速やかに日常生活に復帰しているように見えて、実はこの1週間、かなり辛かった。日本から帰国して、今までになく、脳みそに張り巡らされた薄い膜が強固で、なかなかはがれ落ちてくれなかったのだ。
それでも、仕上げねばならない原稿が複数あり、コンピュータに向かう。が、ブログの文章は流れるように綴れる一方、仕事となると言葉を選び、文章を捏ねなければならず、時間がかかる。
集中力浅く、昨日今日と、作業が捗らなかった。とはいえ、なんとか日曜夜現在、大まかに終了。ほっと一息ついて、ビールを飲みつつ、こうしてブログを綴る次第だ。
ところで昨日は珍しく頭痛がひどかった。多分、満月と低気圧のせいである。と、夜遊びに来た義姉夫妻。義姉スジャータも頭が痛いと具合が悪そうだった。
わたしが夕食の準備をする間、ゲストルームに横になっていればと示唆すれば、アルヴィンドがとても心配そうに姉を気遣う。
「ゆっくり休んで。無理しないでね」
おいおいおい。妻が頭が痛いといっても、そんな言葉、かけないくせに、なにその過剰かつ異様なやさしさは?
と、妻は内心、やっかむのである。
楽しき夕餉を終え、二人を見送った後。妻はさりげなく、夫に詰め寄る。
「ねえ、わたしも頭痛がするって言ってるのにさ。なんでスジャータにだけ、あんなにやさしいわけ? 納得いかないんだけど」
「え? ミホ、頭痛かったの? 知らなかったよ」
し、知らなかったとはこれいかに……。しかし、思い返せばわたしもわたしだ。頭痛を訴えるスジャータは、蚊の鳴くような声で、やさしく、静かに、
「今日は、偏頭痛がひどくってね……」
と囁くのである。
一方の妻はといえば、メガネをはずし、こめかみを烈しく押さえつけたりなどしながら、
「うぉ〜、頭いて〜っ!」
と、シャウトしているのである。もちろん、夫のまえでは、英語で、"I have a strong headache!"と言うのであるが。
どうも、頭痛を訴える表現方法がいかんようである。体調が悪くても、元気はつらつに見えてしまうところがいかん。眉間に皺を寄せれば、具合が悪いというより、機嫌が悪いと受け取られてしまうところもいかん。
というか、そもそも、放っておいても大丈夫そうだという時点で、終わっているのかもしれん。ああ、なんだかどうでもいいことを書き連ねている気がする。
どうでもいいことついでに、ドライヴァーの話を、書き残しておこう。
いやはや。ドライヴァー。というだけで、これほどまでに「人間模様」が描けるとは、さすがインドである。先日、「ドライヴァーを巡る熱く激しい旅の果てに。」という記録を残した。わずか1カ月余り前のことだ。
「果てに」というからには、旅は終焉を迎えたかに思えた。
しかし、甘かったね。微妙に予感はしていたが、しかし1カ月後にまた、ドライヴァーが消息を絶つとは、誰が予測していただろう。
自らはムスリム、妻はクリスチャン。幼子二人を抱えたマジッド。42歳。その家庭に、トラブルの匂いがしなかったわけではない。
しかしながら、運転その他、まったく問題のない、むしろ怖いくらいに問題ないところが怖かったマジッド。
わが日本旅の直前に1カ月分の給与を支払い、ディワリのボーナスも、まだ1カ月しか働いていないとはいえ、少額ながらも渡した。母がお世話になったので、追加でのお礼も渡した。
その後、夫はディワリ休暇でニューデリーに行き、戻って来たのが11月9日月曜日。火曜日から出社すべくマジッドに電話をするもつながらない。
つながらない状況が2日ほど続いた果てに、ようやく連絡がとれたところ、
「家族のトラブルで、今、バンガロールを離れています」
とのこと。それ以上のことは、何も語らない。数日間ドライヴァー不在で迷惑を被った夫は、「マジッドは、もういい!」と捨て台詞。
日本からスカイプで電話をし、なんとかマジッドとつながったが、
「今は話ができません。バンガロールに戻ってから、説明します」
と、声を潜めて言う。いったいなんなんだ、マジッド。軟禁でもされているのか? ったくわけわからん!
