わたしは、インドにおいて、合法的に仕事をし、収入を得ることができる。自分名義で不動産を購入することもできる。PIOカードを持っているからだ。
PIOカードとは、Persons of Indian Origin Cardのこと。
世界各地で生まれ育ったインド系移民らが、自分の起源であるところのインドに、自由に入国できるよう設けられたヴィザの一種で、遡って4世代以内がインド生まれであれば発行してもらえる。但し、パキスタン、バングラデシュの国籍保持者は除外。
インド系移民だけでなく、インド国籍保持者の伴侶も申請資格がある。条件の違いはあれ、米国における永住権、グリーンカードのようなものだ。
PIOカードがあれば、15年間自由にインドに出入りできるうえ、学校にも通えるし、仕事もできる。選挙権はないものの、不動産の購入も可能だ。
インド人との結婚を考えている人などから、わたしの国際結婚における、事務的な手続きに関するところの経緯を尋ねられることが少なくないので、ここで説明しておこうと思う。大まかな経緯は以下の通り。
●2001年6月30日:わたしと夫は、米国で結婚した。当時夫が暮らしていたヴァージニア州で、二人だけの式を挙げたあと、ヴァージニア州の役所に婚姻届を提出した。Miho Sakata Malhanとなるよう申請したが、受け取った書類に、その旨は特記されておらず、なぜかMiho Sakataのままである。
●2001年7月18日:インドのニューデリーで結婚式を挙げた。しかし、インドの役所へは、資料を提出していない。
●2001年8月:ニューヨークの日本領事館に赴き、米国での婚姻証明を提出し、わたしの「新しい戸籍」作成手続きをする。日本人同士であれば、夫婦が並んで記名されるが、外国人が伴侶の場合、「欄外」にその名が記される。なお、本名は坂田美穂のままで、変更していない。即ち「坂田マルハン美穂」とは、芸名、いやペンネームだともいえる。
●2005年1月、当時住んでいたワシントンD.C.のインド大使館でPIOカードを申請。米国での婚姻証明と、夫のパスポートの「妻」の欄に自分の名前があれば、申請できる。申請から約3週間後に、PIOカードを得た。上の写真の左端がそれである。
●2005年11月:インド移住。PIOカードは15年間有効だが、半年おきに国外に出るか、書類申請を行わねばならない。少なくとも半年に一度は海外に出ていたため、特に支障はなかったが、レジデンシャル・パーミットを取得していれば、半年間を超えても手続きなしで滞在できる。
●2008年9月:日本のパスポート更新に伴い、PIOカード記載変更が必要となり、ムンバイのF.R.R.O.(Foreigners Regional Registration Officer) へ。レジデンシャル・パーミット取得は強制されていないが、持っておいた方がいいとアドヴァイスされ、申請。一両日で発行完了。
わたしがインド移住を考え始めたのは2004年の初頭。それから幾度かインドを訪れる機会があったが、いちいち観光ヴィザを取得するのが面倒だった。なにか方法はないかとインド大使館のサイトで調べた結果、このPIOカードの存在を知り、申請したのだが、これはとっておいて正解だった。
米国在住時代は、就労ヴィザや永住権の取得で、「筆舌に尽くしがたい」思いをしてきた。
米国で一時、日系の出版社に勤務していたものの、フリーランスとして独立したかった。しかし異国では、然るべきステイタスなしに働くことなどできない。
不法滞在などは当然考えられず、従っては自分で起業し、その会社をスポンサーに自分にH1B1ヴィザ(一時就労ヴィザ)を出した。つまり「自給自足」である。
自分でいうが、これは、たやすくできることではない。人にもあまり、勧められない。取得のために東奔西走し、努力をしたが、同時にわたしは幸運であったとも思う。
その後も、就労ヴィザの期限が6年(3年目に一度再申請が必要)ということもあり、次なるヴィザ(ジャーナリスト・ヴィザ)の準備をするなど、移民法弁護士とは切っても切れない暮らしが続いた。
結果的には、アルヴィンドと結婚して、彼の永住権申請の最後の段階でわたしも共に申請し、つまりは「彼のおかげ」で永住権をとることができた。
「まさか、グリーンカードのために結婚したのか?」
と詮索されそうだが、グリーンカードの申請のタイミングを重視したのは事実だ。そのあたり、冷静に、且つ計画的に物事を進めていなければ、のちのちお互いが面倒なことになる。
国際結婚とは、当たり前だが、二つの異国に住む人間同士が、諸々のずれを調整しながらひとつの家庭を作り上げ、維持していくものである。そこには、文化や感情の問題だけでなく、向き合い、片付けねばならない法的な問題もある。
夫との結婚にあたり、ジャーナリスト・ヴィザの申請が不要となったため、手続きを中断したことから、数千ドルを無駄にしたが、それは不可避なことであった。
ちなみに米国で合法的に働くためにかかった費用は、結果的にかなりの額となった。その分、働いて収入を得ねばならず、際どい局面には幾度となく、立たされた。単身、海外で働くことは、簡単なことではない。
企業からの駐在員として異国で働く場合には、会社がスポンサーとなってくれるため、就労ヴィザの取得に関し、個人がステイタスを得るために手続きをする必要はない。しかし、個人となると話は別だ。
国によって移民法は異なるため、一概にはいえないが、個人で就労ヴィザを取得することは、投資家ヴィザなどを申請できる資金力でもない限り難しい。
なお、駐在員の配偶者も、基本的には仕事ができない。米国では、駐在員配偶者も申請をすれば就労許可がとれるようになったと数年前に耳にしたが、今はどうなっているかわからない。
おおよその国外では、夫の赴任に伴って来た妻は、その国で働くことができない。たとえば、バンガロールのOWC(外国人女性たちのクラブ)でも、働けずにストレスをためている外国人女性を時折見かける。
そのような人たちのために、欧米企業は、就労できない伴侶に対し、ヴォランティア活動を推奨している。それは非常に具体的で、どのような活動が望まれているかなどのリストを定期的に配布している企業もある。
また、企業そのものも、CSR:Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)を遂行しているところも多い。
上写真の右端は、ムンバイ(マハラシュトラ州)で取得した自動車の運転免許証だ。以前もここで記したが、米国の有効期限内の運転免許証を持っていれば、書類の提出だけで、インドの免許証を取得できる。
この免許証があれば、米国でも「国際免許証なしに」レンタカーを借り、運転することができる。つまり、インドスタンダードを、そのまま米国に持ち込めるわけで、個人的には便利なことであるが、
「ほんとうに、それでいいのか、アメリカ」
と、問いたくもなる。運転免許証取得に際しての記録は、以下に残している。