ようやくインドでも公開された『スラムドッグ・ミリオネア』を明日、見に行く。しかしその前に、先日もここで記した映画『MUMBAI MERI JAAN』についてを、記しておきたいと思う。
『MUMBAI MERI JAAN(ムンバイ・メリ・ジャーン)』。英訳すると"MUMBAI MY LIFE" という名の、ムンバイを舞台にしたこの映画。物語の軸になっているのは、2006年7月11日にムンバイを襲った列車連続爆破テロだ。
『MUMBAI MERI JAAN』は2008年8月に公開された。劇場へ見に行くタイミングを逸し、先日DVDを購入して鑑賞し、ムンバイの現状を巧みに表現してると深く感銘を受けた。
先ほど夫とともに再び観て、そのよさを再認識した。ムンバイをよく知らない人には、一度観ただけでは理解しにくい映画かもしれない。しかしながら、インドやムンバイに関心のある方には、ぜひ観ていただきたい映画だとも思う。
ボリウッド的な「歌って踊って」の要素は一切なく、テーマも重いが、ショッキングなシーンを抑え、心の機微を描いた、非常に冷徹な映画だと感じた。残念ながら日本では上映されていないようなので、ここであらすじを紹介しようと思う。
普段、映画について詳細を語ることはしないのだが、この映画については例外である。今後観る予定のある人は、内容がわかってしまうので、お読みにならない方がいいだろう。
映画を語るその前に、ひとこと。インドを語るとき、幾度となく使う言葉に「貧富の差」「階級やコミュニティの違い」「宗教の違い」「言語や生活習慣の違い」などが挙げられる。
しかしながら、「貧富の差」の実態を知らない相手に、その有り様を伝えることは簡単ではない。テロの背景にある「異教徒が共存する世界」についても、何がどのように共存しているのか、知らない人にとってはイメージするのは難しいだろう。
折しもオバマが大統領就任宣言で口にした。米国は、キリスト教徒とイスラム教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、そして無宗教の人々らから成る国であると。たとえばマンハッタンを闊歩しているとき、そのことを、少しは肌で感じることができるかもしれない。
しかし、「メルティング・ポット(人種のるつぼ)」と呼ばれるニューヨークのそれよりも、より多くの素材、そして濃厚な味付けで構成されているのが、ムンバイにおける「るつぼ」である。
このブログを久しく読んでいる人であれば、少しはイメージできるかもしれない。しかし、まったくインドを知らない人が、「異教徒が共存する世界」という言葉から、いったい何を想起するだろう。そのことを思ったとき、せめてこの映画についてを説明してみたいと思ったのだった。
2008年7月11日、ムンバイ市内を襲った列車連続爆破テロ。一等車ばかりが狙われたこのテロで、200名を超える人々が殺され、700名以上が負傷した。
ストーリーはこのテロを軸にした、境遇の異なる5人のムンバイカー(ムンバイ人)の日常を、巧みに編み込みながら展開される。5人のバックグラウンドの差異は、ムンバイの一部を象徴しているようでもある。
この映画は、ヒンディ語で作られているため、わたしは英語字幕に頼って見た。会話が早く、読むのが追いつかない箇所も多々あり、内容を完全に理解しているとはいえない。また、一部記憶違いなど、事実誤認があるかもしれぬ。
ともあれ、本筋を理解していただくに大きな影響はないだろうと判断の上で記しているので、細かな突っ込みはご容赦いただきたい。まずはそれぞれの登場人物のバックグラウンドについて説明する。
●ルパリ(ソーハ・アリ・カーン)
ムンバイのニュース番組のレポーター。若くて美しい、才色兼備の女性。市内高級アパートメントの高層階に、家族と暮らす富裕層の一人娘だ。ジャーナリストとしての矜持を持ち、現場からのレポートも歯切れがよく、社内でも彼女の仕事に対する評価は高い。
