ついには夕べ、月下美人の花が開いた。1年に一度、わずか一晩の開花。
初めての去年は3輪、今年は5輪の花が咲いた。
数年前、義姉スジャータからもらった月下美人の数枚の葉を、庭師が家の鉢に、ぷすぷすと、無造作に挿していた。それを庭の一隅に、放置していた。
葉の、葉脈のあたりから茎や葉が出てきて、そこからまた、茎や葉が出てきて……という奇妙な成長を遂げながら、昨年初めて、花を咲かせた。
昨年、夕闇に浮かび上がる白い花を、思いがけず目にした時には、夢現(ゆめうつつ)の心地であった。その麗しさに魅了された。
今年は開花の様子をしっかりと見たい。更にはなるたけ多くの人と、この美しさをシェアしたい……との思いから、開花のタイミングを探ってきた。
月下美人の開花に関する記録は、ウェブ上でもあれこれと見られるが、場所や気候などの条件によって記述はまちまち。どうにも開花のタイミングをはかりかねていた。
先週末に急成長を遂げたあと、月曜日からはもう、いつ開くのだろうかと、毎晩、気が気ではなかった。今年は過程を写真に収めたので、多分来年に生かせるだろう。
備忘録として、ここに開花までの数日の記録から、残しておこうと思う。
ところでこのような写真は、関心のない他者にとっては、たいくつなものであろう。
しかし、間近に見たものにとっては、その微妙な角度の違いや、距離感の差異がまた、異なる美しさを演出しているようにみえる。写真を撮り、多くを選ばずにはいられない。
そんな次第で、「似通ったふうに見える写真」が続くが、それはそれ。ご覧いただければと思う。
蕾の部分がぐっと成長し、釣り針型になった。
こうなると開花は目前とのことだったので、この日の夜からそわそわとしはじめるが、咲かず。
昨日とあまり変わった様子はない。
今夜だろうか。と思わせながら、やはり咲かず。
やはり、あまり変化がない。
いよいよ今夜あたり開花するのだろう。
しかし今日は夫が出張で深夜の帰宅。
できれば咲かないでいて欲しい……との願いが通じてか、咲かず。
今日は、明らかに様子が違う。
蕾がふっくらとして重みを増しているかのよう。
釣り針のように鋭角だったのが、つぼみの重さで少し角度が広がっている。
9割方、今夜開花するだろうと見込む。
いずれにしても、今夜開いてくれないことには、明日と明後日の夜ははずせぬ用事が入っているゆえ、友らを呼ぶことができない。
万一、咲かなかったときには、「単なる飲み食い会」にするとして、月下美人鑑賞会を希望していた友人たちに、昼ごろ、連絡をいれる。
今日は各自、料理を持ち寄っての、ポットラックパーティとさせてもらうことにした。わたしは外出の帰り、いざというときのために、近所のKFCの出前メニューをもらって帰った。
夕方5時半を過ぎたころから、蕾の先端が、やさしくほころび始めてきた。今日の開花は間違いなさそうだ。
「何時ごろ開き始めそうですか?」
と、参加者から電話が入るが、そりゃもう、わたしが聞きたいくらいである。もしも開花のタイミングを見逃したくないのであれば、6時半ごろにはいらしてね、と伝える。
玄関先に張り紙をして、小さく演出。花の様子を気にしながら、夕飯の準備。鶏肉を捌きながらも、ホウレンソウを茹でながらも、いつ開くのか、気が気ではない。
「さっき、ものすごい雨が降ったけど、花は大丈夫ですか?」
と、案ずる電話が入る。バンガロールは狭い街にも関わらず、雨が局所的に降ることが多い。我が家界隈は、一時曇ったものの、雨が降ることはなかった。
もっとも、モンスーンシーズン。しばしば大雨に見舞われるので、花はここ数日、屋根のある場所に避難させている。
早めに食事の準備をすませ6時過ぎ。いつもにも増して、今日は風が心地よい。雨のおかげなのか、空は深く青く澄み渡り……。天空には、煌煌と上弦の月。
「花が開くの、見張ってて」
と言いながら、飲み物の準備をする。室内で、ビールで乾杯をして、おつまみを食べつつ、うっかり話し込み、ふと我に返って庭へ。
他の人たちも、早く来ればいいのにね!!
