今日、ようやく運び出しを終えた。南ムンバイの、カフパレードの、カサブランカという名の、このアパートメントで過ごす最後の夜だ。
荷造りと、荷解きとを、何度も何度も繰り返している。そもそも、流浪するように生きたいと思っていたのは自分だから、こういう人生も、思えば願い通りなのかもしれない。
ひとところに留まれば、落ち着かず、動き出せば、安定を望み、好き勝手なものである。ともあれ、自分の置かれている境遇を楽しめるだけ、幸せなことであろう。
引っ越し作業は、つつがなくすんだ。見積もりに来たお兄さんは「1日ですべて終わります」と言ったのだが、念のため2日にわけてもらったのは、やはり正解であった。
拙速するよりも、きちんと仕事をしてもらった方がよい。ランチのあとの、昼寝の時間もあった方がよい。
とお思いの方。上の写真を拡大して差し上げましょう。
引っ越し責任者のお兄さんが、「今日はここでランチを食べていいですか?」というので、どうぞと勧めたところ、床に段ボールを敷いて、各々ステンレスの弁当箱をカラカラ言わせながらランチを広げ、和気あいあいと食事をしていた。
と、急に静かになったな、と思ったら、みな仲良く寝転がって、お昼寝である。20分食事。40分昼寝。といったところか。いやはや。のどかなことである。
最近は、インドのこういうところがいいのだ。と思うようになった。こういう時間を見積もった上での、仕事に要する時間を計算せねばならないのだ。肉体労働だからこそ、きっちりと1時間の休憩が必要である。
彼らは一見、業務上の効率を考えていないように見える。二手に分かれて休憩を取るとか、時間を無駄にすまいとか、そういう発想がない。
たとえば一般の店舗でも、店内で店員が仲良く一緒に弁当を食べていることがある。店に入ろうとすると、15分後に来いという。かちんと来る。面倒だと思う。しかし彼らは、一人ずつ食べはしない。二人で一緒、がいいのだ。
それで楽しく働けているのなら、それはそれで、その方がいいのだろう。平和なのだろう。幸せなのだろう。
家具調度品があるうちに、記念撮影をしておけばよかったのだが、これが現状である。アパートメントに備えてあったテレビの台を机代わりに、今夜は床に座ってコンピュータに向かっている。笑点のごとき座布団(クッション)である。
ベッドはアパートメントに備え付けだったので、家具を運び出しても一晩ぐらいはここに住めるということで、ホテルに泊まることなく、最後までここで過ごすことにした。テレビも本も何もなく、コンピュータ&インターネットがあってよかったというものだ。
さて、そろそろ夫も帰ってくるころだ。夕食に出かけるとしよう。
■我らの瞳に乾杯。ムンバイ新居はカサブランカ (←2008/6/7の記録)
わたしたちがこのアパートメントの契約を結んだときが、ムンバイ史上最高の、不動産が高値の時期であった。あれから同時多発テロあり、リーマンショックあり、今は20%以上、安くなっている。なにやら、悔しい。
「漢詩・勧酒」干武陵
勧君金屈卮
満酌不須辞
花発多風雨
人生別離足
君に勧む、金屈卮(きんつくし)
満酌(まんしゃく)、辞するを須(もち)いず
花発(ひら)けば、風雨多く
人生、別離足(おお)し
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトエモアルゾ
サヨナラダケガ人生ダ(井伏鱒二訳)