あるとき、自宅でフィアンセとともに、自分がレポートするニュースを見ていた。ある村で、夫を失った女性にマイクを向け「今のお気持ちはどうですか?」と尋ねる彼女に、フィアンセは、君は美しいし、レポートもうまい。しかし、不幸な人に向かって、どういう気持ちですか、と尋ねることには同意しかねるといったことを告げる。
ルパリは予想しなかった彼のコメントに動揺し、憤慨する。
●トゥカラム(パレーシュ・ラワル)
引退を目前にした警察官。汚職や闇取り引きの多いどろどろとした社会にあって、「事なかれ主義」を通して来た。不義を黙認し、トラブルを避けるようにしながら、任務をこなし、大した手柄もないまま35年が過ぎた。横柄で態度の大きい警察官が主流を占めるなか、しかし温厚で人当たりがよく、人柄に温かみがある。
しかし、彼の部下であり、ともにパトロールを続けている若手のスニールは、トゥカラムに敬意を表しながらも、その弱腰の姿勢を受け入れられない。スニールは、理想と現実の狭間でストレスをためつつも、愛妻とともに近々休暇を取って旅行に行くのを楽しみにしている。
●スレーシュ(ケイ・ケイ・メーナン)
敬虔なヒンドゥー教徒。中流層の下、低所得者層の上、といった位置づけか。コンピュータの販売業をしていたが、現在は失業中で、借金取りから督促を受ける日々だ。しかし特に働きもせず、なじみの食堂で仲間ら4人とつるんで過ごす日常を送っている。
ムスリム(イスラム教徒)を毛嫌いしている。
●トマス(イルファン・カーン)
自転車にポットやカップを載せて路傍で商売をする、ミルクコーヒー屋。一週間の収入が1200ルピー(2500円)ほどの低所得者であり、質素な家屋に妻と娘と3人で暮らす。仕事がないときも、自転車で市街をうろうろとしていることが多い。
あるとき、路肩のチャイ屋で高級車に乗る富裕層の若者に遭遇する。店主に対する横柄な態度をとるその若者は、会話をしている相手の話が気に入らないのか、高級機種の携帯電話を地面に叩き付け、自動車で踏みつぶして去る。その姿をチャイにビスケットを浸して食べつつ、呆気にとられて眺めるのだった。
●ニキル(R. マダヴァン)
国際的なソフトウエア会社に勤めるビジネスマン。そこそこに豊かな生活をしているが、環境問題に対して非常に真摯な姿勢を貫いており、自動車の排ガスは環境汚染に結びつくからと列車で通勤している。ちなみにインドにおいて、列車やバスなど公共の交通機関で通勤する富裕層は少ない。
ドアは開いたまま、満員時は乗客がぶら下がるようにしたまま移動する通勤電車は、主には中流層、低所得者層の移動手段である。ニキルは普段、若干料金が高い一等車の車両で通勤している。臨月の妻、両親とともに暮らしている。
7月11日午後6時過ぎ、ムンバイ市内と郊外を結ぶ南北に伸びる満員の通勤列車にて、わずか11分の間に7つの爆弾が次々に爆発、209名が死亡し、700人以上が重軽傷を負った。警察によれば、実行犯はラシュカレトイバ及びイスラム過激派組織であるSIMI (Students Islamic Movement of India) とのことである。
実際に起こったこのテロを主軸に、映画のストーリーは展開される。あくまでもフィクションだが、しかし非常に現実味を帯びた内容で、実際に彼らのような人物が存在していても、なんの不思議もないリアルさがある。
テロを機に、登場人物たちの身の上に、どのような変化が起こったかについてを、以下で紹介する。彼らの行動を巧みに交錯させながら、映画は流れていく。それは異なる色の糸できれいに織り上げられた一枚布のようでもある。
彼らの数日を追うことで、ムンバイの現状がいかなるものかが、伝わると思う。
