わずか3時間程度の睡眠後、午前4時半に起床。「よく寝る」タイプのわたしには辛い早起きだ。
まだ夜が開けぬ街をタクシーで走り抜けながら、マルタ空港へ。7時過ぎの便に搭乗したものの、フライトは遅れ、正午近くになってようやく、アムステルダムに到着した。
バンガロールへは乗り継ぎが悪いことから、最終日の一日を、再びアムステルダムで過ごし、翌朝の便でバンガロールへ帰国することにしていたのだ。
行きの2泊は市街東側のモダンなホテルに滞在したが、帰りは1泊ながらも市街西側のクラシックなホテルを選んだ。わずかな滞在でも、できるだけ、異なる表情の街並に身を置きたい。
アンネ・フランクの家からもほど近いこのホテルのあるエリアは、アムステルダムで最も古いエリアとのことで、滞在したホテルの建築物は築400年ほどだという。かのレンブラントやその弟子らが、この建物に滞在していたこともあるという。
チェックインをすませたあと、ランチをとりに外へ出る。オランダ名物のひとつでもあるパンケーキを食べておこうと、近所にある人気店へ。ハムとチーズ、そしてマッシュルームのパンケーキを頼んだが、一面に敷き詰められたハムの多さに辟易する。薄くてもっちりとしたパンケーキ。おいしいにはおいしいが、食べきれない。
オランダに限らないが、欧州の人々の、チーズをはじめとする乳製品やハムなどの肉類の消費量はすさまじいなと、欧州を訪れるたびに思う。平均的な日本人の胃腸では対応しきれない。
夜、コンセルトヘボウ(コンサートホール)を訪れる以外、特段の予定を入れていなかったので、ともあれ、自由に街歩きを楽しむことにする。路地の小さなファッションブティックで、思いがけず好みの衣類を見つけ、何着かまとめて購入。オランダは米国に増して「大きいサイズ(長身)」が潤沢だから、サイズがないと諦めることもない。
左の写真の店、Lien & Gielで、何着かをまとめて購入。通常、天然素材の衣類は、色合いもナチュラルで地味なものが多いが、ここはオーガニックコットンなどを使いながらも、とにかくカラフルで華やかな服が大半なのだ。右上の花柄のニットは木綿製。とても着心地がよくて、本当に気に入った!
【追記】着用の記録
アムステルダムで買ったオーガニックコットンの服
➡︎https://museindia.typepad.jp/2019/2019/03/lien-1.html
世界で一番、身長が高いとされているオランダ。女性の平均身長は、約171センチ! 166センチのわたしの身長を大きく上回る。男性の平均身長は約184センチだとか。ゆえに、世間を見上げることが多い。
アムステルダムの街は、中国人も真っ青(多分)の、自転車パラダイス。長身の人々が、車輪の大きな自転車で、町中をぐんぐんと走っている。絶大なるスピードで迫ってくる。油断ならない。昨日は3度ほど、あやうくぶつかりそうになって冷や汗をかいた。歩行者ではなく、自転車優先の文化なのだ。バンガロールの往来とは異なる意味で、危険だ。トラムもまた、かなりのスピードで迫ってくる。常に周囲に注意を払っていなければならない。
チューリップ博物館、猫博物館など、特段、立ち寄らなくても差し支えない場所にも足を運ぶ。1850年日本製の招き猫が印象的だった。猫博物館には4匹の猫が暮しているらしいのだが、わたしが来訪した時には、誰一匹として現れてくれず、寂しい思いをした。やはり、あまり猫には好かれていないようである。
冷風に吹かれながら、運河を眺めつつ、歩く。運河沿いの建物を眺めていると、酔う。それは「美しさに酔う」というような、ポジティヴな「酔う」ではなく、「乗り物に酔う」という類いの、ネガティヴな「酔う」だ。
前回の旅の記録でも記したが、アムステルダムの運河沿いの家並みは、間口が狭い。それらがよりそい、ひしめきあっているのだが、どうにも「自然な感じで」傾いているところが多いのだ。ちなみに前傾した建物の上部にあるフックは、引っ越しの際に滑車を吊るして窓から家具を取り込むのに使われる。ゆえに、やや前傾している建築物が多く見られる。酔う。
