下関の女子大生だった20歳のとき、教習所に通って自動車の運転免許証を取得した。そのころの日本は、マニュアルカーによる試験であった。つまり、マニュアルカーにて、坂道発進だの縦列駐車だのを、一応はやった。
しかし日本ではペーパードライヴァーだった。
30歳で米国に渡って、取材などで運転が必要となった。改めてニューヨークで教習を受け、免許証を取得した。オートマティック車での試験であった。
やがて日本の免許証は失効。その後、ワシントンDC、カリフォルニアと、州を移るたびに、その州が発行する免許証を取り直してきた。
今、手元にある免許証はカリフォルニア州発行のものだ。この免許証も、今年の誕生日、つまり2009年の8月31日で切れてしまう。米国に赴き更新の手続きをしなければならず、面倒だな、と思っていた。
と、先日ひらめいた。わたしはインドに住んでいるのだ。車も買ったことだし、ここで運転できるに越したことはない。インドで免許を取ればよいのだ。
そうすれば、万一、米国の運転免許証が失効したとしても、国際免許証を取得することで、海外でも運転できる。現在、住所のないカリフォルニアで更新手続きをするよりも、その方が確実であるように思えた。
とはいえ、ここはインド。ありとあらゆるお役所仕事が、猛烈に手間取るお国柄である。代行業者を使ったり、「賄賂」を渡したりといった裏工作なしには、物事が進まない、腐った世界でもある。
「インドで取った方がいいのでは?」と思いつつも、すでに取得する前から億劫な気持ちに満たされていた。
先々週、バンガロールでスジャータとラグヴァンに会ったとき、その話が出た。
聞けばラグヴァンも十数年前、インドで免許証を取ったらしいが、学生時代に米国の免許証を取得していたので、テストを受けず、資料提出だけでインドの免許を得られたという。
「今は事情が変わっているかもしれないけれど、アメリカの有効期限内の運転免許証があるなら、簡単にとれるはずだよ」
その言葉を聞いて、ぜひともインドで取るべきだという気になった。さっそくバンガロールのRTO: Regional Transport Officer、日本でいうところの運転免許試験場のようなところへ電話をした。
自分の身の上を説明したところ、担当の男性は、以下の書類を持参するように言った。
・米国の免許証
・パスポート
・住所を証明する書類
・パスポート用の写真4枚
それに加えて、念のため、PIO (Person of Indian Origin) カードや夫のパスポートのコピー、米国での婚姻証明なども用意した。
ここににいたのは、わずか30分ほど、であった。しかし、さまざまなドラマが展開された。
「話が違うじゃない!」
と、声を荒げることたびたび。
あまりにも、いろいろあるので、詳細は大きく割愛する。
たとえば一例を挙げれば、申請用紙は「カンナダ語用」しかなく、英語版は文房具店に行って並んで買わねばならない。そこは黒山の人だかりである。
ぼんやりと立っているのでは、いつまでたっても前線にたどり着かない。辛くても、人並みをかき分けて、前進するのみである。そして札を掲げて叫ぶのである。
「英語の申請用紙、ください!!」
ちなみに、辺り一面、女性は皆無である。ましてや外国人など。
結論から言うと、申請用紙を入手してなお、埒があかないあれこれがあり、自力での取得は無理だと判断した。精神力が持たない。平常心を維持できない。荒れる。
電話では書類申請だけでよいと言われたのに、窓口では、まずラーナーズパーミット(仮免許証のようなもの)を取るための簡単な筆記試験を受けて、それから運転免許証を取得する段取りを取らねばならないと言われた。
「試験」と聞いただけで、拒絶反応。だいたい、運転免許証のテストって、日本も、米国も、実に紛らわしいのだ。あらかじめ勉強しておかないと、合格は難しい。
「簡単ですよ」
と窓口の人は言うけれど、何度もここで受けるのはいやだ。