●ルパリ:レポーターの彼女は、テロの直後、ずたずたに破壊された列車から死傷者が運び出される中、現場に駆けつけて果敢にレポートをする。その後、オフィスに戻ってボスや同僚とともに報道の戦略会議を開く。視聴者に対して、いかに興味深く"interesting"にレポートするかが決め手だと力説。
被害者の家族などを取材して、生前の写真などとともに、土曜夜9時半のプライムタイムに、センセーショナルに報道しようと、意気込む。
しかし、会議の途中、弟から何度も電話が入る。彼女のフィアンセが行方不明だという。フィアンセの写真を片手に、町中の病院を奔走する彼女。オフィスでの戦闘的な表情とは裏腹に、不安と恐怖とが入り交じり、緊張感に満ちている。
目に飛び込んでくるのは、手足を失った人々や、血だらけで廊下に放置された人々の姿……。
とある病院の前で、同僚のレポーターが現場からの報道を続けている。そこにボスから連絡が入り、「2分」だけでいいから、簡単に今の自分の状況を話してほしいと依頼される。いたたまれない気持ちでマイクに向かって心境を吐露する彼女。一刻も早く、フィアンセの消息を知りたいと告げる。
ようやく到着したのは、遺体収容所。身体がずたずたに引き裂かれ、身元の判明できない遺体が転がった薄暗い部屋に導かれた彼女。フィアンセが履いていたベージュのストライプ入りのスニーカーが目に飛び込んで来た。
覆われていた布がはがされる。付け根から下の「脚だけ」が、無惨にも転がっていた。崩れ落ちるルパリ。
深い嘆きに包まれた彼女は、外に出ることもなく数日を自宅で過ごす。涙が止めどなく流れ落ちる。ある午後、印刷屋から包みが届いた。ルパリとフィアンセの結婚式のための招待状カードだった。滂沱の涙を流す彼女。
茫然自失の日々を過ごしていたある日、ボスと同僚のレポーターが訪れる。家にこもっているばかりではなく、動き出さねばと励ますボス。しかし、真の用件は、彼女の身に起こったストーリーを、30分のドキュメンタリーとして報道させてほしいという依頼だった。
彼らの言葉を、うつろな精神状態で聞きながらも、プロとしての矜持もあるのか、承諾する彼女。後日、レポーターとカメラマンが、再び自宅を訪れて撮影は開始される。冒頭で、自己紹介と、今回のテロでフィアンセを失ったことなどを、ルパリ自身が説明するべくカメラに向かうが、うまく話せない。
何度も何度も撮り直される。20テイクを超えて、しかしついには泣き崩れ、「できない」と訴える。
その後、夜、母親がテレビを見ているとき、偶然、自分の娘のストーリーが番組になっているのを見つける。弟とルパリも気づき、母親とともに、無言で画面を見つめる。
二人が婚約式を行っている時の映像や、過去の写真、結婚式の招待状など、思い出のシーンが次々に映し出さる。そして、泣き崩れるルパリの映像が大写しに映し出される。
二人の写真が稲妻のように引き裂かれる映像などが流れるなど、非常にセンセーショナルに、しかもエンターテインメント性を帯びた語り口調とで紹介されていく。
これまで自分自身が行って来たことと、今、自分の身の上にふりかかった悲劇との狭間とで、言いようのない憤りと悲しみに襲われるルパリ……。
●トゥカラム:テロの直後、部下のスニールとともに市街をパトロールする。テロのために休暇が返上になったスニールは不機嫌で、テロ当日の夜にも営業をしていたバーのオーナーにも難癖をつける。
袖の下(賄賂の札束)を受け取ったものの、山分けを示唆するトゥカラムに首を横に振り、現金の受け取りを拒否する。
日常のストレスのうえに、テロが起こり、楽しみにしていた休暇もだめになり、さまざまな悲しみがこみ上げているスニールに、トゥカラムは、「制服を着たまま泣いちゃダメだ。泣くならトイレに行って泣きなさい」とやさしく諭す。