やめるならやめるで、そう言えばいいものを、妙にもったいぶって、なんのつもりだ。状況が読めないから腹立たしい。もういい。次だ。次行くぞ!
と言っていた矢先、過去のアンソニーAが登場。あの日あのとき、「カンパニードライヴァーの仕事が見つかったんで」と言いながら、去った彼。
「あなた、必ず後悔するわよ」
の、捨て台詞を、吐かせていただいたあのとき。わが予測は的中し、たちまち後悔したらしい。その後も、何度か夫には「再雇用打診」の電話があったが、無視してきた。
と、マジッドが去った直後にも、我が家にやってきて、メイドのプレシラに「マダムになんとか、仕事をくれるよう頼んでくれ。俺は改心した」みたいなことを言っていたらしい。
もうこうなったら「渡りに舟」である。
「わたし、まだあなたのこと信用してないから。でもまあ、とりあえずね」
「マダム、僕は心を入れ替えてちゃんと働きます。信じてください。なんなら契約書も書きます」
「契約書なんて、書いたところで、意味ないでしょ? やめるときはやめるんだし。要らない要らない!」
最早、コメディである。35歳だが、どうにも精神年齢がお子様なアンソニー。癪に障るが、彼には特に大きな問題があったわけではない。
もう一度チャンスをくれてやろうじゃないか。との気持ちである。
もっとも自分たちも、一からドライヴァーを探す気力を喪失しており、もう誰でもいいや、安全運転で、道知ってて、特に問題なければさ。という心境ではあった。
で、上の写真のチョコレート。再雇用に踏み切った昨夜、アンソニーAに第二子が誕生した。そのお祝いのおすそわけとして、アンソニーがくれたチョコレートだ。
インドの人たちは、自分の誕生日や自分の子どもの誕生日の際、周囲の人たちにごちそうや菓子などをふるまう。プレシラも、息子の誕生日の際には、この手のチョコレートをわたしたちにくれる。
なんかもう、よくわからんが、めでたい話じゃないか。
ちなみに、トラブルの発端となった「チェンナイに引っ越しましたと言いつつ、近所のタクシー会社に転職していたベンジャミン」もまた、現在の会社に問題があり、我が家に戻ってきたいらしい。
紹介者であるプレシラの夫、アンソニーに何度か連絡をしてきているとのこと。
この男も、実にバカたれである。うちで働いていれば、それなりに優遇されていたものを。ドライヴァーは二人も要らん。というわけで、当面はアンソニーでいこうと思う。
というわけで、アンソニー。せめて半年は、がんばってよね。
ところで、我が家の交錯するドライヴァー事情については、先月記した。詳細を確認したい向きは、その記事を以下に転載しているので、目を通されたい。なかなかに喜劇である。
【参考資料:10月8日の記録】ドライヴァーを巡る熱く激しい旅の果てに。
バンガロールに来て5年になるが、しかし去年までは、タクシーサーヴィスの車を使っていた。
最初のうちは、「インド、どれくらい住むかわからないし」などと言い、車を買うのは控えていた。1年半後に新居を購入したにも関わらず、車を買わなかったのは、順番が間違っているというものであろう。
タクシーサーヴィスに月々支払う方が、不経済ではあった。しかし、ドライヴァーに直接給与を払うこともなく、問題があれば随時、他のドライヴァーが補充されるという意味では、手間がかからず、精神的に楽だった。
3年目にムンバイとの二都市生活を始め、なぜかムンバイでようやく車を購入。ドライヴァーを探すのには少々手間取ったが、約1年間、仏教徒の無口なトシャールが我が家のドライヴァーとしてつつがなく働いてくれた。
さて昨年末、ムンバイ宅を引き払い、今年からは再びバンガロールベースの生活が始まった。それから始まったドライヴァー探しの旅。いったい何人の人と出会ったことだろう。
強烈だったのは、頬に10センチほどの傷がある長身でやくざな風貌のラヴィ。やくざな風貌だからといって、心根まではやくざではないだろうと思い、寛大な気持ちで雇ったが、結果、やっぱりやくざな男だった。
ある日、仕事に来られないという。実は他の仕事と掛け持ちしていたことが発覚、当然ながら解雇の通達をした。彼が訪れた日、それまでの給与を支払ったにも関わらず、「足りぬ」と言う。
夫に対し、急に威丈高な態度で追加の数千ルピーを要求する彼。無礼な男に対しては、一歩も譲らない夫。大声で怒鳴り合う二人に、近所のドライヴァーたちが集まってきて、我が家の玄関周辺は、野次馬ができる。
いい加減、みっともないしうるさいから、ここは彼の要求額のせめて半分でも払って追い返そうと、妻は夫を諭すのだが、夫の怒りはおさまらない。よその知らないドライヴァーが「まあまあ」と制する。
「なんなら、わたしが彼に少し払います」
とまで言う、よそのドライヴァーもいる。なんであなたが?
