十日余りもあった関わらず、ひどく短く感じられた今回のバンガロール宅滞在。毎回「次回戻ったらやろう」と思っていたことを取りこぼしつつ、後ろ髪を引かれるような心持ちでムンバイへ向かう。
ムンバイで過ごす時間の方が長い昨今だが、家財道具の大半はバンガロールにあるわけで、なにも気候のよさだけではなく、日常生活を営む上でバンガロールの方が快適だ。
しかし、この先いつまで二都市生活を続けられるかわからないのだから、ムンバイでの日々も、大切に満喫せねばと思う。
庭に出ると、隣の敷地からせり出した、インド菩提樹(People Tree) の枯れ葉(枯れ枝)が落ちていた。すでに緑色の瑞々しさは損なわれ、しかし乾いた葉が傾き始めた日ざしを反射して、銅器のように渋く光る様が美しい。
いつものように白檀の線香を焚き、ガネイシャ像にお祈りをして、庭をしばらく散歩して、戸締まりを確認して、家を出る。
夕暮れの街を、空港を目指して走る。バンガロールの郊外は、高層の建築物などはまだ少なく、視界も広く、だから空も広い。来たときと同様、帰りもまた、雲の様子を眺めながら、車に揺られる。
書棚から、機内で読むための本を探す時、そうだと思い当たって、漱石の文庫本に目を走らせた。と、あった。新潮社文庫の『文鳥・夢十夜』。太宰に引き続き、今回は日本の純文学に接したい気分のようである。
時間の流れを考えて、「百年」が気になると、昨日もここに書いた。それだけではなく、明治時代、西欧化の一途をたどる日本の行く末に対して、懸念を隠さなかった漱石の思いが、ここしばらくのわたしの心にひっかかっている。
文章の中に、わたしの目の前に映っているインドの日常が、あまりにもその形は違うのだが、『夢十夜』の中にある世界観と、部分的にリンクしているように思える。
現代のインドの、ごく部分的なところにおいて、しかし見え隠れする、日本の、明治後期の有り様。
非常に抽象的なことなので、うまく説明できないのだが、いや、説明するのにはかなり説明が必要、なので、面倒で端折るのだが、ともあれ、機内で、読み返した。
なんとなく、それぞれの一部を、抜粋してみる。
■第一夜
「死んだら、埋めてください。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちてくる星の破片を墓標に置いてください。そうして墓の傍らに待っていてください。又逢いに来ますから」(中略)「百年待っていてください」と女は思い切た声で云った。「百年、私の墓の傍らに坐って待っていてください。きっと逢いに来ますから」
■第二夜
懸物が見える。行燈が見える。畳が見える。和尚の薬缶頭がありありと見える。鰐口を開いて嘲笑った声まで聞える。怪しからん坊主だ。どうしてもあの薬缶を首にしなくてはならん。悟ってやる。無だ、無だと舌の根で念じた。無だと云うのにやっぱり線香の香がした。何だ線香の癖に。
■第三夜
「御父さん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年だろう」成程文化五年辰年らしく思われた。
「お前がおれを殺したのは、今から丁度百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、いまから百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したという自覚が、忽然として頭の中に起こった。
■第四夜
やがて爺さんは、笛をぴたりとやめた。そうして、肩に掛けた箱の口を開けて、手ぬぐいの首を、ちょいとつまんで、ぽっと放り込んだ。「こうして置くと、箱の中で蛇になる。今に見せてやる。今に見せてやる」と言いながら、爺さんが真直に歩き出した。柳の下を抜けて、細い路を真直に降りて行った。
■第五夜
大将は篝火で自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。これはその頃の習慣で、捕虜にはだれでも一応はこう聞いたものである。生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服しないと云う事になる。自分は一言死ぬと答えた。
■第六夜
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。
■第七夜
自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。(中略)自分はどこへ行くんだか判らない船でも、やっぱり乗っている方がよかったと始めて悟りながら、しかもその悟りを利用する事ができずに、無限の後悔と恐怖とを抱いて黒い波の方へ静かに落ちて行った。
■第八夜
鏡には自分の顔が立派に映った。顔の後には窓が見えた。それから帳場格子が斜に見えた。格子の中には人がいなかった。窓の外を通る往来の人の腰から上がよく見えた。庄太郎が女を連れて通る。庄太郎はいつの間にかパナマの帽子を買って被っている。女もいつの間に拵らえたものやら。ちょっと解らない。
■第九夜
拝殿に括りつけられた子は、暗闇の中で、細帯の丈のゆるす限り、広縁の上を這い廻っている。そう云う時は母にとって、はなはだ楽な夜である。けれども縛った子にひいひい泣かれると、母は気が気でない。御百度の足が非常に早くなる。大変息が切れる。仕方のない時は、中途で拝殿へ上って来て、いろいろすかしておいて、また御百度を踏み直す事もある。こう云う風に、幾晩となく母が気を揉んで、夜の目も寝ずに心配していた父は、とくの昔に浪士のために殺されていたのである。こんな悲い話を、夢の中で母から聞いた。
■第十夜
庄太郎は必死の勇をふるって、豚の鼻頭を七日六晩叩いた。けれども、とうとう精根が尽きて、手が蒟蒻のように弱って、しまいに豚に舐められてしまった。そうして絶壁の上へ倒れた。健さんは、庄太郎の話をここまでして、だからあんまり女を見るのは善くないよと云った。自分ももっともだと思った。けれども健さんは庄太郎のパナマの帽子が貰いたいと云っていた。庄太郎は助かるまい。パナマは健さんのものだろう。
……、と引用してみて、どうするのだ。と思うのだが、なんとなく、この世界観を、今ここで改めて、受け止めておきたく。
さて、機内で読んでいる時、「もしや?」とひらめいて、巻末をめくった。
この『夢十夜』が記されてから、思えば百年がたっているのではなかろうか、と思ったのだ。
『夢十夜』「朝日新聞」、明治四十一年七月二十五日〜八月五日。とある。
明治四十一年。ざっと計算してみる。限りなく、百年前に近い。ムンバイ宅に戻り、インターネットで確認してみるに、明治41年は、果たして1908年であった。
101年前。
惜しい。
惜しいとはいえ、ほとんど百年。そうわかったらもう、殊更に、思うところ四方八方に広がり、感慨深い。