抵抗ができそうにない貧しい人たちには、ちょっとした不都合を見いだしただけで平気でビンタを食らわすスニール。感情的になりがちなスニールを、トゥカラムは戒めるが、「わたしはこれから35年間も、あなたのようではありたくない」と、暴言を吐いてしまう。そして二人は、それぞれに、うなだれる。
あるとき、深夜の車内で麻薬を吸っている若いカップルを見つけ、暴行を加えながら厳重注意するスニール。その青年の父親は有力な政治家だった。警察に怒鳴り込んでくる政治家。彼に頭が上がらない上司から、厳しくたしなめられるスニール。
またしても憤慨に打ち震えるスニールに、トゥカラムは過去のエピソードを話す。以前、ある男の所持品から大量のコカインを見つけたことがあった。しかし、それらは「砂糖だ」ということで処理された。なぜならその男が政治家だったからだ。
退職の数日前、同僚たちとお別れのランチを食べるトゥカラム。しかし隣席のスニールは相変わらず元気がない。「泣くのなら、トイレで泣きなさい」と諭すトゥカラム。トイレに立つスレーシュ。直後、トイレから銃声が轟く。
みなで体当たりをしてドアを開ければそこには、銃を抱えて座り込むスレーシュ。天井には穴があき、自殺は未遂に終わっていた。トゥカラムはスレーシュを抱きしめ、二人して、泣く。
●スレーシュ:テロの現場付近に居合わせた彼は、負傷者の救出に手を貸す。悲惨な現状を目の当たりにして、テロリストへの憎悪を深める。いきつけの食堂に出入りしている若いムスリムの男ユースフが、テロの当日から姿を見せなくなったことから、ユースフがテロに関わっているのではないかとの妄想を抱く。
ある夜、友人らとつるんでいたところ、ムスリムの老人が自転車で通りかかる。「おまえの鞄に入っているものは、爆弾か?」と、酒を片手に絡むスレーシュ。老人は鞄の中の「パン」をスレーシュに見せる。しかしそのパンを食べながらも、しつこく絡みつづけるスレーシュ。
そこに二人の警官、バイクに乗ったスニールと、後部座席に乗ったトゥカラムが現れる。事情を聴取するトゥカラムに対して悪態をつき、突き飛ばして倒してしまう。激怒するスニール。仲間たちと逃げるスレーシュ。
仲間たちからは、お前の妄想だと諭されても、ユースフを疑うスレーシュ。彼の自宅を見つけ出し、友だちのふりをして母親に彼の消息を尋ねる。
ある日、街角でユースフを見つけた彼は、バイクに乗る彼を、やはりバイクで追跡する。ユースフは黒衣(アバヤ)に身を包んだガールフレンドと、ハジアリ(イスラム寺院)でデートをしているだけだった。
そのハジアリで、コンピュータ販売の仕事をする知り合いに偶然会い、セールスの仕事に興味があるならすぐに連絡をしてくれと名刺を渡される。友人から「仕事が見つかってよかったじゃないか」と言われるが、「ムスリムと仕事をする気はない」と吐き捨てるように言う。
●ニキル:友人と共に列車に乗ろうとしたところ、ホームで顔見知りのセールスマンが声をかけてきた。煩わしく思いつつも彼の巧みな誘いにのって、話を聞くことになる。友人はいつものように1等車に乗り込んだが、ニキルはセールスマンが2等車の切符しか持っていないことから2等車に乗る。
列車が動き始めてほどなくして、1等車が爆破される。血みどろの現場で、呆然と線路に座り込むニキル。
帰宅後、心配症で臨月の妻にはもちろん、両親にも、自分が爆破された列車に乗っていたことを告げることができない。それからというもの、事故のシーンが何度も脳裏をよぎって不安にさいなまれる。
1等車に乗っていた友人は、命はとりとめたものの、右腕を失っていた。見舞い先の病院で、慟哭する友人を前に、呆然とするニキル。以来、列車に乗ることがままならず、タクシーを利用し始める。
街を歩いていても、どこかに爆弾が落ちているのではないかと過度に恐怖感に囚われ、悪夢を見る。いたたまれなくなり、診療所を訪れたところ、女性のサイコロジストから「恐怖感を抱くことは、決して珍しいことではない」と言われる。