インド、実はこういう不思議現象が珍しくない。お心遣いはありがたいが、あなたからお金をいただくわけにはいきませぬ。
「警察を呼べ! 俺はだまされたんだ!」
と叫ぶラヴィ。しかし、どう考えても、あなたの分が悪い。
「ラヴィ。警察を呼んでもいいけれど、捕まるのはあなたよ。もう、これで帰りなさい」
と、わたしがお金を渡そうとすると、夫が、
「ミホ! 金を渡すな!」
と叫び制する。
「俺は、警察に捕まるのなんて怖くないぞ! ええい、お前んちの車に火をつけてやる!」
自らも燃え盛るラヴィ。おいおいおい。
これでは埒があかない。妻は、玄関先で吠える夫を家の中に引きずり込み、玄関のドアをしめる。ドアの向こうから叫ぶ夫。
「ミホ! 金を渡すんじゃない……!」
しつこい男だ。さて、やくざな風貌のラヴィの片腕をぐいっと掴み、建物の陰に連れて行く。いくらやくざでも、公衆の面前で婦女子には手を出すまい。
右の手の握力を全開にしてして、一重まぶたの「目ぢからゼロ」な目でもって、しかしラヴィの仁王のような、「目ぢから満点」な、ギラギラとでかい目を睨みつける。
「あんた、いい加減にしなさいよ。これだけは払うから、帰りなさい。これ以上騒ぐと、然るべき人間を呼ぶからね!」
自分の背後に、「極道の妻な岩下志麻」が憑依したのを感じた。
そもそも然るべき人間って誰なんだ。と自分で突っ込みつつ、最後にぐいっと握力を強めた。彼もいい加減、どうでもよくなっていたに違いない。ぶつぶつと文句を言いながらも、帰ったのだった。
とまあ、こんな悪質なドライヴァーはそうそういないものである。
その後、メイドのプレシラの夫アンソニーからの紹介で、忠犬ハチ公のような誠実なムードのベンジャミンがやってきた。人を動物にたとえる無礼を許せ。その後の奴の非礼を思えば、許されよう。
ベンジャミンは、運転もうまく、愛想もよく、普通によいドライヴァーだった。
しかし、学問が足りないせいもあるのか、どこかしら子どもっぽい「おばかさん」な行動をとることがあった。
とはいえ時間通りに来て、安全運転をしてくれれば、それでいいのだ。給与も彼の望む額を支払い、数カ月は平和に働いていた。
さて8月30日、給料日の前日に、「明後日から2、3日、休みをください。チェンナイに住む兄が入院したので、お金を届けにいかねばなりません」という。
理由が理由だけに、受け入れぬわけにはいかない。31日に給料を払い、3日間、他のドライヴァーを手配した。さて、3日目の夜、ベンジャミンから電話がないので、わたしから電話をした。と、
「僕は、もう戻りません。チェンナイに住むことにしました。仕事、やめます。すみませんマダム」
おいおいおいおいおいおい! 最初っから、辞めるつもりだったのかよ!! それならそうと、早く言えっちゅうもんやろ!
