幾度となく記しているが、わたしにとって記録することは、大切な習慣の一つである。
中学生の頃からつけている日記。これは途絶した時期もあったが、続いている。3年前からは「5年日記帳」を購入し、その意義深さを日々、実感している。
大学時代、心理学の授業で少しばかり夢分析研究をしていたころは、2年に亘り「夢日記」もつけていた。当時、ユングやフロイトの書籍を読みつつ、夢を分析することによって、自分自身のコンプレックスの根源を見出すことができた。普段は意識しなかった深層心理に向き合い、それを受け入れ咀嚼し消化するのには、久しく歳月を要したが、しかし子供から大人への過渡期にあった自分にとっては、極めて意義深い過程だった。
日記とは別に、大学時代から、毎年ジャーナル(スケジュール帳)をつけている。一部、行方不明の年もあるが、書棚の一画には約30冊のノートがずらりと並んでいる。手を伸ばし、ページを開けば、いつ、どこで、何をしていたかが、すぐにわかる。20年前の今日も、5年前の今日も、たちまち蘇る。
旅の記録ノートなどのほかに、インターネット台頭以降は、ホームページ、そしてブログ、現在ではインスタグラムやFacebookに記録を残している。ライターという職業柄、それが無理なくできるということもあるが、書くことにより、気持ちを整理できるがゆえ、続けずにはいられない。
さて昨日。わたしが日々行っている「記録する」の延長線上にあるがしかし、メソッドに従って、より自分の生き方を見つめ直し、今後を見据えるべく「勉強会」のようなものを、日本人の友人たちと行った。
わたしは数年前より、インド人の友人たち(YPOのフォーラムフレンズ)と月に一度会い、やはりきちんと構築されたメソッドに従って、自分自身を見つめるためのミーティングを行っている。このミーティングに参加するようになってから、わたしの精神は、大いに救われてきた。特別な何かをしているわけではないが、自分の抱えている問題点を「極秘」という条件のもとにシェアすることによって、抑圧や制限から気持ちが解放され、ストレスが軽減する。人の話を聞くことでもまた、自分の体験に反映させて、学ぶところ多く、ネガティヴな事象に直面しているときにも「自分だけではない」という思いを享受できる。心強い。
一方、昨日の場合はそれとは異なり、本質的には、ひたすら自分と向き合うものである。参加者の一人が、そのような取り組みを10年近くされていて、その方法をシェアしてくれた次第だ。セルフヘルプ。日本語でいうと「自己啓発」と表現されるのだろうか。その定義はさておき、簡単なメソッドに従って、現状を書き出し、それを客観的に眺めて、どうあるべきかを考える。
わたしは日本で小さな広告代理店に勤務していたころ、社長の勧めで外部機関が実施するビジネス研修に1泊2日で参加したことがあった。参加者数十名のうち女性はわたし一人。他人と部屋をシェアせずに済んで助かったと思ったのを覚えている。その研修で学んだスケジュール管理の方法や、事業計画の立て方など、詳細は失念したが、今でも自分の身についていて、助けになっている。
ちょっとした「技」を導入することで、同じ自分を記録するのでも、効果を高めることができる。昨日の勉強会では、そのことを再確認したのだった。これからこのノートを折に触れて開き、月に1回、自分に向き合いながら記していこうと思う。
持ち寄られたお茶菓子やハーブティーを楽しみつつ、途中でランチのデリヴァリーを頼んだりして、カラフルなテーブル。自分と向き合うだけでなく、語り合う時間もだいぶ長く、有意義なひとときだった。