど期待せずにいたのだが、これがびっくり、丁寧な仕事ぶりなのだ。
クローゼットの中の隅々までも掃除して欲しいと頼んでいたところ、かなり入念に掃除をしてくれる。わたしが今望むのは、「拙速より巧遅」である。助かる。
とはいえ、ランチタイムもゆっくりと30分(持参の弁当を部屋の片隅で食す)。そのあとアパートメントの踊り場に出て、二人遠景を眺めながら黄昏れること30分。くつろぎすぎではあるまいかとも言えるし、マイペースでよいとも言える。
実質4時間労働ではあったが、今日のところはベッドルームとキッチンがほぼ完璧に片付いて気分がいい。明日は大物ゴミの片付けやダイニングエリア、リヴィングルームの掃除を頼むことにした。
●ご近所さん事情。ここは「億ション」だった。
カサブランカは20階建てで、我が家は17階。高層ビルに住むのは好まないということは以前も記したが、ともあれ周辺のビルが平均して15階建て前後につき、我が家からは空がよく見え、日差しが射し込み、風がよく通り、なかなかに快適だ。
1フロアに4世帯ずつで、17階は我が家を除き3世帯が家族親戚とのこと。入居作業が一段落してから挨拶に出向こうと思っていたのだが、玄関を開け放していると、次々にご近所のおじさんが挨拶に入って来る。
インドならではのジョイントファミリー。三世代に加えて兄弟姉妹が共に暮らしているらしく、老齢のおじさんだけですでに3人に会った。
毎度のことながら、
「あなたはコリアン?」
「シンガポーリアンですか?」
と、誰も日本人とはわかってくれない。昨日、スパのジャクジーで一緒になった人も、日本には何度も行ったことがあるといいつつ、わたしを見るなり、
「シンガポールからいらしたの?」と言う。
そんなことはさておき、隣人のおじいさん(1)は、
「このアパートメント、実はわたしのものだったんですよ。それを彼ら(我が家)の大家に売ったんですけどね」
と、すでに売ったものにも関わらず、未だ自分のものであるというような態度で「いい物件でしょう」と説明してくれる。同時に、何か困ったことがあったら、声をかけてくださいよ、と親切だ。
数時間後にやって来た隣人のおじさん(2)もまた、
「このアパートメント、実はわたしのものだったんですよ。それを彼ら(我が家)の大家に売ったんですけどね」
と同じコメント。「わたしたちの」ではなく、「わたしの」と二人のおじさんが言い切るあたり、どちらかが見栄っ張りである。あるいは家族の共同名義か。
更には、
「わたしが売った当時、ここは1.5 croreだったんですがね。今はいくらだと思います? 4.5 croreですよ」
4.5 crore。それは1ミリオンドル超え。つまり1億円超、である。
予想はしていたが、なんちゅう高さだ。場合によっては、ニューヨークの、セントラルパークを見下ろすアッパーウエストサイドやアッパーイーストサイドのアパートメントさえ、買える値段じゃなかろうか。
改装されているとはいえ、築30年超のこのアパートメントビルディングの、この1300スクエアフィート程度の2BHK(キッチン、2寝室、ダイニングエリア、リヴィングルーム、使用人部屋付き)が1億円を超えるとは。
もう百万回くらい書いているので、いい加減やめようと思うが、このムンバイの不動産の高騰ぶりやら貧富の差やらは、まったくもって、どうしたものだろう。
ともあれ、月々の家賃が高いのも、仕方がないということか。
●最初は「調整の日々」なのだ。
買ったばかりのSAMSUNGの冷蔵庫。スイッチを入れるなり、まるで使用歴十数年と言わんばかりにブ〜ンとうるさい音を立てていた。しかもボディ両サイドがやたらと熱い。これは不良品に違いないと判断して、一旦電源を切る。
翌日商品説明に来たSAMSUNG技術者に不具合の旨を告げた。と、
「マダム。ノープロブレム。僕が調整します」
と言い切る。
相変わらずの疑心暗鬼な心で以て、作業を見守る。冷蔵庫を引っ張りだし、背面の下部をチェックしている。表の「モダンな感じ」とは裏腹に、そこには小さなガスシリンダーのようなものが露出しており、いくつかの細い鉄パイプが無造作に、安っぽく、並んでいる。
そう言うわたしに、彼はすかさず、
「インド産の機械なんて、みんなこんなもんですよ」
と言い放つ。
そうして、細いパイプについているゴムのようなスポンジのようなものを、微妙に移動させはじめた。
まるで楽器を調律するかのような塩梅で、いくつかのゴムを微動させる。
と、あるポイントに達した時、騒音が消えた。
こりゃびっくり。
そのあともしばらく冷蔵庫の背中と向き合い、彼は作業をしていたが、見事に音を消し、ボディを冷却させ、去って行ったのだった。
お見事!
インドでは、機械の存在が、妙に軽い。簡単に模造品や加工品が作れる。壊れた機械も、意外なほど簡単に修理してもらえる。どこかしら、「図画工作の延長」のようでもある。
かくなる次第で、それなりに順調に、入居準備は整っている気がする。明日はアルヴィンドも休みだし、少々はなにかしら、活動に参加してくれるであろう。