2018年の終わりに際し、今年は例年以上に、思うところが多い。世の中が激変を続ける中、自分自身の価値観やライフの在り方について、轟々と流れる時代に身を任せっぱなしにするのではなく、しっかりと屹立して、自分の立ち位置を客観視できるような精神状態を保たねばとの思いを新たにする。さもなくば、遠心力を伴いながら、振り回されるばかりだ。
この件については、今回持参した書籍の一つ、トーマス・フリードマンの最新作『遅刻してくれて、ありがとう(上)』の最初の数ページを読んで確信した。「今という時代」を解説するこの本のことはまた、改めて、書きたい。
2018年。52歳から53歳になったこの一年は、過去数年よりも、前向きになれることが多かった。無論それは、過去のネガティヴな出来事から学んだり、同じ轍を踏むまいという学習から得られた成果でもある。「不惑の40歳」を遠く過ぎてなお、惑うことの多い歳月の中、少しずつ「割り切って考えること」ができるようになった成長の証でもあるかもしれない。
概ねいい一年を過ごせた要因はいくつかあるが、特筆すべきを挙げておくならば、以下の4つだ。
1. 「意図的に」旅を増やした
2. 信頼できる友人らに巡り会えた
3. 公私に亘る人間関係のストレスが軽減した
4. 5年日記をはじめ、記録の重要性を再認識した
精神的な安定は、身体にも好影響を及ぼす。無論、今年の半ば、健康診断で子宮界隈の腫瘍が認められ、腫瘍マーカーの数値がかなり高かったことから再検査を繰り返すなど、1カ月ほど居心地の悪い時期はあった。命に別状はないとはいえ、入院、手術が必要となれば何かと大変だ。万一を想定して、公私に亘っての対応を考えた。身近に頼れる友人らがいることに、心から感謝したのもこのときだ。 ちなみに結果は「様子見」である。
敢えて旅を増やしたのは正しかった。好きでやっていることとはいえ、ミューズ・クリエイションを開始して以来、毎週金曜日、自宅をオープンハウスにしていることに加え、イヴェントなども多く、かつてに比べて旅が激減していた。加えて、自分自身が若いころのような、旅に対する強い情熱や好奇心を失い始めていた。そんな中、ちょうど一年前、我々夫婦が属するグローバル組織YPOのイヴェントでジャイプルへ赴いたのを機に、ジャイサルメール、ジョドプルとラジャスタン州を旅したのは、大きな起爆剤となった。「もっと旅をしたい」という心に火がつき、「来年は月に一度のペースで旅をしよう」と決めた。
1月は、そのYPOのフォーラムの女友達ら計8名で、香港女子旅をした。今までの人生にない経験。YPOを通して知り合った、「お見合い結婚」ならぬ「お見合い友情」みたいな始まり方だったが、これは、ここ1年半のわたしにとって、精神的な安定をもたらしてくれている。月に一度、メソッドに従ってミーティングを行うほか、プライヴェートでの交流もあり、日常的に、新たな視界が開けている。
2月は、ジョードプルを再訪し、数日に亘って、朝から晩まで世界各国の宗教音楽、伝統音楽に浸る大規模な音楽祭を経験した。
3月は繁田女史とハンピ(KRSMAワイナリー)への女子旅。車中彼女に勧められた『破天』を読んだことで、いてもたってもいられなくなり、4月末、佐々井秀嶺上人を訪ねてナーグプルへ赴く。
5月末からは、毎年恒例永住権保持目的の米国旅。ニューヨーク滞在のあと、帰りに英国へ寄り、ロンドンから十数年ぶりにコッツウォルズ地方を旅した。
7月はデリー出張、ムンバイ旅と国内でおとなしく、8月はミューズ・チャリティバザールの準備もあることからバンガロールを出ることはなかった。
そして、9月から10月にかけて。今年の旅のハイライトとも言うべく、3週間近い欧州旅は、ひとことでは書き尽くせぬ心の高揚を与えてくれた。
そもそもは、パリへ出張する夫の旅に伴う気軽なものだったが、せっかくだから他の都市へもいこうと、チェコのプラハ、そして20年以上に亘り再訪したいと願っていたドイツのドレスデンを訪れることにした。ベルリンの壁が崩壊した直後に訪れたときには、第二次世界大戦の爆撃で瓦礫の山となっていたフラウエン教会が、その瓦礫の一部を再利用して見事に生まれ変わっている様子を目の当たりにして、筆舌に尽くし難い感動を覚えた。
