現在、17日の朝である。風は強いものの、久しぶりに、太陽の光が差し込んでいて、明るい。朝、野菜&フルーツのジュースを作り、朝食を食べ、それから掃除洗濯をして、シャワーを飲み、今一息ついたところだ。
そう。ここ数日、私は、家事をしているのである。というのも、メイドの身内にまたしても、ご不幸なのである。以下で簡単に触れるが、インドでは、ご不幸が日常茶飯事だ。
さて、今日もいろいろと書きたいことがあるのだが、思い出すまま、いくつかを。
●福岡、だもの。香椎高校のことなど。
山笠があるけん、博多たい!。山笠は、もう終わったのかもしれないが、ともかくは、山笠を境に、福岡には夏が来るらしい。
故郷を離れて20年余り。ここにきて、本当に福岡が近い。きっかけは、西日本新聞への連載や、ラジオ出演や、香椎高校で同窓会や講演など、あれこれあれど、それらが一気にやってきた、という感じがする。
ところで先日、香椎高校の服飾デザイン科の生徒たちに宛てて、着なくなったサリーを一着、送った。資料として使ってもらえればと思ったのだ。ブラウスやペチコートは、自分たちで作ってもらうよう頼んだ。
きっと彼女たちは、ウェブサイトなどを参考に、自分たちの好みの布で、好みのデザインのブラウスを作ってくれることだろう。
10月の香綾会総会(全卒業生を対象とした大同窓会)の、わたしたちが幹事の年であり、そもそもわたしは、その取りまとめをする評議員に選ばれていたということは、過去にも記した。
インド在住ゆえ、任務を遂行できず、そんなこんなで香椎高校と何度か連絡を取り合ったことから、創立記念日での講演を依頼されたのだった。
それをきっかけに、現在、実行委員として10月の準備に奔走してくれている友人らと、このごろしばしば、メールでのやりとりをしている。
昨日は、中学、高校と同じだった丸岡ちゃんからメールが届いた。香椎高校創立以来初めて、野球部の「県大会出場」が決まったらしい。めでたい!!
県大会。まだまだ先は長い感じがしないでもないが、しかし、うれしい話である。西日本新聞にも、ちゃんと載っていた!
あといくつ勝ったら全国大会に出られるのか、などといった詳細はよくわからんが、TVで見られるくらいまで、勝ち進んでほしい!! といっても、インドからじゃ見られんけど。
あ〜。それから、講演会を機に、このサイトを高校生も少なからず読んでくれているらしい。と思うと、あまり阿呆なことは書けんな、と思う。思うが一瞬のことである。
高校生には、たいていの大人は大人になっても大人のようではない、ということを、感じ取ってもらえればと思う。
●不幸続きの人々@使用人業界。
使用人業界。などとカジュアルな表現をしているが、つまりは使用人階層、低所得者層の人々のことである。彼らの大半は大家族で、そして、人がよく、死ぬ。
若くして死ぬ人が多いのには、それぞれに理由があろう。医療の問題。生活環境の問題。その他。交通事故で亡くなる人もとても多い。
工事現場などで1日100円、200円程度で働く、もっともっと収入が低い超低所得者層の人たちは、工事現場での事故で亡くなる人も多い。彼らの平均寿命は40歳程度、という話も以前書いた通りだ。
バンガロールのメイド、プレシラも、この2年半の間に、「ご不幸」が少なくとも4回はあった。彼らは自分たちの両親はもちろん、兄弟や姪、甥たち、従兄弟らも、ひとつの家族と捉え、支え合いながら生きている。
昨今の日本では、「遠すぎる」と思われる親戚さえも、近く、親しい。だから、亡くなったときは、もちろん休暇を取って、葬儀などの手伝いに出かける。
不意の欠勤(さぼり)に加え、冠婚葬祭による欠勤も多いインド。だからこそ、インド人富裕層は、リスク回避の目的で、無駄に複数の使用人を抱えている、ともいえる。
さて、ムンバイのメイドのヨギータ。彼女がうちに来て、まだ3カ月もたっていないが、その間に義父が亡くなり、そして今回また、誰かよくわからぬが、亡くなったらしく休んでいる。
仕方ないのである。
これを機に、自ら部屋の隅々を自分で掃除して、家の実態を把握しておくのもいいだろうと考え、汗を流しつつ、家事に勤しんでいる。
●夫、RTOで自動車運転免許を取得。インド人への怒り。
何でも「スケジュール前倒し」で物事を運ぶわたしは、「ぎりぎりで慌てる」のが嫌いである。だからこそ、米国(カリフォルニア)の運転免許証が今年の誕生日(8月31日)に切れるのに先駆けて、2月ごろ、インドの運転免許証を取っていたのだった。
そのときの経緯は、過去「インドの自動車運転免許証取得を巡る冒険。」と題して記録を残している。
さて、夫アルヴィンドの免許証も、8月9日で切れる。だからこそ、早く取りに行っておいた方がいいと、これまで幾度となく促して来た。
来週はバンガロール、再来週はデリーと、ムンバイ不在が予測されてようやく、「今、行かなければ!」と切羽詰まった彼、ぎりぎりになってしまったが、昨日、例のGOOD LUCKなドライヴィングスクールの斡旋で、取りに行ったのだった。
なんとか取得できたらしいが、帰宅するなり、案の定「インドへ対する文句たらたら」である。
わかる。あなたの気持ちはわかる。インドの、公的機関の、その、たとえようもなく、やっとられん雰囲気は、この形容しがたい、薄汚さと、粗雑さと、煩雑さと、贈賄的怪しさと、牢獄的ムードは、よくわかる。
しかも雨のせいで、土がぬかるみ、あのグラウンドがさぞかし歩きにくかっただろうとも予測できる。
しかし、帰ってくるなり「インド最悪!」とか、「インド人は、話にならん!」とか、「インド人にはうんざりだ!」とか、間断なく、インド人批判をするからうるさいったりゃありゃしない。