いずれにしても、彼らの望む資料を持ち合わせていなかったので、この日の申請は諦めたのだった。よくよく考えれば、ラグヴァンはインド人である。
同じ米国の免許証からの書き換えでも、日本人のわたしが行うのと、インド人の彼が行うのとでは、手続きの煩雑さが異なって当然であった。
やっぱり、インドは、侮れないのである。わかっていたのに、打ちのめされてRTOをあとにしたのだった。つまり、無駄足であった。
「ミホ。正攻法でいこうとしても、インドじゃダメだよ。僕なんて、運転したこともないのに、パパの知り合いから免許証を出してもらったって、いったでしょ? インドってそんな国なんだよ」
「そんな考えだから、ダメなのよ! 第一それは、昔の話でしょ。今はそういう方法は通用しないって聞いたわよ。それに、あなたはちゃんと運転の練習をしていなかったから、結局アメリカで苦労したじゃないのよ!」
「まあまあ、むきにならないで。RTOに一度足を運んだだけで、もう十分だよ。よくやったと思うよ。パパに聞いてみようか?」
「いいです! だいたいパパはデリーだし、そっちに資料を送ったりする方が面倒でしょ。わたしは今度、ムンバイで挑戦してみるから。ただし、代行業者を使うよ。自分で一からやるのは難しそうだから」
車を購入したこともあり、マニュアル車の運転を思い出すべく、ドライヴィングスクールに通うことを思いついた。たとえここがインドであれ、自分の車を運転したいものである。
海外での運転も、米国ならばオートマ車が主流だが、欧州はマニュアルが主流だ。米国時代、欧州を旅して車を借りるたび、オートマ車の確保が面倒だったことを思い出す。
今後は欧州旅行も増やしたいし、マニュアル車が運転できれば、どの街ででも気軽に車を借りられる。
ドライヴィングスクールに通えば、免許証取得の手続きもしてくれるに違いない。調べたところ、わが家から徒歩5分の場所に、"GOOD LUCK DRIVING SCHOOL"という、取り敢えず名前だけは縁起の良さそうな学校を見つけた。
早速、赴いた。
通りに面した、小さな事務所である。
そこに男性が二人座っていた。ひとりがオーナーのようでもある。彼が適切にアドヴァイスしてくれたところによると、まずはラーナーズ・パーミット(仮免許証)を取ってから、運転の練習ができるのだという。
他都市はどうだか知らないが、ムンバイやバンガロールでは、「教習所内で練習」というのがなく、いきなり「路上」である。だからこそ、仮免許証が必要なのであろう。
ただしわたしの場合は、すでに米国の免許証があるから、試験なしで運転免許証を取得できるという。バンガロールのRTOとは話が違う。こちらの方が楽そうだ。
必要書類をそろえて水曜か木曜の朝10時にこのオフィスに来れば、彼らがRTOに連れて行ってくれ、手続きのコーディネートをしてくれるらしい。
必要書類は
・米国の運転免許証とそのコピー
・パスポートとそのコピー
・PIOカードとそのコピー
・レジデンシャル・パーミット(居住許可証)とそのコピー
・パスポート用写真3枚
・手数料1000ルピー
だとのこと。この最後の「手数料1000ルピー」が肝である。インドにしては、高いといえば高い。一部が「袖の下」になるのかもしれぬ。領収証を発行してくれなかったので、多分そうだろう。でも、それでもよい。速やかに取得できるのであれば。
上記の書類に加え、夫のPAN (Permanent Account Number) カードや結婚証明書、住所を証明できる電話代の請求書なども念のために持参することにした。
夕べ、夕食のテーブルで、夫に言った。
「明日の朝、RTOに行ってくるから。ドライヴィングスクールが送ってくれるんだって。どんな車かなあ。囚人が乗る護送車みたいのだったりして!」
などと冗談半分に語りつつ、面倒だと思いながらも、実は興味津々である。
さて翌朝。