また、テロの経験を誰かに話したのか、と尋ねられる。自分の中に恐怖を抱え込んでいるニキルに対して、ドクターは「恐れることは、いけないことではないのよ」とやさしく諭す。
一時帰国している米国在住の友人夫婦からは、米国に移住するべきだと何度も誘われる。今すぐ引っ越して、アメリカで出産すれば、子供はアメリカの国籍を取れるよ、とも言う。たまにインドが恋しくなるけれど、アメリカの暮らしはすばらしいと力説する彼ら。
車を買うことに対しても、米国へ移ることも対しても、心が揺れはじめている。
●トマス:テロ後のある日、新品の白いパンツに黄色いシャツという一張羅の服を身に付け、やはり美しいサリーをきた妻と、着飾らせた娘を連れて、ショッピングモールへと赴く。
モールを初めて訪れる妻と娘は、エスカレータに乗るのも初めてで、うまく乗ることができない。自分たちの貧しい暮らしとは異なる世界に戸惑いながらも、妻と娘は大喜びだ。
トマスは彼女らを香水売り場に連れて行く。たくさん並んだ試供品をふりかけて、いい匂いだろうと家族にも試させる。はしゃいでいるところに、店員がやってきて、買うつもりはあるのかとトマスに詰め寄る。トマスはしばしばここを訪れて試供品を使っていたことから、店員に目をつけられていた。
1本の香水が10,000ルピー(約2万円)を超えることを知って愕然とする夫婦。「誰も買わないでしょ?」と問うトマスに、「みんな買っている!」と断言する店員。店員はマネージャーを呼び、マネージャーは警備員を呼び、無理矢理モールの外へつまみ出される家族。
泣き叫ぶ娘。激しい屈辱を覚え、やり場のない怒りに襲われるトマス。
モールへの憎悪、富裕層への恨みを静かに募らせたトマスは、それから数日に亘って、警察に電話をかけ、あちこちのショッピングモールの「爆弾予告」を始める。電話をした数分後、ショッピングモールから大勢の人々が慌てふためいて逃げる様子を見て、世界を撹拌しているのは自分だとの思いで、愉快さをかみしめる。
しかしあるとき、爆破予告をしたモールで人々が逃げ惑う様子を見ていたとき、心臓発作で倒れ込む老人とその娘の姿を見て、我に返る。タクシーで病院に向かう彼らを自転車で追いかける。
誰かの命を奪うところだったという事実に、自分の愚行を思い知り、自責の念にかられるトマス。病院を訪れ、老人の容態を確認するなど、気に留めずにはいられない。
やがてテロから1週間が過ぎた。テロ以前とは多かれ少なかれ、異なる心境に置かれている人々。登場人物のエピソードを通して、ムンバイが抱えている「問題点」が浮き彫りにされて来た。そのことについても、それぞれに箇条書きで記したい。
●ルパリ:家に閉じこもり、悲嘆に暮れる日々だが、テロから一週間後、街に出る。呆然とした思いで街を徘徊する。
と、突然、サイレンが鳴り、町中の動きが止まった。1週間前の同時刻に起こったテロの死者を追悼するための、2分間の黙祷を促すサイレンだった。
街角でレポートするTVクルーの姿から目を背ける。静止する街に、一人たたずむルパリ。
・テロの様子を、エンターテインメント的に報道するメディアの在り方。
・被害者の心に土足で踏み込むような、配慮のない取材態勢など。
●トゥカラム:退職の前夜、路上でスレーシュを見つける。突き飛ばされたことをとがめるのではなく、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の、延々と続く終わりなき諍いの不毛さを、押し付けることなく、淡々と説く。
互いを憎しみ続けているのでは、永遠に戦いは終わらないと。
そして退職の日。同僚たちの前で、自分の警官人生を振り返ってのスピーチをする。背後には、自殺未遂のあと姿を見せていなかったスニールが、私服姿で、彼の話を聞いていた。
