■歩く姿の麗しき人々。
ムンバイの空港へと赴く途中、いつものようにマリン・ドライヴを通過する。そしていつものように見入る。歩く人々の、その美しい形に。
もう、幾度となくわたしの写真のなかには、そのような人々が写り込んでいるから、きっと同じように思っている読者の方もいらっしゃるだろう。
ムンバイの汚れた街の、喧噪の、混沌を、写真におさめて、たとえ衣類は薄汚れていてみすぼらしくても、しかし「きれい」に見えるのは、人間の形がきれいだからではないか、といつも思うのだ。
すんなりと背筋を伸ばして歩く。輝く瞳と白い歯と笑顔。しなやかに伸びる長い手足……。
きれいな姿を思うとき、脳裏をよぎる鮮明な記憶がある。マンハッタンに住んでいたころだ。
恥ずかしながら、一時期「バレエ」をやっていた。すぐ近所にアルヴィン・エイリー (Alvin Ailey) のバレエスクールがあったのだ。
幼いころから憧れていたバレエを、ちょっとだけでもたしなんでみたいとビギナーズクラスに入った。しかし、たとえビギナーズクラスとはいえ、そこは畏れ多くもアルヴィン・エイリーである。
レッスン自体は、下手は下手なリに楽しんでいた。先生も寛大に付き合ってくれていた。しかし、周囲の人々が、あまりにも、美し過ぎた。
ダンスの素養はあるが、クラシックバレエは初めてだという人も少なくなく、すでに体型が美しく鍛えられた人が主だったのだ。
いつも隣に立っていた、黒人のお兄さんの、その引き締まった身体。言葉ではうまく表現できないが、とても同じ人間とは思えない、 別の生物のようであった。
大きな鏡に映し出される自分の姿(米国時代のわたしは今よりもよりデブだった)と周囲の姿。根本的に、骨格が違う。手足の長さ、関節の長さ、なにもかもが、違う。
自意識過剰と言うなかれ、結局は、自分の姿を鏡を見るのが苦痛になって、やめてしまったのだった。
生き物としての見た目の美しさ、バランスの良さ。その基準は人それぞれであろうが、ともあれ、きれいな身体の形をしている人は、それだけで芸術品のようであるとさえ思う。麗しきものである。
■延々と続く80㌔の標識たちよ。
夜のバンガロール空港。到着して、荷物の受け取りへ向かう途中の通路が、これまでに比べると、ずっと明るくてまばゆい。クオリティの高い巨大な広告が、あちこちの壁を埋め尽くしている。
見れば、JCDecaux製の看板だ。つい昨年までの、あのおんぼろな空港の有様からは想像できない躍進ぶりである。バンガロールについているのに、別の国に来たかのような錯覚を覚える。
その錯覚からも、空港を出ればすぐに覚めるのではあるが。
空港の外にも、いくつかの大きな広告用看板が見られる。くっきりと大きなシャールク・カーンの笑顔が視界に飛び込んでくる。
市街へ続くハイウェイ(と呼ぶには抵抗のある道路)に乗る。これまで幾度となく「道路標識がなくて、ドライヴァーがぶっ飛ばすから危険」と記して来たが、なんと今回、制限速度の標識ができていた。
80キロ。の標識が、次から次へと目に飛び込んでくる。いやいや、そんなに立てなくてもいいだろう、というほどに、数秒おきに目に入ってくる。
更には、集落界隈の込み入った辺りでさえ、80キロである。途中の、減速を促す凸がある部分さえ、80キロである。嗚呼。どうしてこうも、詰めが甘いのだ!
