2018年最後の一日がはじまった。
何もかもが昨日と同じようで、何もかもが昨日とは異なる情景。
蕾は開き、花は枯れる。種子は発芽し、朝日を浴びる。
丑三つ時に、鳥が、けたたましく鳴いた。
すると別の鳥が呼応するように、鋭い鳴き声を上げた。
しばらくしたら、ミャオミャオと、猫が唸りながら、通り過ぎて行った。
奇妙に賑やかな夜だった。
夫はといえば、傍らで寝息をたてて、眠っていた。
10年間も通ったならば、ここはもう、我々の心身のふるさとだな、とも思いながら、朝の庭を歩く。
夜中に遊びすぎたキナコが、丸くなって寝ている。
「キナコ」
と、声をかけたら、薄目を開けて、
「ウミャ? ミャ (なに? うるさい)」
と返された。
失礼しました。よい一日を。
読了していないうちに書くのもなんだが、今、読むべくして読んでいる本、との実感を強くする。
著者は米国人ジャーナリストのトーマス・フリードマン。過去、彼はピューリツァー賞を3度受賞している。2005年に発行されたベストセラー『フラット化する世界』をご存知の方は多いかと思う。
我々夫婦がワシントンD.C.に住んでいた2003年ごろ、彼はここバンガロールに駐在しており、当地の急伸するITビジネスや、BPO、コールセンターの実態をニューヨークタイムズのコラムを通してレポートしていた。上記の本は、インドでの経験が鍵となっている。
彼のレポートは、米国のメディアが、インドの「新しい側面」を取り上げた端緒だったように思う。その年の9月から年末まで、わたしはジョージタウン大学の英語集中コースに通ったのだが、そのときに書いた研究論文が「インドの頭脳流出と頭脳循環(還元)」を軸にした『インドの新経済』だった。
折しも、論文発表の数週間前に『TIME誌』が、「インドの新経済」というテーマでの特集を組んだ。トーマス・フリードマンのレポートに連なる、それは流れだったように思う。
ビジネス英語を受け持つ先生から「ミホはなんてタイムリーなテーマを選んだの?!」と驚かれた。偶然のことではあるが、これが我々をインドに導いた契機だ。
その後、わたしは「激変するインド」に住んでみたいと思うようになり、気の進まない夫を説得、その2年後にインドへ移住、今日に至る。
この本には、現在のテクノロジーが、人類史上、いかに恐るべき速度で進化、急伸しているかということが、具体的な事例とともにレポートされている。一般的な人間が、時代の潮流を「理解しながら」ついていくのは不可能だということが、よくわかる。
「ライター」という本職を見失いつつある昨今のわたしに、ジャーナリストの彼の言葉は、随所で身にしみる。と同時に、改めて、自分の人生の優先順位を見直さなければと思わされている。
わたしの30年の社会人人生は、大きく3つの段階に分けられる。
20代(1988年〜1995年)。東京で編集者。コンピュータ、インターネット以前のアナログ時代。就職当初は、ワープロさえ普及しておらず、ライターは原稿用紙に原稿を手書きし、デザイナーはレイアウト用紙に手書きで線を引く。カメラマンは印刷用のポジティヴフィルムを大量に携えて取材に出る。通信手段は家の電話、ファクシミリ、ポケットベルとテレフォンカード。情報収集は「足」で集めた「紙」が頼り。
30代(1996年〜2005年)。米国。ニューヨークで起業。ウインドウズ95の普及。DTPの黎明期。電話回線を利用してのインターネットサーヴィスの開始。携帯電話が普及し始めるものの、固定電話や留守電に頼る歳月は続く。インターネットで情報を得ることもあったが、限度あり。2000年ごろ、ホームページを立ち上げ、メールマガジンを開始。米国を離れる直前にブログを開始。
40代〜(2006年〜)。インド。高度経済成長に伴うインドの、日常的に激変するライフスタイルを眺める一方で、旧態依然、変わらぬ世界にも接し続ける。ライターとして、リサーチャーとして、あるいはレポーターとして、さまざまな視点からこの国の趨勢を眺め続けてきた。