グッドラックなドライヴィングスクールのオフィスで、資料を提出し、申請書類を用意してもらったあと、他の2名の申請者とともに、小さなおんぼろの車に乗り込む。
ひょっとすると、男女は別々の車に乗せてくれるのかもしれない。
目的地は近所のフォートだと思い込んでいたかが、ムンバイ・セントラル。かなり遠い。30分以上はかかる距離だ。
こんなことなら自分の車であとからついていけばよかったと思うが仕方ない。
車の乗り心地の悪さは仕方がない。問題は運転手だ。彼は実は「教習生」なのだった。
「路上練習」を兼ねてのRTO行きらしい。経済的であり、一石二鳥である。が、同時にたいへんスリリングである。
助手席に座る教官が、時折ステアリングを調整したり、ホーンを横からガンガン鳴らしたりして、道路を「縫うように」車を走らせる。
免許を取る前から、こんなにもホーンを鳴らす癖がついていたのでは、話にならんではないかと思うが、わたしの出る幕ではない。
というか、わたしはここで本当に、教習を受ける気でいるのだろうか。我がことながら、定かではない気分だ。
そして到着したのが、上の大きな写真である。門構えは無闇に立派なのだが、門をくぐると、広大な敷地の周辺に平屋の建築物が横たわるばかりの、つかみ所のない光景である。
ひとりで来たら、玉砕していたこと必至の雰囲気だ。
バンガロールであれ、ムンバイであれ、インドとは、どこでも、どこまでも、インドであるなとの思いを新たにする。
なんの表示も案内もなく、ただ男たちがわさわさといる場所で、GOOD LUCKの兄さんがいないことには、手も足も出ないムードである。
兄さんに導かれるまま、ある窓口で資料を申請し、そのあと、グラウンドを横切って別の棟へと歩く。
兄さん曰く、午後になると、このグラウンドは車で埋め尽くされ、大勢の人たちが押し掛けて来てたいへんだから、午前中の申請の方がよいのだとのこと。
兄さんが連れて行ってくれたオフィスには、ベージュのユニフォームに身を包んだ、貫禄のある年配のポリスオフィサーが座っていた。
机を隔てて対座し、書類のコピーとオリジナルを提示する。悪いことをしているわけではないのに、なにやら緊張する。
当然ながら資料に問題はなく、しかし、結婚証明書を見せてくれと言われた。やっぱり持参しておいてよかった。数分もかからず、資料にサインをして、受理してくれた。
その後、再びグラウンドを横切って、別の棟へ行き、写真撮影と指紋の押捺。
オフィスそのものは、限りなく古く「掘建て小屋」の感ありだが、システム自体は米国と同様。コンピュータに接続されたカメラで撮影し、やはり機械で読み取るタイプの指紋撮影とサインの記入。これも数分で終了した。
周辺の殺伐とした雰囲気に気圧されて、長い時間を過ごしたような錯覚に陥っていたが、実のところ、30分以内ですべてが完了していた。
免許証は土曜日、GOOD LUCKのオフィスに取りにいけばよいとのこと。最後まで油断できないのがインドであるが、ここまで来れば、よほど問題が起こらない限り、取れないことはないだろう。
面倒そうで、実は結構速やかに進んだ、免許取得の旅であった。
なお、帰り道はわが家のドライヴァーに迎えに来てもらった。彼の車を待つ間、門の辺りで立っていたら……。
護送車発見!!
これこれ! このような自動車学校の車を、これまでもバンガロールやムンバイで見かけていたのだ。よかった〜、こんな車に乗せられなくて。
こんなのに乗せられた日には、罪を犯してもいないのに、罪人気分満喫である。ドナドナド〜ナ〜ド〜ナ〜……。
このようなトラクターによる送迎を行っているのは、安価で受講できる低所得者層向けの自動車学校なのであろう。
それを考えると、たとえおんぼろの車で「教習を兼ねていた」とはいえ、GOOD LUCKは1000ルピーも払わねばならないだけ、VIP待遇だといえよう。
なにをするにも、ドラマ性の高い国、インド。
土曜日、無事に免許証が手元に届くことを祈るばかりだ。