このあたりはどうみても、60キロ、いや40キロにするべきだろう。無駄に張り切って「80」を大量に作ってどうする! 白いペンキを持って来て、一部「8」を「6」に書き換えたい衝動に駆られる。
わかっている。つい十年ほど前は、車がほとんど走ることのなかった、信号すらろくになかった、呑気な呑気な高原都市だったのだ。今からぼちぼち、試行錯誤を繰り返して、整えられて行くのだ。
気長につきあって行こうと思う。
■サティヤムは例外なのか。信じがたい「真実」と、撹拌されるインド経済。
経済学や経済問題に明るくないわたしが、インド経済についてコメントするのは憚られるが、しかし素人として、素人なりの印象を、ここに記しておきたいと思う。
米国が史上稀に見る経済危機に瀕している昨今、インド経済が影響を受けないはずがない。特に輸出に頼っている業界の打撃は大きいだろう。
しかし現在、米国との関わりとはまた別の、個人(あるいは数名)の暴挙(愚行)によって、大企業が窮地に立たされている例が、インドにある。
先日ここでも取り上げた、インド第4のIT企業、サティアムの粉飾決算(←文字をクリック)の話だ。
日本ではあまりにも、報道されなさ過ぎていることに驚くばかりだが(というか、予想通りのことであるが)、これはインド経済の暗部をあまりにも浮き彫りにしたニュースだといえる。
サンスクリット語で「真実」を意味するところのサティヤム。
CEOのラマリンガ・ラジュ (B. Ramalinga Raju)による、過去何年にもに遡る粉飾決算の事実が記された書簡が、ボードメンバーらに届いたのは1月7日のことだ。
粉飾決算の総額は、およそ10億ドル。約1兆円である。自身の帳簿操作により、2008年第2期(7-9月)の収益を76%(Rs. 649 croreをRs. 2,700croreに改ざん)、利益を97%(Rs. 61croreをRs. 2,112に改ざん)、「かさあげ」していたとのこと。
唖然とさせられる、猛烈な金額の、猛烈な改ざんぶりである。このような偽の決算書作成を、これまで何年もに亘って続けて来たとのことである。それでよく、会社の運営が行われていたと、むしろ感心してしまう。
書簡には、
「自分及びマネージングディレクターらは、過去8年、一度も自社株を売却していない」
「自分及びマネージングディレクターらは、1ルピーとも横領してはいない」
「すべてはわたしの判断で行ったことで、家族やボードメンバーらはまったく知らないことである」
「(粉飾決算を行い続ける日々は)まるで虎に乗っているようだった。殺されずに降りる方法がわからなかった」
「ごく数名の社員からスタートし、53,000人の従業員を抱える現在、Fourtuneの優良企業500の185に選ばれるまでになっていた」
「法の裁きを受ける準備はできている」
……。
「虎に乗っているようだった」というたとえはうまいと思ったが、感心している場合ではない。どこをどう読んでも嘘っぽかった。そしてそれがそのとおり、嘘で塗り固められていたということが、日々、明るみに出ている。
インドの新聞で、現在サティヤムの文字を見ない日はない。
書簡が明らかになって直後、株価は急落し、数日間雲隠れしていたCEOのラジュやCFOらが逮捕され、数日後、サティヤムを救済すべく、外部から新しいボードメンバーが選ばれた。わたしたちも面識のあるHDFC銀行の元CEOディーパック・パレックもその一人だ。
これから、どれほどの難問を対処して行かねばならないのか、その処理と対応の過酷さを思う。
ちなみにサティヤムは優良企業として、国内のみならず、海外からの評価も高かった。
ボードメンバーには米国の名門ビジネススクールの経済学教授もいた。アルヴィンドがインド移住前後に勤めていたヴェンチャーキャピタルファームのボス、ヴィノド・ダム(ペンティアムのチップ開発者。通称「ペンティアムの父」)もいた。その他、著名なビジネスマンらが、名を連ねていた。
夫の同僚が、事件の1週間前にラジュとミーティングを行ったとのことだが、1時間の打ち合わせ時間しかなかったにも関わらず、ラジュは45分もの間、いかに自分の会社が優良で信頼のおける国際的な会社かということを、滔々と語り続けていたのだという。
しかしながら、ラジュが逮捕され、事情が明るみになるにつれ、当然ながらどう考えても彼一人では行いきれない「汚職の極み」が露呈し始めて来た。
ひとつひとつを報告する根性はないが、今日のニュースは極めつけだった。
53,000人とされていた従業員のうち、13,000人は、「幽霊社員」つまり、存在しないというのだ!