この10年余りの、テクノロジーの進化に伴うライフスタイルの変化は、言うに及ばず。ここ数年はもう、いろいろな側面で「追いつけない」と思い始めていた。十数年前には大雑把にでも語れていたインドのトレンドを、今は語れるほどのリアルな情報を把握できていないと実感している。
インドの変容はすさまじすぎる……と、インドにばかり気を取られていたが、なんのことはない、全世界のテクノロジーの急伸が、この国の変化に拍車をかけていただけなのだ。本を読みながらそのことに気づいた。
新聞を読んでも、内容を理解できない焦燥。次々に生まれる新しい語句を覚えられない自分を責めるのはやめようと決めた。だって、無理なんだもの。
わたしは、わたしだからこそできる、わたしらしいことを。そう考えると、蓄積されてきた不完全燃焼が消え、自分に対するお門違いな期待値が軽減された。
今後は「人間力」が勝負だ。そのためには、何をすべきか。まずは新しいものを追う前に、これまでの蓄積の整理をしよう。
同書のタイトル、「遅刻してくれてありがとう」とは、人を待つ間に思いがけずできた「隙間の時間」に対してを言っており、物事を冷静に考える時間を与えてくれてありがとう……という意味だ。
「機械の一時停止ボタンを押すと、機械は停止する。しかし人間の一時停止ボタンを押すと、人間はスタートする」「肝心なのは、一時停止のときになにをやるかだ」「立ち止まる(ポーズ)たびに、わたしは使命(コール)」を聞く」
文中の言葉が、身にしみる。
年に一度、ここでじっくりと「一時停止」できてよかった。
次のコールに、耳を澄まそう。
昨日のバナナ🍌🍌🍌に続いて、本日はトマト!🍅🍅🍅
これは寒い。
いろんな意味で、寒い。
ここバンガロールは、この時期が一年で最も寒い。昼間は30℃近くまで気温が上がるとはいえ、朝晩は10℃近くまで冷え込む。フルーツ盛り合わせもなかなかに辛かったが、ひたすらのトマトは、それを上回る寒々しさだ。
が、ここに来て、よく意味のわからないこのチャレンジを、中断するのも悔しい。
上質のオリーヴオイルとバルサミコ酢、そしてシーソルトがあれば、もっとよかったのに。
と思いつつ、平らげる。
物足りなさに、部屋に戻ってナッツを食べる。何のためのダイエットコントロールか、よくわからなくなってきたが、ともあれ何事もやってみなければわからない。
至福のトリートメント、オイルバスを終えて、呼吸法のクラスには行かず、「遅刻してくれて、ありがとう」に関する所感を書いているうちにもランチタイム。
ランチが、昨日のような「トマトサンドイッチだったらどうしよう」「薄く薄くスライスされたキュウリが、薄く薄くスライスされたトマトに挟まってたらどうしよう」と懸念したが、プレートを見て安心した。
トマトと野菜のカレー、そしてぷっくりかわいいケララの赤米。見るからに、和む。🍛
しっかりとしたスパイスの味わいが、食べ甲斐のある炭水化物の存在感が、五臓六腑に染み渡る。幸せ……。
ちなみに今夜は大晦日ディナーにつき、どんなプログラムの人も、好きなだけ食べることができる。だからといって、好きなだけ食べたのでは、この数日間の浄化が無駄になるので、ほどほどにするつもりだが、楽しみだ。
わずか数日間、制限された食生活を送っただけで、普段の乱暴な食べ方を反省せざるを得ない。
「たいして食べてないのに太る」と、わたしを含め、太りやすい人はよく言う。しかしそういう人の大半は「たいして食べている」。
わたしもそのことは自覚している。わたしは、よく食べる。よく食べるのはいいが、量と質をわきまえて、しっかり味わうことに、もっと気持ちを注ごうと思う。
そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、本日は「カステラ道」着用のマイハニー。そもそもわたしがカステラを焼くようになったのは、夫の好物がカステラだからに他ならない。このTシャツは、そんな彼と長崎を旅したときに買ったもの。
ちなみに昨日は、バンガロールのウイスキー蒸留所を見学したときにもらったアムルートのTシャツを着ていた。飲めないもの、食べられないものを、敢えてアピールする男。
毎度、いい味、出している。