右腕が、凝っている。今日、補習校での授業を終えたあと、久しぶりの「バスケットボールのコート」に興奮して走りまわり、無理なシュートなどを繰り返したせいか。
もしそうだとしたら、なんと速やかな反応だろう……。と思ったが、いや、違う。と思い当たった。この凝りは、昨日のチャリティ・ティーパーティのために準備した「生バター作り」のせいだ。
生クリームを、バターと乳精が分離するまでひたすらひたすら撹拌したせいで、右腕が凝ってしまったに違いない。ほぼ毎日、ヨガをやってはいるものの、ちょっとした運動(作業)で筋肉痛になるというのは、そこはかとなく寂しい。
写真は「インドの紅茶講座」を行っているところ。
顔なじみの方、新しい方、さまざまな出会い。
お菓子を食べ、お茶やコーヒーを飲みながら、会話を楽しむ。
寄付金、寄付の不用品などもたくさん集められ、講座で情報をシェアし合い、有意義な時間である。
会が終わったあと、夜の帳がおりてなお、中学生の子どもを持つ友人たちとしばらく語り合う。ワインでも開けたいところだったが、今日の補習校の授業に備えて、アルコールはやめておいた。
それはさておき、異国で子どもを育てるということは、母国でのそれにも増して、さまざまな波乱があるものだと思う。一方で、家族の結束力が強まる。タフになる。ということも察せられる。
などと、簡単に言葉にまとめられる話題ではなく。
今日の授業のテーマは「桜」。
季節外れではあるが、日本を象徴する花であるところの桜について、まずは生徒たちに作文を書いて来るよう宿題を出しておいた。
桜に関することであれば、なんでもよい。
日本から来たばかりの人、あるいは海外生活の長い人。
個人差を超えて、環境差が彼らの国語力を左右する。
その塩梅は、まず彼らに自由に書いてもらってから、こちらが見知るしかない。
授業が始まる1時間ほど前に学校へ赴き、あらかじめ回収してもらっていた作文を読む。
6人の中学生の、それぞれの中にある桜。非常に興味深い。
厳密なる「国語の授業」であれば、善し悪しや点数で判断すべきことがらを意識せねばならないだろうが、わたしが引き受けたのはあくまでも「特別授業」であることから、その点は考えずにおいた。
まずは作文を書くことのの目的や、実践的な文章の書き方についてを教える。
それから、各々の作文を読んでもらい、それに関しての感想、批評などの時間を持つ。他国の生徒たちに比べ、日本の生徒は控えめで発言も少ないだろうことが察せられる。
だからこそ、なるたけ意見を述べ合える場をもちたいとも思う。文章を書くこと、発言をすること。いずれも訓練で、伸ばすことができる潜在力。
わたし自身に関していえば、小学校低学年までは、授業中、手を上げて発言できない子どもだった。間違えるのが怖かったし、緊張するタイプで、自由に発言できなかったのである。
だから、積極的に発言できない子どもたちの気持ちはよくわかる。
文章力、構成力、伝達力、表現力、理解力……それぞれの生徒により、その力の差はある。
しかしながら、その多くはあくまでも「実践的な訓練ができているかできていないか」の問題。素材をうまく調理し、形にできていないだけのこと。
心の中で思うこと、想像力やひらめき、感性のようなもの、つまり「素材」はみなそれぞれに、豊かに持ち合わせている。その部分に今日は焦点をあてて、引き出してみることにした。
桜といえば、美しいという「前向きな文章」が主だろうとの予測は大きく裏切られ、桜を好きだと言い切る人はむしろ少ない。
6人中4人の生徒が「毛虫」について描写していたのも興味深かった。桜についている毛虫やハチやアリ。落ちた花びらの掃除……。
桜を近くから、間近に見ているのだ、ということが、伝わって来た。
と、綴ればきりがないほどに、あれこれと興味深い。
その後、一応教科書にあった「桜」に関する文章にも軽くふれる。それはわたしが高校時代、現代国語の参考書の中で見つけて以来、心に残っていた文章だった。
今回、テキストをお借りした時に、中2の教科書にそれを見つけたので、生徒たちにもシェアしたいと思ったのだ。
大岡信の『言葉の力』という文章。
8年ほど前、その文章に関するコメントを、ホームページに載せている。下記のサイトの下の方にあるので、ご興味のある方はどうぞ。
■ワシントンDCへ、桜を見に行く:桜の花に寄せて、思うことなど(←Click!)
90分授業。最後には、音楽の中の桜についてレクチャー。最近の歌謡曲の歌詞については詳しくないが、桜を歌う歌は多いだろうと、あらかじめインターネットであれこれと探しておいたのだった。
個人的には数年前に流行ったアンジェラ・アキの『サクラ色』が好きなのだが、最終的にFUNKY MONKEY BABYSの「桜」を選んだ。そんなバンドがあるとも知らなかったが、旋律が「今の日本っぽい」ような気がしたのだ。
いつか聞いた、スマップの「世界にひとつだけの花」(だっけ?)っぽい、軽やかで希望にあふれた感じのメロディ。
桜という言葉から連想される、出会いや別れや旅立ち。記憶の節目。演出される思い出。国語→言葉はまた、音楽にも、美術にも、さまざまに枝葉がわかれて結びつくことなどを伝えたく。
iTunes storeで購入しておいたその曲を、教室で流す。いい曲。
授業の後は、超久しぶりのバスケットコートへ。
きれいなコート! と思いきや、リング(ネット)がない!
気持ちとしては、コートをズダダダダ〜ッと走り抜けてドリブルシュートでもしたいところだが、それをやったら一往復もすることなく息絶えるのは確実。
というか、リングがないので、ボードにぶつける。
ああ、楽しい!
楽しいがもう、あり得ないくらい息が切れる。
息が切れるが、しばし遊んで、楽しかった。
そのあと、男子がやっているサッカーの、サッカーボールをちょいと蹴らしてもらい、ゴールを「決めて」、一日を締めくくったのであった。
国語の授業もいいが、体育の授業も楽しそうである。
そんな次第で、わたしの2回に亘る「束の間の国語の先生」も、一応、終了した。わずか2回の授業ながらも、普段触れ合う機会のない子どもたちと交流を持てたことは、個人的にもとても楽しかった。
自分自身が、中学生の時、著しく挫折して辛い時期を送っただけに、中学生という時期の大切さは、実感している。
異国の地で、きっと戸惑うことが多いであろう彼らが、持ち得る力を発揮できる環境を、大人は整えるべく、手を差し伸べてやらねばならないだろう。
彼らの将来のために必要な教育を、きちんと受けられるために。
親のサポートはもちろん大切だと思うが、しかしご両親にとっても異国の地。そんな中、子どもの教育環境を整えるべく尽力されている保護者の方々を見るにつけ、頭が下がる。
その国、その都市によって、日本人コミュニティの在り方、子どもの補習校の仕組みなどは異なるであろうし、子のいないわたしは実情をしらない。
それでも敢えて言うならば、バンガロールのように、どんどん若い世代の駐在員が増えている昨今、子どもたちの教育環境を整えることは、最重要課題のひとつだと感じる。
駐在員を派遣する企業側、また日本のコミュニティも、子どもの教育についてを、今以上に積極的に、支援すべきではないだろうかと思わされた。
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