旅の直前、夫の出張にストックホルムが加わったことで、バンガロール=ドバイ=パリ=ストックホルム=パリ=プラハ=ドレスデン=プラハ=ドバイ=バンガロールという、乗り継ぎもタフな旅になったが、ほとんど旅の疲れが残らない、すばらしい経験だった。その経緯はブログにも長大な記録を残している。
旅の疲れが残る残らないを考える間もなく、長旅から戻った翌々日には、上記YPOフォーラムの友人らとマイソールを1泊旅行し、十分に楽しむなど、自分で自分のタフさにも驚いたのだった。
そして先月、11月には年に一度の日本への一時帰国。今年は下関の母校で講演をしたあと、倉敷や伊勢を一人旅するかつてない経験もした。……と、旅のことだけでも、綴り始めるととどまることを知らず。ひとまずはこの辺で。
初日と翌日の、朝のトリートメントは、アーユルヴェーダの定番、Abhyangamと呼ばれる全身オイルマッサージ。ベッドの左右にセラピストが立ち、たっぷりのオイルで全身をシンクロナイズド・マッサージしてくれる。その動作は、木材にカンナをかけるがごとき反復運動。オイルを肌からぐいぐいとしみ込ませる。特製の木のベッドに横たわる我は、まさにまな板の鯉。
本日のトリートメント。朝は至福の全身オイルバス。Kaayasekamと呼ばれるそれは、体温より少し高めに温められた生薬オイルを、二人のセラピストから身体の左右同時に、全身にじわじわと垂らすようにかけてもらう。神経系を刺激し、代謝を高めるほか、関節の柔軟性も促進する。とにかく身体全体がリラックスして心地よい。
そして午後のトリートメント。脂肪がつきやすい腰や腹部周辺の薬草パウダーマッサージをしてもらったあと、今度はやや辛い、目のトリートメント。目の周囲に粘土のようなもので「∞」の形状をした土手を作る。そこに、生薬入りのギー(精製バター)を流し込むNetra Tharpanamという治療法だ。
目を開けたり閉じたりしながら、眼球全体にギーを染み渡らせる。これが目に沁みる沁みる。無論、個人差があるようで、夫はさほど痛みを感じないらしい。
これを受けると視界がクリアになり、ドライアイが軽減される。また白内障の予防などにも効果があるとのこと。普段ドライアイが顕著でしばしば目薬をさしていた夫が、2年前にこのトリートメントを受けて以来、目薬の使用が激減したことから、昨年、わたしも試してみた。
そもそもドライアイではなかったとはいえ、振り返れば、かつてよりも目の疲れを感じる機会が少なかった。というわけで、今年も受けることにした次第。これは3日間に亘る治療法で、初日の今日は15分、明日は20分、明後日は25分らしい。
トリートメントのあとは、薄暗い場所で3時間ほど、じっとしておくのが理想的とのこと。読書やコンピュータ、スマホの使用は厳禁。寝るのも好ましくない。ゆえに、薄暮の部屋で明かりもつけず、音楽を聴き、歌ったりする。
ゆるゆるとコーヒーを淹れ、持参して来たナッツ類を、こっそりとした気分で少しずつ、食べたりする。
やがて、夫が戻って来たら、なんとはなしに、語り合う。去年も、そうだった。
それは、まるで「停電の夜」*のような、特殊な時間。
つれづれなるままに、寝台に座りて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく言ひ語らへば、あやしうこそものぐるほしけれ。
(*インド系米国人作家、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』という短編集は、お勧め)
追記:今日の食事は、朝フルーツ、昼スープと野菜、夜フルーツ。昼の野菜が退屈で、敢えてココナツのチャツネをつけてもらった。それが極めておいしい。でも、だんだんこのメニューに飽きて来た。明日はどうなることやら。