曇天の下に広がる、石の街並。花が息吹くにはまだ早い、沈んだ情景に色を添えるのは、ブティックのディスプレイ。彩りの美しい雑貨店や文具店は、殊更に目を引いて、待ち行く人の心を、ほんのりと温めてくれるようでもある。
気になる店に入り、あれこれと眺めているうちにも、瞬く間に時間が過ぎて行く。夫や猫らのことが気になるので、旅を10日以内にしたのだが、あと2、3泊、すればよかったと、少し後悔する。
オランダ生まれのミッフィーの、そのシンプルな愛らしさを再認識。子供のころから好きだったが、今見ても、心がときめく。ぬいぐるみなどをあれこれ買いたくなる衝動を抑えすぎて、結局、自分には何も買わなかったが、思い出にひとつくらい、ミッフィーものを買うべきだった。
バンガロールでの暮らしに、わたしは特段の不満を持っていない。しかし唯一、欠落していることを挙げるとするならば、街歩きを楽しめないこと。もちろん、歩こうと思えば歩ける。公園などもあるが、歩道の不備や排気ガスなどの問題がある。「歩くこと」が好きなわたしにとっては、極めて残念な事実だ。
ゆえに、旅する折には、歩きやすい靴を履いて、ひたすらに歩く。ぐんぐん歩く。気分がいい。50歳を過ぎたころから、遠い昔バスケットボールで痛めた左膝の痛みが蘇ってきた。持病だった腰痛は、アーユルヴェーダの治療のおかげもあって、ほとんど気にならなくなったが、膝は傾斜や昇降がある場所を歩くときに痛むことがある。普段からアーユルヴェーダのオイルを塗り、きちんとトリートメントをせねばと思う。
健康な身体でなければ、旅は存分に楽しめない。一人旅で重い荷物を持ったり、空港の広いターミナルを急ぎ足で移動したりするにつけ、痛感する。これから先、なるたけ長い間、元気で歩き続けるためにも、適度なエクササイズや心身のメンテナンスを怠ってはならないなとも思う。
コンサートへ向かう途中、軽く夕飯をすませようと霧雨の降る中、夜の街を歩く。そろそろこのあたりで店を見つけようと思った矢先、運河の向こうに、行きの滞在で訪れたレストランが目に飛び込んで来た。ご縁である。
店内は予約で満席だったが、テラス席は空いている。ゆっくりしてもいられないので、好都合だ。白ワインを飲み、サーモンのグリルとポーチドエッグのサラダを食べる。良質の素材の味が楽しめて、ここの料理は本当においしい。ヴォリュームも適度で、申し分ない。
食事を終え、レストランから徒歩で10分ほどのコンセルトヘボウへと赴く。29年ぶりのコンセルトヘボウ。わたしは、コンサートホールを目にして、どういう風に、感じるのだろうか。ただそれだけが、知りたかった。
◎29年ぶりのコンセルトヘボウ。旅を重ねた今のわたしは、何を感じるだろう
アムステルダムを訪れると決めたとき、真っ先に頭に浮かんだのは、コンセルトヘボウだった。どんな演目でもいいから、とにかく、その場所に身を置くことが目的だった。行きの日程では、コンサートが上演されていなかったが、帰りはロイヤル・コンセルトヘボウ交響楽団によるストラヴィンスキーのコンサートが催されるとわかり、即座にチケットを購入した。
今回の旅の前にも記したが、1990年から2年半ほど、わたしは石油会社が発行する海外旅行誌の編集者として、世界各地を旅していた。オランダへは、外部のライター、そしてアートディレクター、二人の男性らと共に、ドライヴで国内を一周。その後、国境を超えて、ベルギーをも一周した。
このときのオランダは、スペインに次いで、わたしにとっては2カ国目の欧州だった。同じ欧州でも、スペインとは大いに異なる。目に映る全てが新鮮で、強く引きつけられた。