「さっきから黙って聞いてりゃインド人、インド人って言ってるあなたは、じゃあ何人よ?! あなただって、紛れもなく、その爪の先から頭のてっぺんまでインド人100%じゃないよ! そんなにインドに文句があるなら、アメリカでもどこにでも、帰るがいい!」
と喝を入れねばならない。
あれは2003年冬。わたしが「インドに住みたいかも」と思ったばかりに。そして2004年。「インド移住しようよ」と持ちかけ、2005年秋、逡巡する彼の背中を押すようにして、この国に来た我々。
あのときから、マルハン家においては、妻=「インド擁護派」、夫=「インド批判派」という役割が定められてしまい、その体制が今に至るまで継続されている。
わたしが現状に対してなにかひと言でも不満を口にしようものなら「美穂が来たくて来たんでしょ」と一蹴されるのである。そのくせ、自分は文句の言い放題。合点がいかん。
自分だって、最終的には、自分の意志で転職して、インドにまで来たというのに。まるでわたしに無理矢理、首根っこをつかまれてインドに連れてこられたかのような被害者的発言をするな、っちゅ〜もんである。
だいたい、インドに来てすでに3年以上もたっているのだ。考えを改めよという話だ。
……あら? わたしとしたことが、なにか、夫に対する愚痴めいたことを、公表しているかしらん。失礼いたしました。
いやはや、こんな話になってしまったのには、理由があったのだ。他に書きたいことがあったのだ。さっき、アクセス解析のところを見てたら、「インド人への怒り」をキーワードにここにたどり着いていた人がいたのである。ふふふ。なにがふふふだ。
インド人に対して、怒り炸裂な、ここを読んでくださっているあなたさま。お気持ちはわかります。が、日本とインドとは、世界の果てと果て。つまり究極に、異なる価値観のもとで動いている国だと思われます。
日本で培われた従来の価値観が、通用しないのが普通です。あなたさまのご事情はまったくわかりませんが、どうぞ心をお鎮めになられることを祈ります。
カテゴリーにある「プチ家作り」あたりをお読みいただくと、インドの常識がよくおわかりいただけるかと。怒りを分かち合えるかと存じます。
写真:みんな大好き、BRUN MASKA。甘いチャイに浸して食べよう@ヤズダニ・ベーカリー
●雨降る夕暮れ時、夫と出かけるムンバイの街角。美味パン
RTOから戻って来た夫と、夕方、フォート地区へ出かける。目的地は家電店、croma。夫はコンピュータを新調するのでその下調べ、わたしはビデオカメラを購入したいと思っていて、その下見である。
ついでにiPhoneも欲しい。しかし、文字の入力がしづらいのが難である。せめてBlackberryくらい入力しやすければいいのだが……。あれは慣れるものなのだろうか。
ビデオカメラは、選択肢が少なすぎる。しかし最近、映像でインドを捉えておきたいとの衝動がわき、どうしてもビデオカメラが欲しくなったのである。
この間、日本に帰国した時に調達すればよかったと思いつつ、まあ、初心者だから最低限の機能で練習を兼ねて、と考えようとも思う。ともあれ、今日のところは、保留である。
さて、cromaを出て、すぐ近くにあるYAZDANI BAKERYへパンを買いに赴く。これまでも幾度か紹介した、小汚いローカルのパン屋である。
こういう店はアルヴィンドが苦手だろうと思い、パンだけ買おうと思ったのだが、ハエが飛び交う店内に、しかし積極的に入店する彼。
パンの焼ける、そのいい匂いに誘われたようである。小腹の空いた夕暮れどき、その香りは、あまりにも甘美な誘惑である。
わたしの同意を得ることなく、さっさと席に座り、老齢の店主(2)と親しげに話し始めるアルヴィンド。この間、ハレルヤのコンサートで再会した店主(1)の、多分兄弟である。
「僕はここに来るの、初めてなんですけどね。妻はよく来てるみたいなんですよ。それにしても、いい匂いですね〜。何がお勧めですか?」
「あ、あの黒板に書いてあるブレッドプディングは?」
「売り切れですよ」
「あ〜。残念! アップルパイは?」
「それも売り切れ」
「う〜ん、残念! じゃあ、BRUN MASKAにします」
右の写真がそれである。
以前食べたとき、パンはおいしかったが、バター塗り過ぎ、だったので、バターを少なめに、と頼もうと思ったのだが、すでにBRUN MASKAはテーブルに。
なんのことはないパン。なのだが、これが表面はパリパリと、中はふんわりと、実においしいのだ。甘いチャイともよく合う。
アルヴィンドも気に入ったようである。夕食前だというのに、張り切って食べている。食べ過ぎだよ、と制しているのにもう一皿追加注文する始末。
この、イラン系インド人(パルシー)一家が経営する、古びたパン屋の、本当に、素朴で、なんのややこしい味わいもない、単に小麦粉とバターの香りだけの、シンプルな食べ物と、安い茶葉で作られた甘く濃厚なチャイが、どうしてこんなにも、おいしく感じるのだろう。
店員らが、手づかみでパンを握り、ハエは飛び、テーブルは汚れていたりもして、決して衛生的でもなく、なのに、この「そそられる感じ」の正体。
遠い昔、中国の蘇州の、汚れた食堂で食べた、大鍋で焼かれる、たこやきのような形の餃子のことを思い出した。あの店も、汚かったが、しかし、おいしかった。
BRUNと呼ばれるそのパン(バターなし)4個と、食パンを買った。食パンは厚切りにしてトーストしたかったので、切らないでと頼んで、そのままを買った。