実は、社員は4万人なのだという。どういうことなのか、にわかには理解しがたい。
4万人とは別に、13,000人の社員が存在すると見せかけ、就労のためのさまざまな便宜を整え、銀行口座に給与を振り込んでいたということである。
振り込まれた給与の使途先などについては、まだ解明されていないようだが、それにしてもだ。13,000人の虚構のデータを作ることの、その労力と言ったらもう、想像するだに、想像できない。
PANカード(Permanent Account Number Card: 所得税申請に必要。米国のソーシャルセキュリティカードのようなもの)の発行手続きや、銀行口座の開設など、実在しない人物の書類を作成し申請することが、どれほどたいへんなことか。
だいたい、実在する人間の書類申請だけでも面倒でややこしい国なのだ。
13,000人分の「名前」を考えるだけでも気が遠くなる。尤もそんなものは考えなくても、コンピュータが適当に作ってくれるのだろうけれど。
ともかく、訳が分からん。こんな面倒なことにエネルギーを注ぐなら、まっとうな金儲けの方法を考えた方がよほど早いんじゃないかとさえ思う。
絶対に、各方面で買収されるなど「グルになっている人」が無数に存在するはずだ。さもなくば、13,000人のデータを管理できようはずがない。
インドとは、悲しいかな、未だ「贈賄がさかんな国」である。特に国営機関の腐敗ぶりはすさまじい。そのあたりを理解せずにこの国でビジネスをするのは、非常にリスクが高い。なにが正攻法なのか、そもそもの基準が違うのだから。
さまざまな海外企業が、まずは現地の企業との合弁会社からスタートするのは、そのあたりの塩梅を推し量るためでもあるだろう。「グローバル・スタンダード」と「インド・スタンダード」は、著しく乖離している。
ともあれラジュは、不動産業界への進出(執着)も著しく、拠点であるハイダラバードでは、各方面で贈賄、買収などが行われていたのではないかと察せられる。
今日、夫は某企業のボードミーティングに参加し、CEO以下、他の投資家の人々と話をする中、この話題が当然のように出たという。
その場にいた人々の素朴な疑問として発生したのは、
「そんなに苦しい思いをしてまで、莫大なお金を欲して、どうするだ?」
ということだったらしい。
そもそも、ラジュは裕福なのである。お金はたっぷりあるし、富も名声もすでにある。にも関わらず、1兆円ものお金でもって、なにをどうしようとしていたのだろう。
思えば過去、何度も書こうとしてきた「お金について」のこと。そして「なぜインドにきたのか」ということについてを、書かないままできた。これはどうしても、書いておきたいことなのだが、誤解なく他者に伝えるのが難しい。
米国で目の当たりにした、インドとはまた異なるタイプの、すさまじいまでの貧富の差。ごく限られた人間の、あまりにもの「暴利の貪り方」。それが実現できる資本主義社会の構造。
地道に働いて、地道に収入を得て来たわたしにとって、どうしても受け入れられない環境を、間接的に目の当たりにしてきた。夫の仕事に敬意を抱いてはいたが、しかし、彼を取り巻く人々と、その傾向については、疑問を禁じ得ないことが少なくなかった。
このまま米国にいては、わたしたちは、よくない。そう直感した。だからといって、インドがよいというのではない。ただ、新しい場所で、新しい世界に身を置いた方が、自分たちにとってよいに違いないと思ったのだ。
このことについては、やはりじっくりと腰を据えて、書かなければと思う。
ここしばらく「好景気」「高度経済成長」のただ中にあったインド経済にも、このごろは逆風が吹き始めている。
最も打撃を受けているのは、DLF(インド不動産会社最大手)に代表される不動産業界。それから自動車業界、航空業界、輸出に頼っているテキスタイル業界などだ。
一方、不況でも成長を見せているのがAIRTELなどの一部テレコム業界や、HINDUSTAN UNILEVERに代表されるFMCG(Fast Moving Consumer Good: 日用消費材)業界、ヘルスケア業界などのようである。
ともあれ人口10億人超のインド。不況のあおりをうけるのは、これまで好況の恩恵を受けていた一部の人たちであり、国民の大半は、これまで通り「貧しいだけ」で、生活に大きな変化はなさそうだ。
資本主義とか、経済格差とか、もう、何がなんだかよくわからない毎日だ。