オフィスを出る間際、スニールを認めて抱擁するトゥカラム。感極まって泣き出す二人。スニールに、「許してくれ」と泣きながら言うトゥカラム。その直後、出口へ向かう廊下で、1週間前のテロの死者を悼むべく、動きを止める。
・汚職、賄賂など、諸悪が横行する政界、公務員(警察、役所)の実態。
・理想と現実の狭間で苦悩し、やがては悪に染まりゆく人々の心。
・非暴力で、人の心を動かすことの重み。
●スレーシュ:突き飛ばした警官、トゥカラムから、責められるのではなく、不毛な諍いをするべきではないと諭され、頑にイスラム教徒を毛嫌いしていた心が氷解しはじめる。
ハジアリで出会ったムスリムのコンピュータ会社に赴き、仕事をもらう。前金としてまとまったお金を受け取ったことで、借金の返済もできた。
いつも出入りしている食堂への「つけ」も返し、給仕の少年にチップを渡す精神的な余裕も生まれていた。
食堂で作業をしていたら、隣のテーブルに自分がテロ犯だと思い込んでいたユースフが座る。顔をそむけるスレーシュに対し、親しげに「マッチを貸してくれ」と声をかけるユースフ。フレンドリーなユースフは、自分と彼のためチャイを二つ注文する。
世間話を始めた二人。自分がいかに偏見に基づいた行動をとっていたかを認識するスレーシュ。やがていつもの仲間もやってきて、二人が親しげに話していることに驚くが、しかしあくまでも自然に、5人は打ち解けて話を始めるのだった。
1週間前のテロの同時刻、食堂に居合わせた人々は、みな起立して黙祷する。
・異なる宗教間に起こる不毛で無駄な諍い。
・思い込みの恐ろしさ。
●ニキル:テロから一週間後、オフィスで仕事をしているところに、妻が出産間近だとの連絡が入る。病院へ行こうとタクシーを捕まえるが、渋滞がひどくて1時間半はかかるという。電車の方が早いと勧められて駅に向かうが、テロ以来、列車には乗れなくなっていた。
しかし、不安を押し殺し、必死の思いで列車に乗り込む。途中で突然、列車が止まった。驚いて他の乗客に声をかければ、「1週間前の、今、テロが起こったのだ。死者に黙祷を捧げるため、列車は停止した」と言われる。
しんと静まり返った列車のなかで、人々の顔を静かに見回しながら、さまざまな情念が去来する。涙をこぼしながらも、やさしみと安堵のほほえみが浮かぶ。
・著しく汚染されている環境に対する警告。
・テロのあとに襲いかかる、精神的なダメージ。
・米国(先進諸国)へ移住するインド人の心理。
・過度の恐怖心にさいなまれることの不毛さ。
・苦しみを誰かに吐露することの必要性。
●トマス:心臓発作を起こした老人のことが頭から離れない。再び自転車で病院を訪れたところ、ちょうど退院するところだった。
病院の前で、しかしなかなかタクシーを見つけられない老人とその娘に、タクシードライヴァーを呼んで、「あなたのタクシーです。どうぞ乗ってください」と促す。大急ぎで、露店の花屋で買った一輪のバラの花を、窓から老人に向けて差し出す。
ほっとする思いで自転車をこぎながら街を行くと、警官に呼び止められる。事情がわからずに、ひたすら謝罪するトマス。しかし、ポリスは「静かにしろ」と言うばかり。落ち着いて周囲を見れば、みなが動きを止めて、テロの被害者に向けての黙祷しているのだった。
・著しい貧富の差。貧しい人々の暮らしぶり。
・富裕層の、一部若者の、スポイルされた態度。
・近年次々に誕生しているショッピングモールへ訪れる低所得者層の実情。
・爆破予告など、愉快犯の存在。
……ずいぶんと、長くなった。
なお、この映画では、登場人物が心情を語るシーンはほとんどない。表情や様子で、心の動きが表現されている。
すなわち、ここに記している登場人物の心情は、あくまでもわかりやすく内容をお伝えするために、わたしなりの解釈で記したもので、それが真実かどうかは、不確かだ。
ともあれ、ムンバイのイメージの断片を、掴んでいただけたらと思う。