と、興奮しながら、その開花を見守る。
夫にも、早く帰宅するよう電話を入れる。
ちなみに夫のオフィスは最近移転して、より自宅に近くなった。
THOM'S BAKERYのすぐ近所、車で10分ほどの距離だ。
成長のスピードが遅れていた花も、すべて揃って同じ速度で、開花している。
親しいご近所さん二組にも電話を入れて、ぜひ見に来てと促す。
みなさん、月下美人の開花を目にするには初めてのことで、その不思議な生態に感嘆している。
花を眺めているご近所のラメイシュに、わが夫から電話が入ったようだ。
月下美人を見に来るように、帰路の車中から、誘っているらしい。
「君の家は遠いから、今夜は行けそうにないよ」
と笑いながら返事をするラメイシュ。
夫……。まずは自分が帰ってこいよ。
少しずつ、花の香りが漂い始めてきた。友人たちも次々にやってきて、花を囲んでの宴が始まる。
夫が義姉スジャータに電話をしたところ、今年もやはり、同じタイミングで開花を始めているらしい。同じ株からの花とはいえ、生育環境は異なっている。
にもかかわらず、1日も狂うことなく同じ日に咲くことが、本当に不思議だ。
夜の仏像は、ちょっぴりホラー。照明に問題ありか。ともあれ庭の平穏を導いてくださっているご様子に感謝である。
空を仰げば、木々の間からこぼれおちる月光。そよ吹く高原の心地よい風。本当に、ここは楽園のようである。
料理を温めなおし、食事をとりながら、杯を傾け、お酒を飲みながら、花を囲んで語り合い、本当に幸せなひとときだ。
9時を過ぎたころ、満開となった。最初は蚊取り線香の匂いが強かったのだが、気がつけば、蚊取り線香よりも月下美人の芳香の方が遥かに勝っている。
やさしく、上品ながらも、しっかりとあたりに漂わせるその香りの、強さ。純白の姿は、まるで白鳥のようでもある。
ふわふわとした、白い羽根のような花びらと、不思議な形状をしためしべとおしべ。
やがて10時を過ぎたころから、少しずつ、こんどは花が閉じ始める。
友人の一人が、「花びらを天ぷらにしたらおいしいらしい」との情報を得て、興味津々の様子。
もう、あとは閉じるのを待つばかりなので、一輪を切って、差し上げた。が、その前に、記念撮影など。
花を十分に堪能して解散前。ふわふわ芝生の上にみな、ごろりと座り込んで、もうひと語らいのひととき。いつもにも増して、今夜の風は心地よく、高原の気候のすばらしさを痛感する。
静かに閉じ行く花を、二人で静かに眺める。
皆がいるときには、触れることなく眺めていたのだが……。
この期に及んでは、花びらに触れてみたり、匂いを嗅いでみたり。
いい匂い……といいながら、鼻先を思いっきり花にくっつけている夫。
酸素吸入器じゃないんだから。
鼻の頭に花粉をつけて、どこまでも、すてきなマイハニー。
深夜をすぎても、まだ完全に閉じることはなく、静かに咲き続けている。
やがて少しずつ、うつむき加減となり、背後の花びらが細く閉じ始め、香りも少し、和らいできた。それでも、それなりの美しさを保ちながら、静かに静かに、閉じてゆく。
1時半ごろに見たのが最後だったが、まだしばらくは、咲いていたのかもしれない。
一年に一度、それもたった数時間だけの贈り物。わたしも夫も家にいられて、友人たちも招くことができて、こうして稀有な時間を共有できたことは、本当に、すばらしいことであった。
人間には、調整することのできぬこの、開花のタイミング。翻弄される数日を過ごしただけに、一層、思うところ、深かった。
もっと自然の息吹に、耳を澄ませるようにして、もっと静かに、人は生きていく必要が、あるのかもしれない。
来年もまた、開花を見ることができるのだろうか。遥か遠い一年後を思いつつ。
この好機に恵まれたことに感謝。