3月だ。今日はホーリーでもあった。去年のホーリーはデリー実家で、妖怪と化しながらも賑やかなときを過ごしたが、今年は静かに屋内で、粉をかけ合うこともなく過ごした。
夕暮れ時、マラバーヒル・クラブの近くにあるハンギングガーデンを歩く。ここからの夜景は麗しく、南ムンバイが一望のもと。「真珠の首飾り」と呼ばれるマリーン・ドライヴの弧を描く様子がまた、いい。
南ムンバイ南端のコラバやナリマンポイントへも、また北側のパレルやウォルリも、30分程度で赴ける。
ケンプスコーナーやネピアンシーロードはすぐそばだしで、このクラブに滞在できることは本当に大きな利点だと思える。
ちなみに左の写真は、クラブのレストランにて。
ランチをとろうとテーブルを選んだら、ネコが寝ていた。ソーシャルクラブとは、このような呑気な空気が漂う場所である。
それにしても、夜のハンギングガーデンは散歩に心地よい。カフパレードに住んでいた時にも、こうして夜の公園を歩いたが、海に面していたこともあり、湿度が高く、近所からの「漁村臭」が気になった。
しかし、ここは丘の上。少し高台にあるというだけで、風の通りが見事によく、空気が軽く感じる。無論、季節がよいのであろうが、それにしてもだ。
夕暮れ時はご近所さんが老若男女問わず、わさわさと歩いている。その中に、紛れて歩く。
「太陽がいっぱい」ならぬ「満月がいっぱい」などと思っていたら、本物の満月が紛れていてびっくり!
大きな大きな赤い月が、上っている最中であった。
夕闇の中につき、ぶれてしまってわかりにくいが、右上の高い位置にあるのが月である。
得も言われぬ、きれいな月であった。1時間ほど公園を散策した後、クラブに戻って夕食。今日のクラブはホーリーとあって、終日賑やかだった。
スナックの殻の上部に、親指で穴をあけ、具をつめて、スパイス入りの冷たいスープを注いで一口で食べる。
本来は露店などで食べる「ストリート食」だ。
これがなかなかに、美味なのである。
街角で、次から次に「わんこそば」のごとく口に運んでいる人が見られる。
但し、露店の場合「水が心配」なので、飲食店でのみ、食することにしている。
まあ、飲食店だからといって、浄水度は定かではなく、危険なところもあるかもしれんが、ともあれ。
■話題の映画、"MY NAME IS KHAN"を観た
日曜の夜、"MY NAME IS KHAN"を観に行った。主演はボリウッドの人気俳優、シャールク・カーン。9/11以降、米国在住のイスラム教徒、アラブ系の人々や、彼らに風貌が似ているインド人が受けた、いわれなき差別や迫害を巡っての物語。見に行く予定のある方は、以下は読まずにいたほうがよいかもしれない。
「わたしの名前はカーン。テロリストではない」
ムンバイで生まれ育った、アスペルガー症候群の主人公、リズワン・カーン(ハーン)。母を亡くしてのち、サンフランシスコに住む弟のもとにひきとられる。弟が経営する化粧品会社の営業を任された彼は、あるとき美容院でマンディラに出会い恋に落ちる。
シングルマザーの彼女と結婚した彼は、彼女の子どもとも親しくなり、平和な日々を過ごしていた。マンディラがヒンドゥー教徒であったことから、弟とは絶縁されたものの、その後、マンディラは自分の美容院を開き、彼はその手伝いをしながらの幸せな日々だった。
そんな最中、9/11の同時多発テロが起こる。「カーン」という典型的なイスラム教徒の名を受けた妻と子どもは、世間から嫌がらせを受けるなど窮地に立たされる。
そしてついには、子どもが暴力を受け、致命傷を負い、死に至る。マンディラはリズワンと結婚したことを悔やみ、彼に暴言を吐いてしまう。
それは、米国大統領に「わたしの名前はカーン。テロリストではない」と直訴するまで帰ってくるな、一人にしてくれ、というものだった。
