“The limits of my language means the limits of my world.”(Ludwig Wittgenstein)
わたしの言語の限界は、わたしの世界の限界である。(ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン/哲学者)
わたしにとって、この言葉は、鼓舞と諦観を同時に与えてくれるものである。
大学では日本文学科に進み、将来は国語の高校教師を目指していたわたしが、進路変更をしたのは20歳の夏。米国での1カ月のホームステイが契機だった。
大学卒業後、上京し、海外旅行ガイドブックの編集プロダクションに就職。その後、小さな広告代理店に転職した後も、海外取材の多い歳月を送った。
27歳でフリーランスのライター兼エディターになった。その際、「1年のうち3カ月休暇を取り、残る9カ月は休みなく働く」と決めた。
28歳の春、欧州を3カ月間、列車で放浪した。英語力の必要性を痛感し、翌年は英国で3カ月間の語学留学をしようと決めた。
29歳の春、英国で3カ月間、語学留学をした。しかし思うほどの成果を上げられず、翌年はニューヨークで1年間の語学留学をしようと決めた。
30歳の春、ニューヨークへ飛んだ。語学学校は3カ月通ったきりで現地の出版社に就職。英語力はそこそこに、1年後には自分の出版社を起業、就労ヴィザを自給自足して、米国で働き始めた。1年の予定が、今日に至るまでの23年間、日本に住むことなく、異郷の地で生きている。
こんなことなら、子供のころから、しっかり英語力を身につけばよかったと、何度思ったことだろう。
人生、思い通りに進むものではない。ゆえになるたけ、自分の置かれた環境に感謝しながら、謙虚な心持ちを失わないよう心がけている。
しかし、「もしわたしに、ネイティヴ並みの英語力があったら」と夢想することは、ある。高校か大学で、せめて1年でもいいから、英語圏へ留学していれば。英語を介して、もっと広い世界を学べただろうとも思う。
わたしが実施している「学生&若者向けセミナー」で、しつこいほど語っていることだが、英語力は、あるに越したことはない。英語を自由に操れるというだけで、人生の選択肢は、日本国内から、一気に全世界へと広がる。あらゆる国を相手に、対等に働ける切符を手にできる。
仕事ばかりではない。将来の結婚相手だって、日本人だけではなく、「35億!」(すでに古い)から選ぶことができる。
無論、今の世の中、自分が海外に出なくとも、外国人が日本へやってくる。「意思疎通が図れない」ことによる齟齬は、絶大なるストレスを生み、致命的なトラブルの原因ともなる。
英語力は、あるに越したことはない。もちろん、母国語である日本語を、正しく操り、さらには、日本史、世界史の勉強も大切だ。
さて昨日は、月に一度の、YPOのフォーラムメンバー計8名とのミーティングだった。既述の通り、ミーティングは定められたメソッドに則って行われる。このごろは、各メンバーが自身の半生を1時間あまり、プレゼンテーションしてきた。昨日は、わたしの番だった。
幼少時から今日に至るまでの足跡を、写真を織り交ぜつつ、約60ページに亘って整理する。日本語でなら、1日でできる作業が、実質3日間もかかった。日本語から英語に訳するだけでは相手に伝わりにくい点も多々ある。異文化につき、バックグラウンドの説明も付加せねばならない。
「英語で」、というよりは、「英語的な発想法や考え方」で、自分を表現することは、日本語で表現する場合と相違点が多い。忠実に訳すると、不自然になる。
ところで先日のマルタ島女子旅の際、打ちのめされるような感傷を味わった。ドライヴの車中。運転手が70~80年代の世界的ヒットソングを次々に流す。
わたしを除く5名はみんな、最初から最後まで、歌詞をきちんと歌える。みな楽しそうに、声を揃えて歌っている。
すべての曲を、わたしは知っている。しかしわたしは、サビ以外、歌えない。ほにゃららほにゃららと口ずさむばかりだ。
学生のころから感じていたことだが、「洋楽が好き」という日本人のうち、歌詞の意味を理解して好きだと言っている人は、一体どれくらいいるのだろう。歌詞がわからないのでは、「この歌が好き」とは言い切れないのではないか。「この旋律が好き」でしかないのではないか。
などと書くと異論が舞い込んできそうだが、これはあくまでも、わたしの考えである。
高校時代、わたしが所属していたバスケットボール部の部室の隣は、英語研究部だった。そこに属する友人らは、英語の発音がよく、成績もよかった。彼女たちが英語研究部に入った理由は、「好きな洋楽の歌詞の意味が知りたいから」だと聞いたことがあった。
膝や腰を痛め、概ね二軍選手だったにも関わらず、しかしバスケ部を止められなかった高校時代の自分に言いたい。
「今すぐ、バスケ部をやめろ。隣の英研部に移れ。徹底的に、英語の勉強をせよ」と。
勉強はいつからだって始められる。しかし、語学は早いうちのほうが、習得が圧倒的に早い。半世紀以上を生きてなお、わたしは諦めきれずに、あがいている。
※以下、60ページの資料の中から、一部を転載。