米国の第44代大統領の就任式を、今、ライヴで見ながら、その傍らでコンピュータに向かっている。白亜のキャピトル(連邦議会議事堂)。連なる星条旗。モールを埋め尽くす無数の人々……。
建国以来初めて、アフリカ系アメリカ人が大統領となる、歴史的な瞬間だ。
"Ladies and gentlemen!"
演技じみた司会者の口調が、まるでプロレスの試合を思わせるのが気になるが、それはさておき。
寒空に、ソウルシンガーの、アレサ・フランクリンの歌声や、ヨーヨー・マのチェロが響き渡っている。
就任演説をするオバマ氏の、自信に満ちた声。妻や子供たちの笑顔。
8年前の2001年、ブッシュが就任してから、米国で、世界で、さまざまな悲劇が起こった。その4年後に彼が再選した時には、信じられない思いだった。
そして今、向かい風の強い世界で、あまりにも厳しい責任を背負って、米国だけでなく、他国へ大きな影響を与える大国のリーダーとして、彼はどのような道を進むのだろう。
アメリカ合衆国。なにはともあれ、わたしたちにとっても切り離すことのできぬ国だ。5年近くを暮らしていたワシントンDCの、その見慣れた光景を、久しぶりに目の当たりにして、当時の自分たちのことを、じわじわと思い出す。
ポトマック川から吹き上げる、突き刺すように冷たい冬の風。抜けるような青空と、鋭くてまばゆい日差し。を照り返して輝く白亜の建築物。なにもかもが、容赦なく蓄積される過去だ。
さて、上の写真は、本日のINDUSの会合。今日のテーマは「禅」や「仏教」に関してであった。講師はインド人女性。まずは10分ほど瞑想をしてのち、レクチャーが始まった。
インド(ネパール)で生まれ、タイや中国や、日本に伝播して、仏教。そして日本で育まれた禅。茶道、華道、書道、俳諧……。さまざまに息づく禅の心を、日本の禅の心を、日本人以外の人から学ぶことの、奇妙な感じ。
日本人であるわたしのなかに、仏教や、神道が、潜んでいるだろうか。
一方で、読み上げられた松尾芭蕉の俳句に、たちまち反応する、あるかなきかの、侘び寂びの感性。
An ancient pond / a frog jumps in / the splash of water.
古池や 蛙飛び込む 水の音
講師が読み上げる俳句の、この味わいを、言語差を超えて、どのように理解し合えるだろう。どれほどが、伝わっているだろう。ムンバイのこの、喧噪の町中においてはなおさらに。
An ancient pond / a frog jumps in / the splash of water.
古い池に、一匹のカエルが飛び込んで、水を飛び散らす……。
自分が日本人でなかったならば。限られたイメージの中においては、「なんじゃそりゃ?」な言葉の連なりではなかろうか。
話を聞きながら、自分の中の「日本」がこみ上げてくる。しかし、その「日本」を、どう扱えばいいのかわからない。
せめて好きだった書道だけでも、改めて始めたいものだと思うけれど、それもまたいつもごとく、束の間の衝動で終わるのだろう。
とはいえ、実は今年に入ってから、毎日続けていることがある。「写経」をはじめたのだ。年末に京都を巡り、仏教とインドの結びつきについて、あれこれと思うところがあった。テロが起こり、そんな心の移ろいを記すことなくきたのだが。
福岡からムンバイに戻る前夜のことだ。ふと、父の使っていたクローゼットの引き出しが気になって、開いた。するとそこには、数珠と般若心経の記された冊子が数冊あった。
「持って行きなさい」と言われているような気がして、母の許可を得て、インドに持ち帰っていたのだった。
写経といっても、筆や硯や墨を備えてというわけではない。普通のノートにペンで書き写しているだけである。それでも、黙々と文字を綴るひとときは、無心でいられて、心安い。自然と、3分の1ほどは覚えた。
そもそも写経を始めたきっかけは、「手で文字を綴りたい」という思いからだった。
コンピュータに向かう歳月久しく、文字を綴る機会が激減しており、自分の文字が汚くなっていくことを懸念していた。ノートに記すメモを読み返し、その走り書きの文字の荒れた有様に、このままではいけないと感じた。
文字をしっかりと、丁寧に書かねば。きちんと手で。そう思ったとき、写経がひらめいたのだった。
京都で買って来ておいた香を焚きながら、心を鎮めながら黙々と文字を綴る。一日の、そのひとときは、透明のようである。
わたしもだんだんと、歳を重ねているのだろう。
INDUSの会合は、マリン・ドライヴ沿いの会員宅で行われた。帰路、すぐそばにあるインターコンチネンタルホテルに立ち寄り、ランチをとる。
全粒小麦粉で焼かれた素朴なパンに、オリーヴ油を浸して、食べる。
白ワインでも飲みたいところだが、我慢する。
それにしても、ムンバイではおいしいパンが手に入りやすい。それがうれしい。
海を眺めながら、食事をしながら、静かに思い巡らせるひととき。
年始にアンケートをお願いした際、読者の方々から、多くのメールをいただいた。
その中に、アルヴィンドの亡母アンジナの手記に救われたとのメールがあった。
アンジナ。二人の子供たちが住む実家と、転勤の多い夫が住む街を行き来していた、ちょうど今のわたしと同じ歳だった彼女は、あるとき定期検診で慢性白血病であることがを告げられる。
それから、彼女は精密検査を受け、しかし医師の勧めによる抗がん剤治療を選ばず、米国へ渡って模索した結果、代替治療方法を学び、免疫力を上げる治療法によって、自ら延命の努力をした。当時にしては非常に希有な決断と実行であった。
ヤムナナガールの実父(アルヴィンドの祖父)の土地に、自分で農場を開き、オーガニックの野菜を育て、健康的な食事を人々に啓蒙した。そのようなことが、記されている手記である。
昨日は、その彼女の手記を、改めて読み返していた。
実は写経のほかに、今年に入って英文の筆記も始めた。一日一本、新聞や雑誌で目に留まった記事やコラムなどをノートに書き写すのだ。
英語は、海外に住んでいるだけでは決して上達しない。いくら夫と英語で話すといっても、普段の会話にさほどの英語力は必要ない。
つまり、努力しなければ英語は上達しない。
ということをわかっているのだが、努力しないまま歳月は過ぎて行く。このままではいけない。せめてもの思いで、今年から英文の筆記も始めたのだ。
記事によっては、わからない単語だらけでいやになる。いちいち調べていたら続かないので、そのまま通過する場合が大半だ。それでも、やらないよりはいいだろう。
昨日は、アンジナの手記を、長いけれど書き写したのだった。書き写すことで、彼女の言葉のひとつひとつが、心に染み入って来た。すばらしい女性だったということを、改めて思った。彼女と出会えていたら、と本当にそう思う。
■亡き人を思う午後(2008年5月18日の記録)
青い文字の部分が、アンジナの手記を翻訳した部分だ。ぜひ読んでいただければと思う。
帰りしな、お気に入りのアイスクリームショップに立ち寄った。自然の素材だけで作られた、素朴なアイスクリーム。ストリベリーとマンゴー、そしてミルクと砂糖だけのシンプルなアイスクリームの3種類。
インドはヴェジタリアンが多いから、卵が入っていないアイスクリームが主流なのだ。
それでも、牛乳が濃厚なこともあり、十分においしい。特に季節限定商品、旬の果物、ストロベリーのアイスクリームはとてもおいしい。大統領就任式を見ながら、夫も喜んで食べていた。おすすめです。
■Natural Ice Cream of Juhu Scheme
■インドならではフレイヴァーが楽しめるアイスクリーム