一方、旅の同行者である男性2名には、かなり痛い目に遭わされた。理不尽なパワハラ、とでも言おうか。最年少とはいえ、取材の責任は社員である自分にある。心細くもあった。25歳のわたしは、憤怒の涙を飲みつつも、しかし彼らから学ぶことも多かった。
彼らとは20年以上、音信不通ではある。しかし、会えばきっと「あのとき、俺たちがお前を鍛えてやったから、今のお前があるんじゃ」くらい言われそうだ。事実、わたしを鍛えてくれた数多くの要素の中の一つではあったと思う。
話しが長くなった。コンセルトヘボウである。
29年前の取材時、このホールを訪れた。わたしは初めて足を踏み入れた欧州のコンサートホールの、その内装に感嘆した。美しいなあ。すばらしいなあ。席に座って周囲を見回し、感慨に浸っているわたしに、アートディレクター氏はこう言った。
「おまえは、この程度のホールに感動してるんか。しょうもないな。こんなの、◎◎◎の○○○に比べたら、全然大したことないぞ」
返す言葉がなかった。
確かにそれは真実かもしれない。「ここで満足するなよ。まだ世界は広いぞ」という意味を含んでいると取ることもできる。しかし、思いやりのない言葉で感動に水を差されたわたしは、悲しかった。このときの落胆は、その後のわたしの人生に、いろいろな意味での含蓄をもった、反面教師となった。
人の経験値は千差万別。どんな出来事にも「初めの一歩」がある。そこから、経験を積み重ね、見識が豊かになる。しかし、経験の浅い人を見下すのは、間違っている。
わたしはそのとき、「この先、どんなに経験を積んでも、初心を忘れないでいよう」「いつも新鮮な心と目で対象を見つめよう」と、心に決めた。
そしてそれは、その後の人生に反映されている。ライターとしての視点はもちろんのこと、コーディネータとして異郷の地をクライアントに案内するときにも、家族を連れて旅をするときにも、そして今、ミューズ・クリエイションに入れ替わり立ち替わり在籍するメンバーたちに対しても。毎回毎回、根気よく、同じようなことを繰り返しながら、伝え続けている。
新鮮な伝達により、相手の好奇心が高められ、世界観が広がれば、伝える自分もまた達成感を覚えられる。
果たして、あれから29年。わたしは世界各地の劇場を訪れ、無数の演目を鑑賞してきた。その結果、今の自分の目に、このコンセルトヘボウはどう映るのか?
ホールに足を踏み入れた瞬間、過去訪れたホールの記憶が、次々に蘇り、胸が迫った。そして思う。このホールは、決して豪奢でもダイナミックでもない。プラハのスメタナ劇場と似た「体育館」的な直方体で「色気」はない。しかし、得も言われぬ気品がある。結構な広さがあるにもかかわらず、ステージと観客席の距離感がとても親密で、落ち着く。屹立するパイプオルガンもまた美しい。
すばらしいホールではないか……!
実はわたしは不協和音が極めて苦手だ。だからストラヴィンスキーの演奏を心地よく楽しめることはないだろうと思っていた。しかし、オーケストラの迫力を目前にして、輝くようにハリのある音響に、心を打たれた。
なにより、2曲目の、老齢のピアニストの演奏がすばらしかった。そのもっさりとした容姿からは想像もつかない、気迫。鍵盤を香ばしく叩く指。音が中空から降り注いでくるようであった。音の海に揺蕩うような気分だ。
演奏を終えた彼は立ち上って口を開いた。実はこの日、有名な作曲家が他界したとのことで、彼を送る曲を演奏させて欲しいとのこと。シューマンかシューベルトだかの曲である。
その演奏の、すばらしさに、感泣……。
この劇場は、「敷居が低い」構造になっていて、エントランスからホールまでの距離感が極めて近い。また、演奏前とインターミッションの際、出されるコーヒーやワインがコンプリメント(無料)であることも新鮮だった。気軽に、上質の音楽に接することができる環境だということを実感した。
思うところ多々あるが、綴れば尽きず、感慨深いこと、しきり。
ともあれ、コンセルトヘボウ。再訪して、本当によかった。