マンディラにとっては、感情が高ぶっての発作的な暴言にすぎなかったが、アスペルガー症候群のリズワンはそれをストレートに受け止め、彼は大統領に出会うべく旅にでる。
主人公は好きな俳優だし、9/11を身近に経験し、伴う悲劇も目の当たりにして来ただけに、個人的には感情移入をしながら見られたのだが、しかしこれがインド在住のインド人にとって「楽しめる」あるいは「興味を持ってみられる」映画なのかといえば、疑問符である。
たとえば、ジュンパ・ラヒリの小説や、それをもとに作られた映画『その名にちなんで』などは、NRI (Non Resident Indian)、つまりインドに住んでいない、海外在住のインド人を描いたものであり、そこにはインド在住のインド人とはまったく別個のアイデンティティがある。
個人的には心引かれる世界だが、大衆的では決してない。
わたしは自分の夫を通して、また自分自身が海外に暮らしているものとして、身近に思いめぐらすことができるテーマだが、だからこそ、一方で「ドラマティック」を追求しすぎたきらいのある"MY NAME IS KHAN"には、鼻白むシーンも少なくなかった。
ボリウッド映画には、ついつい、突発的に始まる踊りや歌のシーンを期待してしまう。しかし、この映画においては、それらは排除されており、部分的にコミカルなシーンが挿入されているだけだ。しかし、それが中途半端に思えて、笑えない。
テーマ自体、メッセージ自体は、非常に意義深いものだし、共感を覚えるものばかりなのだが、上映時間3時間という長時間、パンチの効いたシーンがあまり思い出せないのが残念だ。
いっそ、"MUMBAI MERI JAAN"のように、シリアスに徹する方がよかったのではないかとさえ思う。そうなると、いよいよインドでは受けなくなってしまう可能性もあるだろうが。
などと偉そうに書いているが、実はダイアローグのほとんどがヒンディー語で、詳細を理解していないわたしである。なにを語るか、と言われそうだが、大まかな内容は理解できる。要所要所は、映画のあと、夫に説明をしてもらった。
ところで最近は、ボリウッド映画のポスターさえ、妙に「洗練」されていて、おとなしいイメージのものが多い。書体もあくがなく、ハリウッド映画なのかボリウッド映画なのか、瞬時には区別がつかない。
なにもかもが、そのような趨勢なのであろう。
■マラバーヒル界隈を散策する午後
数日前の午後、近所を歩いた。歩けば軽く汗ばみ、蒸し暑い季節は目前であることを予感させる。ムンバイ。建物を見るたびに思う。100年前は、どれほどきれいな街だったろうということを。
週末のマリーン・ドライヴは、人々の渦。車窓から眺めるとき、いつも思うのは、人々の美しさ。それは、顔立ちなどの細部ではなく、衣類の善し悪しでもなく、素の人間の「形」としての美しさだ。
手足が長く、背筋が伸び、すんなり、とした人々の多さ。生き物としての、美しい形を持った人々だな、と思わされる。それは非常に主観的な印象だったとしても。
さて、明日はバンガロールに戻る。戻るがまた、今月中旬はムンバイだ。バンガロール滞在の時間が長くなったとはいえ、今年もまた、二都市生活である。肝要なのは体調管理。
体調管理。といえば……。
このクラブの客室には、浴室に大きな全身鏡がある。毎晩、鏡に映し出される自らの「華麗さ」に、目眩がする。
といいたいところだが、「加齢さ」である。
容赦なく照りつける蛍光灯のもと、明らかにされる加齢。このごろは、あらゆる意味で、地球の引力が強くなっている気がしてならない。
最近は「軽めのヨガをたまにやる」程度だったが、きちんと真剣に、毎朝続けなければ、引力に引っ張られるがままだということを実感する。やれやれだ。
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