忠誠心なき忠犬ハチ公に、憤慨するも虚し。この「裏切られた感」。それなりに、脱力だ。だが、脱力している場合でもない。急ぎあちこちのネットワークをあたる。
なお、その後の情報によると、ベンジャミンはチェンナイに行ったわけではなく、単にバンガロールにて、カンパニードライヴァーに転職したらしい。
数人のドライヴァー候補と面接。まず試用したのは赤く濁った目をしたヴィンセント・ダス。初日、うつろな目をして登場した彼に「酒飲み?」との不安を抱いたが、本人が否定するので試すことにした。
彼は、「主要道路を愛好する男」でもあった。どこへ行くにも、裏道とか近道を一切使わず、ぐるっと遠回りをして大通りをゆく。バンガロールにおいて、それは大いなる時間&ガソリンの無駄である。
あるときなど、市街北西部へ向かう予定があるにも関わらず、市街南西部へ向けて走る彼。
「ちょっと、どこに向かってるの? 目的地は北でしょ?」
「マダム、あの道は一方通行なんで、南から北上する方がいいんです」
5キロも10キロも続く一方通行が、どこにある! 他の道を走れ、他の道を!!
結局、1週間ほど試し、主要道路以外も使用するよう教育したが、彼自身の自宅が我が家から遠いこともあり、長期での雇用は難しいと思われた。彼自身も通勤が辛いとのこと。
そのころ、ファンキーなアンソニーAが現れた。彼がまた、ベンジャミンよりも更に上回る「子ども的な大人」であり、言動、態度に人格の未成熟を感じさせた。
35歳というが、その言動は20代としか思えない。長身で、カジュアルなファッション。インド人にしては珍しく、筋肉質の鍛え上げられたボディをしている。インド人というより、アフリカンアメリカンを思わせる風貌だ。
乳飲み子と妊娠8カ月の妻を抱え、「僕にチャンスをください!」と、職を切望していたことから、雇用することにした。
しかし、どうにも受け入れられぬ態度が散見される。夫はアンソニーAでもういいじゃないかというが、妻は一抹の不安を感じる。
従っては、水面下で他のドライヴァーを探していた。
それが、例の「救急車事件」の日に活躍してもらったはずだった一見、いい人なアンソニーBである。しかし彼は、病院で待っている間に「飲酒」していたことが発覚。その日の給与を支払って即解雇した。
ああぁぁぁ。もう、面倒だ。
との思いでアンソニーAを使いつつ1週間ほどが過ぎたころ。9月30日に1カ月分の給料を受け取ったわずか1時間後に電話がかかった。
「新しい仕事が見つかったので、辞めます。カンパニードライヴァーになります」
こ、この男は……。
自分が仕事が欲しから、チャンスをくれって言ってたんじゃないのか! なんなんだいったい。
確かにカンパニードライヴァーの方が、保険などもつくから条件はいいだろう。しかし労働は我が家よりも遥かに過酷だ。
我が家は夫の朝晩の送り迎え(片道15分)以外は、わたしが利用する程度。一日中出かけることは週に数回だし、外出も昼過ぎからということも多い。
つまり、我が家から5分程度の場所に住む彼には、随時帰宅させていて、その間に彼は家の用事もすませることができていたのだ。
「あなた、必ず後悔するわよ」
の、捨て台詞は、吐かせていただいた。
ところでバンガロールのドライヴァー事情。昨今、かなりの混沌状態のようだ。
ムンバイやデリーなど昔からの都市機能ができ上がっているところは、給与の相場なども安定しているのではないかと思われるが、新興都市バンガロールの富裕層や駐在員家族向けドライヴァーの給与は、目まぐるしく上昇する一方だ。
物価の高騰を考えるとやむを得ぬとは思うが、5年前は5000ルピー、6000ルピーが一般的だった相場も、今は1万ルピーを超えている。
ちなみにベンジャミンへは9000ルピーを払っていた。アンソニーAには1万ルピーを払っていた。
こうなると、数千ルピーの上昇はいいから、きちんとした人を雇いたい。しかし、その人がきちんとしているかどうかは試してみなければわからず、給与の交渉も難しい。
さて、新たなドライヴァーを、またしても探さねばならない。日本人の駐在員の家族が使っていたドライヴァーが職探しをしているという話を聞いていたので、連絡を取った。彼の名はシン。
シンには、翌日の日曜日に面接に来るよう約束をした。と、別の筋からの面接希望者。マジッドというムスリムだ。一応、彼にも面接に来てもらうことにした。
なんだかんだで、間断なく面接希望者が訪れるのも、おもしろいものではある。
日曜日、時間通りに訪れたシン。12000ルピーを要求。しかしその額は、彼の受け答え、態度を見ているに、高過ぎる。とはいえ、我が夫は、日本人のところで働いていたのだったら問題はないだろうと言う。
シンは月曜日には用事があるというので、火曜日に「試乗」に来てもらうことにした。
その後、マジッドが来訪。職業で人を判断してはならぬということはわかっているが、しかしインドでそれは、不可能なことである。
職業がその人の大ざっぱなバックグラウンドをあらわすことが多々ある。職業別に経済的な著しい格差が生まれるのだ。
彼は一瞥したところ、「ドライヴァー」ではなかった。なにか、ビジネスをしている人、にさえ見えた。
年齢は42歳。ムスリムだが、妻はクリスチャン。小さな子どもが二人。
これまでは月収13000ルピーもらっていたという。運転していたのはメルセデス。インド人の富裕層に仕えていたらしいが、雇い主の「罵詈雑言」に耐えかね、給与が減ってもいいから新しい仕事を、と転職を決めたらしい。
金曜日は12時半から2時までの間、モスクへ礼拝に行く時間が必要とのことだが、それ以外は、たとえばラマザンのときでも問題なく働けるという。
「わたしはイスラム教徒なのでお酒は飲みません。時間も守ります。ただ、一つだけ悪い習慣を持っています。喫煙です。しかし車内では決して吸いません」
とのことである。普通に、きちんと、対等に会話ができる。それだけで、ずいぶんな安心感だ。
そんなドライヴァーは、タクシーサーヴィスを使っていた際の専属ドライヴァー2名以来である。彼らはとてもいい人たちだったが、お世話になったタクシーサーヴィス会社からヘッドハンティングをするわけにもいかず、残念に思っていた。
月曜日。まずはマジッドに運転してもらう。いい。非常にいい。何の問題もなく、目的地に行けた。運転もうまいし、ホーンも無駄にならさないし、安全運転だ。
彼に決めてもいいくらいだが、しかし即決で痛い目をみるのはいやだ。明日にはシンも来る。取り敢えず、返事は1日保留にしてもらうということで、その夜はマジッドを返した。
そしてシンに時間を確認すべく電話をするがつながらない。ようやく夜遅くになってつながったところ……。
「マダム、今日わたしは、足首をひねりました。病院へ行ったら、しばらくは運転できないと言われましたので、明日はうかがえません」
なんということか。ドライヴァーで足首の怪我とはお気の毒だ。
そんな次第で、マジッドに決定したのだった。マジッドを使い始めて1週間。非常に、よい感じだ。ストレスを感じさせない。運転は丁寧。道もよく知っている。愛想はないが、別に愛想など求めていないので、むしろ楽だ。
また、どちらの目的地へのルートを必要に応じて、適宜、尋ねてくれる。わたしの意見がない場合は「わたしの道を、走らせてください」と言う。
その彼の選ぶルートというのが、「モスクのある道沿い」であることも面白い。バンガロールにはこんなにもモスクがあったのかと再認識させられたりもする。
一応は、11000ルピーの契約であるが、この人ならば、もっと支払ってもいいとさえ思えるほどだ。だからって相場を上げることもないので、ボーナスなどで調整するつもりではあるが。
そんなわけで、ドライヴァーを巡る旅。油断はできないが、今のところ、いい感じである。彼がこれからもつつがなく、運転を続けてくれることを祈りつつ……。
ところで昨日、アンソニーAから電話があった。
「新しい職場、遠すぎて不便なんで、またそちらのドライヴァーになってもいいですよ」
な、なんという言い草……。悪びれ感ゼロ。っていうか、なんというおばかさん。
当然ながら断った。人々と関わりながらわたしもなんだかんだと、学ばせていただいておりますというものだ。
またしても、異様に長いレポートとなったが、書き残しておかずにはいられなかった。すっきりした。
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